俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

味覚障害(4)・・・澱粉

2016-05-22 09:58:43 | Weblog
 これまで3つしか記事にしていなかったが、抗癌剤の副作用によると思われる味覚障害は4つあった。第4の障害は澱粉質に対するものだった。これを記事にできなかったのは澱粉質の旨さとは何かが分からなくなっていたからだ。
 ふと奇妙なことを思い出した。子供の頃、フルーツの香りを付けた消しゴムがあった。その香りに誘われて齧ったことがあるがとても食べられる代物ではなかった。私の狂った味覚にとって、澱粉質の食品はこんな物と同じようにさえ感じられる。
 日常の食事は澱粉質に依存している。澱粉質抜きの食事は想定することさえ難しい。ご飯やパンや麺類が無ければメニューが作れない。関西人が大好きな「コナモン」も主役は澱粉質だ。お菓子も多くが澱粉質を加工して作られている。
 人間はなぜこれほど澱粉質が好きなのだろうか。原始人の澱粉質摂取量はかなり少なかったと思える。彼らは木の実や動物の身(肉や魚介類)を主に食べていた。澱粉質摂取量が増えたのは農業を始めて米や麦を大量に収穫できるようになってからだろう。
 澱粉の最大の長所は保存性の高さだろう。米も麦も腐りにくい。その利便性が汎用性に繋がったのではないだろうか?
 澱粉質の栄養価値はどうだろうか。余り高いとは言えない。必須アミノ酸や必須脂肪酸ならあるが必須澱粉質など無い。澱粉質はカロリー源にしかならない。
 澱粉のもう1つの長所は「安さ」だろう。他の食材と比べて非常に低コストで充分なカロリーを得ることができるから貧しい人ほど澱粉質偏重の食事になる。
 農業生産の側に注目した場合、自給自足が可能な作物は穀物以外に無いように思える。勿論、現実において野菜農家も自給している。それどころか米農家よりも裕福な人も少なくない。しかしこれは市場を通じて換金が可能だからだ。作物を高く売れるから自給できているだけであり、もし換金できなければメロン農家のように高付加価値の作物で生計を立てている農家は充分な栄養を摂取できずに餓死するのではないだろうか。エネルギー効率を考えるなら穀物だけが採算の合う農業と考えられる。
 仮にそうであれば、いかにして穀物を有効活用するかということが各民族にとっての最優先課題だっただろう。つまり食文化の正体は、本来旨くない穀物(澱粉質)をいかに旨い食物に加工するかということだった。麦は殻ばかり多くて駄目な食材だろう。しかし収穫量は圧倒的に多い。こんな駄目な食材を西洋人は知恵を結集してパンやパスタに加工することに成功した。この大発明が生まれたのは必要に迫られたからだ。澱粉質は元々は駄目な食材だったが、それを旨く食べるためにソースやスープが工夫されてこのことによって快適な食材に作り変えられたのではないだろうか。
 日本でも事情は同じだ。大量に生産される米を旨く食べるために漬物などの副食が洗練され、麺類を旨く食べるために最高の出汁が作られた。澱粉質は元々旨い食材ではなかった。
 こう考えると私の味覚障害は先祖返りだったように思える。澱粉も野菜も本来旨い食材ではなく、人為的に旨い料理に作り変えられたものに過ぎない。どちらも旨いからではなく、それぞれの異なる事情から多く摂取する必要に迫られて、膨大な知恵と技術が注ぎ込まれたから味わえるレベルにまで担ぎ上げられた食物だった。私は味覚障害を患うことによって、図らずも、食文化に潜む虚構に気付かされたようだ。