俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

期限切れ

2016-02-19 10:32:16 | Weblog
 フランスでは今月3日に、売れ残り食品の廃棄を禁止する法律が成立したそうだ。この法律によると、延べ床面積400㎡以上の大型スーパーが、売れ残った食品を慈善団体などに寄付せずに廃棄すれば3,750ユーロの罰金が科せられるとのことだ。素晴らしい試みだと思うが大きな欠点がある。食品の売れ行きは天候などによって大きく左右されるから、日によっては何tも売れ残る。その際には寄付された慈善団体が廃棄責任を負わされるのだろうか。あるいは日本で言うところの消費期限切れ間近の食材、つまり腐りかけの食材を大量に押し付けられても迷惑なだけだ。
 日本でも食品の廃棄を減らすための取り組みは既に始まっている。YAHOO! JAPANの一部のサイトでは賞味期限切れ間近の食品を20~80%引きで販売しており、多くの小売店での夕刻の安売りは昔からの商慣習だ。比較的新しい物については安売りを義務付けそれで売れ残った物を寄付するという仕組みのほうが、少なくとも消費者と小売業者にとってはメリットが大きい。
 消費者は意外なほど無知で賞味期限と消費期限を正確に理解している人は少ない。私の場合、買い置きしていた食品の消費期限が1日過ぎていれば、匂いなどを確認した上で加熱して食べる。2日以上超過していれば大半を捨てる。その一方で賞味期限切れについては多少の超過など全く気にせずに食べる。
 賞味期限切れの食品は実際には殆んど傷んでいない。しかしそれを売るべきでないことは商業者のマナーだろう。これはスピード違反などと同様、線引きに過ぎない。何㎞/時以上で突然危険になる訳ではないように、賞味期限切れの食品も実際には安全に美味しく食べられる。
 賞味期限切れ間近の食品を安売りすることは、消費者としては支出の削減、小売業者としては収入増と支出減、国家レベルでは食料自給率の向上と貿易収支の改善へと繋がり得る。
 消費者の意識を高めることにもなるのだから、賞味期限切れ間近の食品の安売りは国や自治体がバックアップしても良いほど有益な商業活動であり、食の安全の観点からも何ら問題は無い。

一因

2016-02-19 09:46:27 | Weblog
 17日の朝日新聞に、昨年10月に新潮社などが発表した「新刊本が売れなくなったのは図書館の貸し出しが一因」との主張に対する批判記事が掲載された。様々な理由が並べられているが、要するに見出しになっている「本売れぬ要因は他に」もあるから「主張に矛盾」があるということだろう。
 例の「強制連行」と「吉田調書」の誤報の際にも露呈したことだが、朝日新聞は傲慢であり他者の主張の真意を理解することよりもレッテル貼りをしては勝手な解釈をしたがる。今回の記事にもその悪癖が現れている。
 新潮社の主張は「図書館の貸し出しが一因」であり「原因」とも「主因」とも言っていない。この記事でも2度引用しているが一方では「一因」もう一方では「要因の1つ」と書かれている。なぜこの事実を無視して「要因は他に」もあるから「主張に矛盾」があるなどと書くのだろうか。
 本が売れない原因は幾らでもある。思い付くままに挙げれば、無料情報の氾濫、読書人の減少、書物の質の低下、書店の減少など無数に挙げられる。これらは総て一因であり、図書館による貸し出しもまた一因であることを誰も否定しないだろう。
 朝日新聞の根本的な誤りは、原因は1つという幼稚な因果論に捉われていることだ。だから他にも原因があることを根拠にして新潮社の「主張に矛盾」があると決め付ける。しかし新潮社は元々「一因」と主張しており他の要因の存在を否定してはいない。それどころか新潮社らによる要望書案には「本や雑誌が売れないのは公立図書館以外にも様々な原因があります」と書かれていると、昨年10月29日付けの朝日新聞は報じていた。
 社会現象は単純な物理現象とは違って原因と結果が一対一対応しない。例えば昨今の株安の原因も無数に挙げられる。中国経済の失速、中東の混乱、原油安、アメリカの金融政策、ロシアの動向、アベノミクスとゼロ金利etc.etc.。それぞれが絡み合っているしどれも決定因ではなかろう。複雑な事象においては多くの「一因」があり得るが決定因を定めることは極めて困難だ。
 「これこそ決定因だ」と声高に主張する人は大抵妙なイデオロギーや偏見に凝り固まっている。イデオロギーに基づく世界観は偏狭だ。新聞記事は事実に基づくべきであり何らかの主張や意図を正当化するために書かれるべきではあるまい。