俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

価格差

2016-08-11 10:47:11 | Weblog
 価格の違いには訳がある。たとえ同じ名前の料理でも味の差は大きい。その差を決めるのは素材や技術や手間などだ。勿論、量の違いもある。
 百貨店は高くスーパーは安いという常識も疑わしい。百貨店が長く斜陽産業と言われながらも生き延びているのは訳があってのことだ。戦後の百貨店の主要商品の推移を見れば百貨店が結果的には時代対応していることが分かる。戦後の呉服とギフトから始まって輸入の婦人雑貨、婦人服を経て、今では「デパ地下」と呼ばれる食料品が主力商品だ。
 呉服は、三越や大丸などにとっては本業だったから、当時の百貨店は圧倒的な優位性を持っていた。品質、品揃え、販売力、あるいは価格においても一般の小売店は太刀打ちできなかった。「現金掛け値無し」は江戸時代以来の三越の戦略でありこれは先駆的商法とさえ思える。しかしその後はスーパーなどに価格決定権を奪われた。例外は海外の有名ブランド品であり輸入代理店が価格決定権を握っていた。
 ビールとビール系飲料の価格差は全く馬鹿馬鹿しい理由に基づく。その差は大半が酒税の差だ。価格の差は品質と全く釣り合っていない。だから私はもっぱら第三のビールを飲む。ビールしか飲まない人には目隠しテストをして彼らの権威主義を嘲笑いたいと思う。
 通常、価格はそれなりに妥当性を持つが私にとって最も不可解なのは缶コーヒーの価格だ。コンビニや自動販売機では100~130円程度なのにスーパーでのバーゲンでは30~50円程度だ。消費期限が短い生鮮食品であれば価格は需要と供給のバランスによって大きく変動し得るが、長期保存と計画生産が可能な缶コーヒーのこの価格差は不可解だ。かつて「原価の秘密」という本が出版されてコカ・コーラなどの原価が暴かれたが、缶コーヒーの市場価格の乱れの原因も原価が原因と思える。コーヒーそのものの原価は5円と言われている。乱暴な試算だが、缶が5円、物流費が5円、人件費が5円とすれば缶コーヒーの直接原価は20円程度に過ぎない。これなら25円で卸しても採算が合う。ところが缶コーヒーの拡販のためには膨大な宣伝費が使われている。これを回収するために自動販売機やコンビニではボッタクリ販売をしているのではないだろうか。こんな形で宣伝費を埋め合わせるのは前近代的な商売だろう。大量生産・大量販売という従来型の商売のままで付け焼き刃のブランド戦略を取るから全体のバランスが崩れているのだろう。