長良の鵜 ズボラ余生

「ズボラ余生とは」:
何事も、前向きに捉え、楽天的に生きていくことです。

孫との散歩

2012-06-03 08:40:42 | Weblog
昨日、娘と孫が遊びに来た。
そこで、近くの公園へ孫と2人で出かけていった。
そこには、孫と同じくらいの女の子と母親、祖父母も遊んでいた。
挨拶をして、写真を撮ってやるといったら、その女の子はキスでもするかと思うくらい近寄ってきた。
孫はいつも保育園で女の子にはなれていると思ったけれど、恥ずかしそうにしていた。
その後、タンポポの綿毛を飛ばしたりして遊んだ。
綿帽子を女の子に一つあげなさいといっても、黙って差し出すのがやっとである。
それに比べると、女の子は積極的である。
帰りには、「バイバイ」をしたのだけれど、自分の帰る道ではなくて、私たちのほうへ付いてくるため、母親が、帰り道を変更するくらいであった。

もんじゅ3委員に寄付

2012-06-03 08:39:52 | Weblog
高速増殖炉「もんじゅ」の安全性を調べるために設置された専門化委員会の委員七人のうち3人が、原子力関連の企業・団体から5年間で1610万円の寄付を受けていたという。
なぜ7人のうち3人かは分からないけれど、またかという気分である。
受け取っていた大学教授は、研究補助と安全性の評価はまったく別物。それによって甘くなることはありえず、逆に身内だから厳しく言える」とコメントしている。
他の2人も同じようなコメントを出している。
これは、寄付を受け取ったときから、頭の中で、このような想定問答集が出来ていたのであろう。
これによって、甘くならないといいながら、「身内」と自ら言っているように、寄付をもらうことによって、すでに身内意識まで働いてしまっているということであり、寄付をもらっても、甘くなることはないとどうしていえるのだろうか。
私などは、お賽銭を十円借りただけで(結果的には頂くことになるとしても)、その人から何か頼まれればいやとはいえないと思ってしまう。
また、年間数千万円をもらっている大学教授には100万円というお金ははした金かもしれないが、私などでは、一生宝くじを買い続けても、当選することのない高額なお金である。
もう何があっても、何を言われても驚かないのが、原子力ムラの姿である。