「菜の花忌」の2日後の2月14日に、ある学校でこの表題の司馬さんの文章を読まさせてもらいました。
1989年に小学校の教科書用に書かれたものが、2001年に絵本となり、それを紹介させてもらったのですが、この文章を読みながら思うこと考えることがいっぱいありました。
司馬遼太郎という人が考え望んだ21世紀というものとは、まだまだ程遠い21世紀をどうも私たちは生きているみたいです。
確かに日々時代は変化し、すべてが悪い方向に向かっているとは必ずしも言いませんが・・・・・・。
争いごとは身近にも、また世界的にも絶えないようです。身近にも世界的にも問題は山積みで、ひとつひとつ解決の方向を探っていかなければなりません。しかし、その優先順位というものが問題ではないのかと・・・・・・。
何においても環境問題が優先されるべきではないでしょうか。地球という私たち人類、すべての生物の基盤が失われたら元もこうもないのですから。
自然に寄り添うかたちでものごとが論じられれば、様々な問題の解決の糸口は見えてくるのではないのでしょうか?
しかし、やっぱり人間は私利私欲がどうしても頭ひとつ出て、そこから抜け出せないのでしょうか?
農業以外の業に対して、「虚業」という言い方をすることがあります。
亡くなられた数学者の森毅先生は、農業従事者以外は寄生虫なのだとおっしゃられていました。
それは決して生産者以外を貶めたり蔑んだりした表現ではありません。しかし、私をも含めて寄生虫であることの戒めを持って生きる。そして、大いなる自然に対して謙虚でなければならないということを、常に肝に銘じていなければいけないと思うのです。
1989年に小学校の教科書用に書かれたものが、2001年に絵本となり、それを紹介させてもらったのですが、この文章を読みながら思うこと考えることがいっぱいありました。
司馬遼太郎という人が考え望んだ21世紀というものとは、まだまだ程遠い21世紀をどうも私たちは生きているみたいです。
確かに日々時代は変化し、すべてが悪い方向に向かっているとは必ずしも言いませんが・・・・・・。
争いごとは身近にも、また世界的にも絶えないようです。身近にも世界的にも問題は山積みで、ひとつひとつ解決の方向を探っていかなければなりません。しかし、その優先順位というものが問題ではないのかと・・・・・・。
何においても環境問題が優先されるべきではないでしょうか。地球という私たち人類、すべての生物の基盤が失われたら元もこうもないのですから。
自然に寄り添うかたちでものごとが論じられれば、様々な問題の解決の糸口は見えてくるのではないのでしょうか?
しかし、やっぱり人間は私利私欲がどうしても頭ひとつ出て、そこから抜け出せないのでしょうか?
農業以外の業に対して、「虚業」という言い方をすることがあります。
亡くなられた数学者の森毅先生は、農業従事者以外は寄生虫なのだとおっしゃられていました。
それは決して生産者以外を貶めたり蔑んだりした表現ではありません。しかし、私をも含めて寄生虫であることの戒めを持って生きる。そして、大いなる自然に対して謙虚でなければならないということを、常に肝に銘じていなければいけないと思うのです。