俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

絶滅

2016-05-24 10:13:47 | Weblog
 バナナの収穫量が激減しているそうだ。これはカビによる新パナマ病という感染症が原因だ。
 農作物の絶滅はこれまでに何度も繰り返されている。1840年代の後半にアイルランドではウィルスによる立ち枯れ病によって主食のジャガイモが壊滅的な打撃を受けて100万人以上が餓死し200万人以上がアメリカなどに移民をしたと言われている。ケネディ家はこの時の難民の末裔だ。1890年頃フランスののボルドー地区などのブドウは昆虫によって絶滅した。このようにカビやウィルスや昆虫といった様々な感染症によって農作物が絶滅するのは、同一品種に頼っていることが大きな原因だ。品種が同じであれば同じ病気に弱い。バナナの場合、単に同一品種というだけではなくクローンなのだから長所も短所も全く同じであって大感染を招き易い。遺伝子が多様であれば様々な変化や感染症に対してどれかが対応できる。生物として多様である種ほど生き残れる可能性が高くなる。
 しかし多様である生物を管理することは難しい。気温や水の量や必要な肥料などが異なる植物を同一の土地で成育させることは不可能だろう。管理することを優先して考えるから、たとえ絶滅の危険性があると分かっていても同質化させたくなる。
 このことを人類に当て嵌めて国民を同質化しようとした政治家がいた。ヒトラーはユダヤ人を排除してゲルマン民族を純血化しようとしたがこれは過去の話では済まされない。社会主義とは実は全体主義であり、全体の利益というタテマエの元で権力者による管理主義が横行してとんでもない政策が実行される。
 ウクライナ問題の背景はソ連時代まで遡らねば理解できない。ソ連はクリミアの住民をロシアに移住させ多くのロシア人をクリミアに居住させた。こうして国民の同質化を図ったが異なる民族が融和することは共産党が考えたほど容易ではなかった。民族対立の原因はロシア時代の均一化政策にある。
 中国はウィグルやチベットを同質化しようとしてソ連と同様に民族の入れ替えを図っている。しかしこんな政策が成功する筈が無い。無宗教に近い漢族とイスラム教徒のウィグル族、あるいは仏教徒のチベット族は水と油のように乖離する。更に困ったことには、管理主義に基づく民族の均質化は同一化ではなく少数者固有の希少で貴重な文化の破壊となり勝ちだ。
 短期間で国民を同質化することなど不可能であり軋轢を生むだけだ。そもそも同質化は生物としての人類にとって好ましいことではない。異文化の破壊ではなくそれぞれの長所を認め合う多様性こそ人類にとって望ましい。
 多様性には大きな長所がある。農作物の同質化を避けることによって感染症による絶滅が避けられるように人類もまた多様化によって感染症などの様々な変異に強くなる。血液型の違いがあるのは単に血液の性質が異なるだけではなく免疫機能の違いであり、血液型ごとに病気に対する得手・不得手が異なる。だから恐ろしい感染症に見舞われても絶滅を免れ得る。一部の人だけでも元気であれば看護と療養が可能だが全員が同時に倒れてしまえば対処できない。
 人類にとっての危機は感染症だけではない。イデオロギーや宗教といった怪物に支配された人々による暴走は感染症以上に危険だ。自らを正義と信じる集団が多数者になれば弾圧が強化される。少数者との共存、つまり多様な価値の相互承認が人類の繁栄のためには欠かせない。
 日本人は元々雑種民族だったから変化に強かった。海によって隔てられたこともあろうがパンデミックは殆んど起こらなかった。ところが孤島に隔離されている内に同質化してひ弱になってしまった。日本人との混血アスリートの身体能力が驚異的に高いことを考えれば、日本人がハイブリッド化すれば元のそれぞれの民族以上に優れた能力を発揮できるのではないかと期待してしまう。日本民族もまた貴重で希少な遺伝子の宝庫なのかも知れない。