俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

期待値

2016-05-10 09:48:45 | Weblog
 期待値という概念は確率論の中でも最も重要だと思うのだが余り活用されていない。これは日本の教育の大きな不備ではないだろうか。今はどう扱われているか知らないが、私が高校生の頃は「数学3」で教えられた。だから進学校で理科系を選択した高3しか学ばなかった。これでは日本人の大半が学ばないということになる。
 多くの物事が期待値によって理解が深まる。良かれ悪しかれ、生活は損得によって左右され易い。入試、就職、結婚、病気といった様々なライフステージ上での問題は期待値に基づいて考えるべきだ。パスカルは期待値に基づいて「神を信じたほうが得だ」という驚くべき結論まで導いた。
 確率論の内、可能性は割と広く活用されている。しかし可能性は概念として中途半端であり余り応用が効かない。天気予報や地震予知などに使われているが、間違った理解が目立つ。
 天気予報は確率ではなく期待値を使うべきだと私は考える。降水確率が予報されているがこれは余り役に立たない。私は予想降水量に降水確率を掛けた降水期待値を独自に想定して予定の作成や変更に使っている。
 多くの人は降水確率に基づいて誤った判断をしている。降水確率100%と50%であれば殆んどの人が前者を悪天候と予想する。しかし1日の降水確率など余り役に立たない指標だ。午前0時1分や午後11時59分に1mlの雨が降れば降水という予報が正しかったということになる。私は時間帯別の降水確率と予想降水量に基づいて判断する。たとえ降水確率が低くても豪雨の可能性があれば危険な日だ。量と確率を掛けた期待値こそ役に立つ。
 期待値は乗物などの時刻表の作成にも使われている。利用者の待ち時間を最小にすることを目標にして算出すれば、等間隔で運行することで最小化できると簡単に算出できる。間隔のバラ付きが大きいほど客の待ち時間は長くなる。実際の時刻表はこの大原則にラッシュアワーなどを加味し、更に実際の混雑度などを実地検証した上で作られている。
 リスク管理こそ期待値の真骨頂だ。たとえその確率が低くてもそれが招く災害が巨大であれば期待値(危険度)は高くなる。期待値を理解していたら日本のような地震大国に原発を作るような愚策を選ばなかっただろう。
 その一方で「可能性はゼロではない」という言葉に騙されている人が多い。過剰に騒がれている食品添加物がその典型だ。確かに食品添加物の危険性はゼロではないが危険となる閾値を考慮すれば明らかに有益な化学物質だ。食品添加物よりも薬のほうが遥かに危険であることは期待値で考えればすぐに分かる。
 生きるか死ぬかの選択においても期待値は有効だ。確率上では二者択一であっても期待値は全然違う。幸福の期待値を算出すれば生きるほうが圧倒的に有利だ。勿論それと裏腹に不幸の期待値も高まるから総合的に判断したほうが良い。
 これほど有益な期待値を理科系の生徒にしか教えないのは全くけしからんことだと思う。利害だけではなく生き方にまで影響を及ぼしかねない重要な思考ツールとして活用できる手法だけに一部の人にしか教えないのは余りにも勿体ない。これは足し算を教えずに学校を卒業させるようなものだとさえ思える。期待値を理解すれば日本人は今よりもずっと賢明になる。ギャンブルの期待値を算出できるようになるだけでギャンブル依存症患者は激減し余暇の過ごし方まで変わるだろう。その時に真っ先に淘汰されるのは宝くじだろう。