「近親憎悪」という言葉がある。懸け離れた人よりも似て非なる人を激しく憎む。なぜそんなことが起こるのだろうか。
ゲーム理論や行動経済学の入門書には必ず「容疑者のジレンマ」という話が掲げられている。二人の容疑者がどう行動すれば自分の罪を軽くできるかという問いだ。
どちらの容疑者にも2つの選択肢がある。罪を認めて自白をするか拒絶をするか、だ。両者が自白すれば二人共有罪になる。一方だけが自白した場合、自白しなかった容疑者が不利になる。改悛していないと見なされるからだ。二人共自白しなければ二人共無罪になる。一回限りのゲームであれば自白したほうが有利になることが多い。この状況を上手く利用して自白を奨励するのが「司法取引」という制度だ。元々有利である自白という選択肢を更に有利にすることによって容疑者同士による告発合戦へと誘導しようとする。
ところが一回限りのゲームでなければ様々な戦略が生まれ得る。このゲームを繰り返した場合、最強なのは「しっぺ返し」と呼ばれる戦略だ。1回目は黙秘を選び2回目以降は相手が前回に選んだ選択肢を踏襲するという単純な戦略だがコンピュータでシミュレートすればこの戦略が最強になる。
「良い子・悪い子・普通の子」と呼ばれるゲームでも同等の結果が得られる。良い子は平和主義、悪い子は戦闘的という設定だが、当初は悪い子が良い子を駆逐して猛烈に増える。ところがその内、悪い子同士での共倒れが多発してその結果、普通の子が繁栄すると言う。普通の子の戦略は「容疑者のジレンマ」と同様「しっぺ返し」だ。一回限りではない長期的な関係においては「しっぺ返し」が常に最強の戦略とまで言われている。
ゲーム理論や行動経済学の枠内に留まらず現実においても「しっぺ返し」が最強の戦略と推定され得る。これを最強たらしめるのが裏切り者に対する強硬な姿勢だ。秩序に貢献する者に対する過剰なまでの支援と秩序を破壊する者に対する容赦の無い攻撃によって現実社会において「しっぺ返し」戦略が実現される。獅子身中の虫を許さないことが重要課題になる。集団構成員に対する支援と攻撃は表裏一体であり車の両輪のように働き掛ける。
群居動物の共感力が異端者に対する排除と矛盾しないのはこんな性質が本能として組み込まれているからだろう。群居性の高い動物ほど集団内の異端者を容赦しない。「良い子」を守り「悪い子」を排除することが本能に組み込まれることによって群居動物の集団の継続的な繁栄が可能になっている。
ゲーム理論や行動経済学の入門書には必ず「容疑者のジレンマ」という話が掲げられている。二人の容疑者がどう行動すれば自分の罪を軽くできるかという問いだ。
どちらの容疑者にも2つの選択肢がある。罪を認めて自白をするか拒絶をするか、だ。両者が自白すれば二人共有罪になる。一方だけが自白した場合、自白しなかった容疑者が不利になる。改悛していないと見なされるからだ。二人共自白しなければ二人共無罪になる。一回限りのゲームであれば自白したほうが有利になることが多い。この状況を上手く利用して自白を奨励するのが「司法取引」という制度だ。元々有利である自白という選択肢を更に有利にすることによって容疑者同士による告発合戦へと誘導しようとする。
ところが一回限りのゲームでなければ様々な戦略が生まれ得る。このゲームを繰り返した場合、最強なのは「しっぺ返し」と呼ばれる戦略だ。1回目は黙秘を選び2回目以降は相手が前回に選んだ選択肢を踏襲するという単純な戦略だがコンピュータでシミュレートすればこの戦略が最強になる。
「良い子・悪い子・普通の子」と呼ばれるゲームでも同等の結果が得られる。良い子は平和主義、悪い子は戦闘的という設定だが、当初は悪い子が良い子を駆逐して猛烈に増える。ところがその内、悪い子同士での共倒れが多発してその結果、普通の子が繁栄すると言う。普通の子の戦略は「容疑者のジレンマ」と同様「しっぺ返し」だ。一回限りではない長期的な関係においては「しっぺ返し」が常に最強の戦略とまで言われている。
ゲーム理論や行動経済学の枠内に留まらず現実においても「しっぺ返し」が最強の戦略と推定され得る。これを最強たらしめるのが裏切り者に対する強硬な姿勢だ。秩序に貢献する者に対する過剰なまでの支援と秩序を破壊する者に対する容赦の無い攻撃によって現実社会において「しっぺ返し」戦略が実現される。獅子身中の虫を許さないことが重要課題になる。集団構成員に対する支援と攻撃は表裏一体であり車の両輪のように働き掛ける。
群居動物の共感力が異端者に対する排除と矛盾しないのはこんな性質が本能として組み込まれているからだろう。群居性の高い動物ほど集団内の異端者を容赦しない。「良い子」を守り「悪い子」を排除することが本能に組み込まれることによって群居動物の集団の継続的な繁栄が可能になっている。