俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

解釈

2016-05-15 10:20:27 | Weblog
 人間は制約された知覚に頼っている。例えば赤外線や超音波を知覚できない。つまりあるがままにではなく初めから歪んだ形でしか知覚できないのだから、人が捕える世界もまた歪んだものにならざるを得ない。人は事実を知覚することさえできないのに「意味」という虚構を求めようとするから主観世界は無茶苦茶になる。
 個人は様々な動機に基づいて行動し、それに対して周囲の人々は勝手に解釈する。この解釈が主観世界を更に歪める。人は自然にまで意味を求める。地震も噴火も自然現象だから原因はあっても意味は持たない。自然現象にまで意味を求めたがるのだから社会現象に対してはこじつけが乱発される。航空機事故の遺族は「なぜ彼が死なねばならなかったのか」と問う。理由は無いが原因ならある。墜落した航空機に乗っていたからだ。意味を求めることは殆んどが無意味だ。「意味」は事実ではなく解釈に過ぎない。これは科学的事実である「安全」と主観的事実に過ぎない「安心」との違いに似ている。
 男女の恋愛関係はお互いの勝手な解釈に基づいて成立している。些細なことを針小棒大に解釈し合うから、フィクションの世界のヒーローとヒロインになる。この時に最も有効な戦術は「思わせぶり」だろう。曖昧な態度が相手の妄想を膨らませる。私はlove gameとは惚れたほうが一歩的に負けるl'oeuf game(テニス用語の「ラブゲーム」)だと思っている。
 人は様々な動機に基づいて行動する。複数の動機が働くこともあれば本当に何となく行動することもある。人の行動と動機の因果付けはしばしばこじつけられている。
 集団行動の目的が曖昧である以上に個人の目的はバラバラだ。旧日本軍のアジアでの戦争を侵略戦争と決め付けることは歴史を余りにも単純化し過ぎだろう。もしただの侵略戦争であれば、敗戦後もインドネシアの独立のために旧日本兵が戦うようなことなど起こり得ない。本気でアジア諸国の解放を理想とした人々が少なからずいたのだろう。
 中国(満洲)への侵略はともかく、それ以外について大日本帝国はそれほど酷いことをしたとは思えない。日本人がアジア人を代表して傲慢な白人と戦ったからこそ黄色人種が植民地支配から解放されたと考えるアジア人は少なくない。中国・韓国以外のアジア諸国で悉く日本に対する好感度が高いのはこれらの国々ではこのことがそれなりに評価されているからだろう。もしアフリカに日本のように白人と対等に戦った国があったなら、黒人が今尚差別と貧困に苦しめられている現状は随分違ったものになっていただろう。・・・勿論、これも1つの歴史解釈に過ぎない。