瞑想と精神世界

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ユングの臨死体験

2019年06月08日 | 覚醒・至高体験をめぐって
『臨死体験・気功・瞑想』というサイトが閲覧停止になったのに応じ、その内容を新たに作った『霊性への旅』へと移行させることになった。「覚醒・至高体験事例集」は前サイトの中心になるコンテンツであった。その事例をひとつひとつ新しいサイトにアップしていくが、その都度、ここにその一部を紹介していきたい。最初はユングの臨死体験にともなう覚醒体験である。

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 臨死体験者の変化を全体として見ると、その根底には、「自分の周囲のあらゆる人々や生物、事物に心を開き、それらをあるがままに受け入れ、愛し、慈しみ、それらとの一体感を感じるようになる」と表現できるような傾向があるようだ。少なくとも、自分ばかりが可愛くて、自己と世界との間に垣根をめぐらして自分を守っているのとは逆の方向に、多くの臨死体験者は変化している。一言でいえば、臨死体験者には自己への囚われから自由になっていく傾向があるらしい。
 臨死体験者のさまざまな意識変化の謎は、「自己」への囚われからの解放という視点から説明すると、かなり納得できるように思う。以上のことを確認するために、ここではフロイトとならんで潜在意識の偉大な探求者であったC.G.ユングの例を考えてみたい。

◆「私は存在したものの、成就したものの束である」◆  
  ユングも、その晩年に臨死体験をしている。彼の場合は、「宇宙との一体感」を語っているわけではないが、自己への囚われや執着からの解放という点ではかなりはっきりとした自覚を持っている。自伝『ユング自伝―思い出・夢・思想 』のなかで、69歳でのその体験をつぎのように語る。 (自伝は、全二巻に分かれており、この体験が語られるのは二巻目である。)
 
 1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で思いこんでいた。後日、付き添っていた看護婦は、『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸がみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭は素晴らしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた。地球の大部分は着色されており、ところどころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。(中略)
 どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも美しいものであった。


 このときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆氏も指摘するようにアポロが撮った地球の写真の姿と驚くほどぴったりと合っている。しかもユングはこれをアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているのである。  
さてユングは、しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石のような黒い石塊が宇宙空間をただよっているのを発見する。その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。ユングはその中に入っていく。

続きは以下でご覧いたきたい。⇒ ユングの臨死体験
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