ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

11月になってはじめての更新になります。

2012-11-05 17:46:21 | Weblog
 10月31日以来になってしまいました。PCの前に座らなくなってしまうとこうも遠のいてしまうという、私の悪い癖です。
 いや、それだけアウトドアになっているということで、それも悪いことではないのですが、極端ですよね。

 さて、世の中は「暴走老人」が登場したり、まれに見る犯罪者が現れて、世間を賑わせていますが、私の日常は淡々とそして粛々と、日々を積み重ねて行っています。
 といって、まったく別世界に存在しているわけではないので、そのような情報を受け止めつつ、また東北の被災地のことも実際には何の行動もしているわけではないのですが心にとどめつつ、私の出来ることを出来る範囲にしている毎日です。

 やっぱり世の中は多勢に無勢なんでしょうか? 「暴走老人」を揶揄った人も「暴走」したりしていますが、相対的に人口割合の多い世代は発言力も大きくて、割合の少ない若い人たちの思いはなかなか世の中に反映されることは無い。
 まあ、世間に長けている長けていないといった意味や、立場や地位といったような意味合いもあって難しいのでしょうけれど、やはり若い人たちはどんどん世の中に向けて発言していくべきだろうと思います。だって、どの道若い人たちが担っていけなけれいけない社会なのですから・・・・・・。

 私ももうどうやっても若者の部類には当て嵌まらず、刻一刻と老年の域に近づいていっているのですが、おそらく老年となっても「暴走老人」にはなれなくて、せいぜいがこうあればいいな、ああもしたいなと思いをめぐらす「妄想老人」が関の山でしょう。

 一回り上の方々は、戦後の第一次ベビーブームの世代の方々で、ある人から「団塊の世代」と名付けられて何の文句も無く受け入れておられるようですが、よく考えてみれば団子の塊りと呼ばれているわけで、略さずに「団子の塊り世代」と言われたら腹の立つ人も居られるのではないか?
 私たちの世代も「優しい世代」なんて言われることもありますが、あまり定着はしていませんし、そんなに優しいやつばかりの集まりでもないと思います。
 むしろ現代の若者たちの方が優しい子たちが多いのではないかと思うくらいです。

 私には世間一般にいわれる「老後」というものが無いので、走り続けていかないことには「生」の継続が成り立たないのですが、しかし暴走には至れない。妄想の域に止まるしかない。
 そんなことをつらつらと思う今日このごろです。

 暴走できる方々はどうぞ、突っ走ってくださいませ! 玉と砕けるのもいいじゃないですか。うらやましい限りです。しかし、これからの世界を構築していく人たちの邪魔をすることだけはお慎み願いたい。私たちは次の世代により良く譲り渡していくことが、最大の仕事ではないのかを、肝に銘じて行動してくださいませ。
 それだけが私の願いです。上も下も、右も左もありません。世界はひとつです。