ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

朗読について 11

2012-11-21 18:28:14 | Weblog
 久しぶりに「朗読について」を書きます。

 今日は音読についてつらつらと想った事を書きたいと思います。

 いやいや、というより私今、内田樹著「街場の文体論」という本を読み終わったところでして、この本を読んでいる行為そのものについて思ったことなんですが・・・・・・。
 例によって私の読書の基本は音読です。ですからこの本も音読で読み通したのですが。

 この「街場の文体論」という本、内田先生の大学での最後の授業、講義を載録したしたものでして、受講生に向けて語られた文体なのです。

 そこで私は講師のごとき口調で声を出して読み出すわけです。が、読書なので対象となる聴き手に向けての朗読ではないわけです。あくまで私が私に向かっての読みなわけです。
 つまり、語り手と聴き手を同時に演じていることになります。

 ここで面白いのは、主観と客観が交錯して同時に私の中に、あるいは外に存在して進行していくことになる。しかし本来は、語るという主体を重んじて音読という行為がなされていくわけなのに、聴き手としての客体がその文章の、あるいは語られていく言葉を受けて大いに感化されたり、感動したり共感したりするわけです。

 いや、日常音読読書を繰り返す中で、私はこのことを無意識にやっていたわけですが、今回それがかなりクリアに浮き上がってきたんです。

 朗読という行為についての基本は、まず私という客体化された聞き手に向けて語られているということ、それを忘れないということだと・・・・・・。

「生成する言葉」どういう言葉が深く相手に伝わる言葉なのか、というこの本の中味ともリンクして、今回は非常に興味深い体感をしたので、ここに書き出してみました。