俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

成金

2016-02-05 10:48:57 | Weblog
 ノブレス・オブリージュ(noblesse oblÍge)はフランス語で「高貴な者の義務」を意味する。貴族階級は庶民以上に思い責任と義務を負うという思想だ。
 日本の貴族であれば和歌を詠み蹴鞠をして「~でおじゃる」とでも言っているようなイメージがある。これは世界に類を見ない特殊な地位だ。貴族だけではなく皇室も特殊だ。古代においてはともかく中世以降の天皇は王よりも宗教的指導者に近い。国家・国民の安全を祈願して和歌を詠むことが最も重要な業務だ。和歌の役割は呪文や祈祷のようなものだ。
 ヨーロッパの貴族は日本とは全く違い、基本的には騎士(knight)だ。王のために命懸けで戦うことが本来の業務だ。
 騎士道を背景にして身を律するから考え方は日本の武士道に近くストイックだ。江戸時代までの日本にはノブレス・オブリージュがあった。しかし明治維新の四民平等によって消し飛ばされの価値観が支配する社会になった。サンフランシスコ平和条約が戦前・戦中・戦後史を歪めたように、維新政府もまた江戸時代史を歪めた。江戸時代の武士には地位に相応しい矜持があったがこれらは否定された。現代日本語にはノブレス・オブリージュに該当する言葉さえ無い。
 成金には高貴さが欠けている。だから私腹を肥やし庶民以上の権利まで得ようとする。一時期「重役出勤」という言葉が平気で遅刻をすることを意味していたが、アメリカの経営者は猛烈に働く。正に身を粉にして働くことが重役の仕事だ。
 日本でも民間では大半の企業でノブレス・オブリージュが蘇っている。地位が高まるほど責任は重大になり責任を全うするために大変な苦労をしている。しかし公務員と政治家においてノブレス・オブリージュは未だ充分に蘇っていない。
 救急医や消防隊員などは危険を顧みず命懸けで働くという高い職業意識を持っている。アメリカでは消防隊員は最も尊敬される職業の1つらしい。
 高貴さを欠いた権力者は醜い。権力者としての特権だけでは飽き足らず庶民の持つ権利も悉く我がものにしようとする。まるで中国が経済大国と発展途上国の顔を使い分けるように、権力者でありながら労働者としての権利も要求する。
 権利は誰が主張しても構わない。しかし特権を既に得ている人は庶民の細やかな権利を羨むべきではなかろう。庶民の細やかな小遣い稼ぎにまで割り込もうとする守銭奴のようなものだ。権力者はもっと責任と義務を自覚する必要がある。

医療批判

2016-02-05 09:56:11 | Weblog
 ニーチェはキリスト教の害毒を告発し続けたが俗物である私は医療の嘘を告発し続けたい。日本の医療は余りにも酷い。日本は決して医療先進国ではない。
 専門知識を持たない門外漢の私が医療を批判するのは彼らよりも因果性を理解していると自負しているからだ。彼らは因果性と相関性を区別できない。だからデタラメな医療を続けている。
 医療は確かに多くの人々を救った。しかしそれは主に2つの功績に基づく。病原菌や寄生虫の発見と欠乏症対策だ。それ以外の医療はオカルトのレベルに留まっている。オカルトと同様に、自然治癒力による治癒を自らの手柄と僭称している。動物には自然治癒力が備わっているから間違った治療をしても治ってしまう。そのために間違った治療法が放置されている。
 根本的な問題は対症療法を治療だと思い込んでいることだ。当たり前の話だが、骨折の痛みを消すことは治療ではない。やるべきことは骨の整形をした上で動かさないように固定することだ。後は自然治癒力が骨を接合するのを待つだけだ。
 下痢止めも治療ではない。有害物を排泄することの妨害でしかない。医療がすべきことは有害物の正体を見極めて適切な処理をすることだ。砒素カレー事件でもО-157による集団食中毒事件でも下痢止めを処方された患者の死亡率は極端に高い。ヤブ医者だらけだ。
 風邪の諸症状の大半が免疫反応だ。体温を高めて病原体の活動を抑えようとしている時に解熱剤を処方することは利敵行為だ。
 筋肉や関節を傷めれば炎症を起こす。炎症が起これば血流が増えて自然治癒力が高まる。これを妨害するのがアイシングだ。アイシングをすれば炎症は起こりにくい。しかしこれは自然治癒力の妨害に過ぎない。炎症を症状だと思い込んでいるから、炎症を予防できれば傷害を防止できるなどととんでもない妄想を持っている。因果関係を全く理解していない。炎症は傷害を治癒するために起こっているのにそれを敵視している。これは消防隊の妨害をすることによって火事が減ると考えるような気違いじみた発想だ。
 昔「♪み~んな悩んで大きくなった♪」というCМがあったが、人は悩み苦しむことを通じて成長する。悩む青少年に抗鬱剤を処方してパッパラパーの状態にしてしまえば成長する機会を奪う。それどころか精神に異常反応を起こさせる抗精神病薬を使えば異常者が増える。SSRIという抗鬱剤が治療薬として使われるようになってから鬱病患者は劇的に増えた。同様にアリセプトという治療薬が使われ始めてから認知症患者は激増している。これらは治療薬ではなく「向精神病薬」だろう。
 命を預かる医療がデタラメであることに私は義憤を感じる。しかし残念ながら私は医師ではない。素人が幾ら批判しても無視される。もし独学で医師の資格が取れるなら迷わずに取得するがそんな制度は無く、大学へ再入学せねば医師にはなれない。残り短い余生の使い方として大学の6年間は余りにも勿体ないから私は素人の立場で批判を続けるつもりだ。