ひとり語り 劇車銀河鐵道 いちかわあつき

 ひとり語りの口演や、絵本の読み語りなどの活動をしています。
 何処へでも出前口演致します。

眼には見えない会話・・・・・・。

2012-11-07 22:55:52 | Weblog
 先日あるところで絵本の読み語りをしていましてね。いつも何か少し話しをしてから、それで必ずといっていいほどオープニングにもぅていく絵本があって、まあその題名を読んだだけで子供たちの笑いを誘うんです。題名でない場合は1ページ目くらいかな?

 それでその時も子供たちから笑いを誘えたんです。が、次の瞬間先生が「そこ、笑うところじゃないでしょう」って、子供たちの笑いを止めちゃったんですね。
 これは正直やり難かったですねえ。それから子供たちは笑うことを制御されて、少し固まってしまいました。それをほぐすのに少し時間が掛かりました。

 先生にしてみれば読み手の私に失礼だと思われたんでしょうね。お話しはちゃんと聞くものだって。まずはそういうのがあるでしょうから、きちんと礼儀正しく聴かせなくちゃいけないと。
 うん、無理もないところかもしれません。しかしそれは大人の論理です。
 いや、別に先生を批判しているのではありません。対応は様々あっていいし、こうでなきゃダメというのは、原則私の中にはありません。それも然りなんです。だから、後で何も言いませんでしたし・・・・・・でも、ちょっとだけ、ここに記事として載せてしまいました、すみません。

 ただ私がやっているのは「読み聞かせ」ではないんです。やはり「読み語り」なんです。ここのところはわかっていただきたいのです。
 どう違うのかは微妙なんですが、一方的に聞かせる行為ではなく語り合っている。つまり会話、対話をしているのです。もちろん実際にやり取りする場合もありますが、そればかりでなく眼には見えない会話を交わしていることもある。
 そこには言葉の意味合いを越えて、音の交信といったニュアンスも含まれてあるのです。
 子供たちは敏感です。とても感度のいいアンテナを持っています。だから笑いの波長や怒りの波長、様々な感情を理屈ぬきに察する能力を受け止めるのに柔らかい。
 だからこそ傷付きやすくもあるわけで、その時々の子供たちの反応や状態を眺めながらやり取りをするのです。

 そうしてそうやってこの「読み語り」を行う場合、やはり子供たちへ向けて淡々と読むという行為はNGだと思います。
 あくまで的確な感情表現行うというのが条件ですが・・・・・・。

 いやいや、それを何方にもといっているわけではありません。お母さんやお父さん、先生方が絵本を読んであげるのに上手い下手のテクニックを強要するつもりはさらさらありません。だから、本来は読み方のマニュアルなんて存在しないのです。
 ただそこに必要なのは、伝えようとする心であり、借り物でない言葉の実だけです。
 心を込めるということの本質は、その言葉に嘘がないというそれだけのこと。私からあなたへという、しっかりとした対象を結んでいる、それだけのことなんです。