那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

田中清玄のこと

2012年10月29日 | 歴史
今日はいつも利用しているNTTのリモートサポートが私のPCにどうしても入れない、という生まれて初めてのアクシデントに出会った。
 相当長くかかる問題だとのことで、それは後日にして今ブログを慌てて書いている次第。

ブックマークにあるHPから「微笑禅の会」に入り、そこから「見性体験記」を一読してもらえればお分かりのとおり、私が禅に興味をもったきっかけは井上日召とこの田中清玄という右翼思想家・活動家が共に山本玄峰の弟子だったという事実を知ったからだ。だから「田中清玄自伝」は愛読した。この時代、彼の名前を知る人は少ないだろうから、wikiからザックリと抜粋引用した上で、若干の感想を述べる。いわば歴史探訪シリーズの一つである。
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田中清玄
田中 清玄(たなか きよはる、明治39年(1906年)3月5日 - 平成5年(1993年)12月10日)は日本の実業家、政治活動家、CIAエージェント、フィクサーともいわれる。「せいげん」とも通称された。戦前期の非合法時代の日本共産党(第二次共産党)中央委員長。転向後は政治活動家となり、戦後は実業家として三幸建設社長、光祥建設株式会社社長をつとめる。ロイズ保険の会員でもあり、日本人でロイズの会員になれたのは、田中清玄と南方哲也(元長崎県立大教授。南方熊楠の大甥)のみと言われている。モンペルラン・ソサイエティー会員。1993年(平成5年)12月10日、脳梗塞で死去。

1934年(昭和9年) 獄中で天皇主義者に転向。田中は後年つぎのように回想している。「幕末に朱子学と水戸学派によって著しくねじ曲げられた天皇だけが神であるというような狭隘な神道もまた、満足できるものでなかったことは言うまでもありません。毛沢東を絶対視した中国の文化大革命などは、私にとってはまったく気違いのたわごとにすぎませんでした。八百万の神といいますね、この世に存在するあらゆるものが神だという信仰ですが、この信仰が自分の血肉の中にまで入りこんでいて、引きはがすことができないと。そうしてその祭主が皇室であり、わが民族の社会形成と国家形成の根底をなしているということに、私は獄中において思い至ったのです。考えて考えて、考え抜いたあげくの結論でした」

1945年(昭和20年)1月、玄峰は公案に「日本をどうするか」を出した。清玄が「戦争をとめるしかありません」と言うと、「だめだ、練り直してこい」と却下。三日たっても答えられないでいると、「無条件で戦争に負けることじゃ」と怒鳴られた。本土決戦や聖戦完遂は、我執にとらわれているという。これで清玄は国を救う決意がかたまり、神中組という結社をつくる。また終戦工作に加担する。田中清玄は枢密顧問官の伊沢多喜男に相談。3月25日、赤阪で山本玄峰は鈴木貫太郎と会談、「事態を収拾できるのはあなただ」と言った。やがて鈴木に終戦内閣の大命が下り、日本はポツダム宣言を受諾した。

発言、以下、すべて『自伝』による。

尊敬している右翼は橘孝三郎と三上卓だけだといい、児玉誉士夫はもちろん、赤尾敏や野村秋介は小物としてかたづけた。右翼で最も近しかったのは四元義隆で、のちに松永安左エ門の助言で、三幸建設を譲っている。

「あんた、なんだと聞かれたら、本物の右翼だとはっきり言いますよ。右翼の元祖のようにいわれる頭山満と、左翼の家元のようにいわれる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存じですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて響き合うものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分たちだけでちんまりと固まったりする」

「政治家なら国になりきる、油屋なら油田になりきる、医者ならバクテリアになりきる。それが神の境地であり、仏の境地だ」

「日本はあと50年アメリカと組んでいくなどと言っている小沢一郎のような考え方と正面から対決していくべきだ」
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田中清玄のような型破りな大人物について一回のブログではとても語りきれない。
 wikiで触れていない重要なことがある。それは終戦後、田中が昭和天皇に「全国巡行」を直接提言したことだ。これにより、昭和天皇が行かれる場所は次々と舗装され、その町の基幹産業は飛躍的に生産効率が伸び、高度成長のきっかけとなった。
 余談だが、私の故郷の隣町に巡行されたときに出された高級茶菓子「山田屋饅頭」を陛下が好まれて、皇居に帰られてからも2度の注文があった。このため山田屋饅頭はクチコミだけで日本中のデパートに置かれるようになる。一時期はニューヨーク支店まで出来たと記憶している。

両極端は相通ず、という言葉がある。実際に人間は思想で動くものではない。思想などは10年もすれば古くなる。人間は人情で動くものだ。幕末の志士が命を捨てて国を守ったのは、唐人お吉のような不幸な女性が現れることへの憐れみの情だった。上陸した米兵に抱きつかれて泣いている女性がいると、浪人がサッと現れて米兵を切り倒して消えていった、という逸話がある。
 以前紹介した遠藤誠弁護士が山口組の弁護を引き受けたとき「弱気を助け、強きを挫くのが任侠道だ」と説法したように、主義主張や立場は異なっても、本物ならば響きあう何かがある。

「田中清玄自伝」はアマゾンでならタダ同然で売っているだろう。ぜひ一読され次には山本玄峰師の「無門関提唱」を熟読されることをお奨めする。これは私の人生を変えた本でした。今、夜の10時30分、まだやるべきことがあるので失礼します。



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
麻薬撲滅活動 (世良 康雄)
2015-03-07 22:10:13
田中清玄子孫は麻薬撲滅活動を先代のようにされているのですか?小沢一郎派取引の近衛牛場派廃仏毀釈落合信彦がMRA,Amnesty佐藤元首相派極真空手(Jac千葉、東孝等)と共に妙心寺派乗っ取り企てています

mixi RAMBO日記
Gree RAMBO日記
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