瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

ドリームボディ

2006年09月15日 | 読書日誌
◆『ドリームボディ』アーノルド・ミンデル(誠心書房、2002年)
久しぶりにミンデルの本を読んでいる。ミンデルの処女作であり、彼自身が「ドリーミング・ボディに関する最も綿密で学問的な紹介」とする代表作である。読み始めてすぐにミンデルの世界に魅了されてしまった。

ケン・ウィルバーも統合的な思想家だが、アーノルド・ミンデルの「ドリームボディ」もまた、生きること、およびそこに現れる様々な症状や問題をきわめて統合的に捉える視座を与えてくれることに驚嘆する。

ヴィパッサナー瞑想の合宿でこれまで何回か経験してきたことは、「ドリームボディ」が私のなかで自ら展開していった結果なのだと表現することもできる。ドリームボディは、通常は認識できない微細な感覚として、徐々に夢のイメージや身体経験、様々な症状のなかに現れてくる。様々な症状は、病理上の欠陥というよりも「大いなる夢」であり、これまで体験されない人生を切り開いていく大切な機会である。症状が大変であればあるほど、それは人により大きな可能性を開くのだろう。

日常的な意識から見れば、ドリームボディは現実から逸脱し、それを脅かす幻のように見えるだろう。しかし、ドリームボディからは、物質的世界や身体は、抑圧と不幸を生み出す「瓶」のように見える。現実の身体は、自我の恐れや堅さ、頑固さによって作り出されいるかのようだ。

「親愛なるプルシャ、ダイアモンド・ボディ(金剛体)、メルクリウス、アートマン、自己[セルフ]よ、――人生と呼ばれる自ら求めたこの苦しみの責任は汝自身にあることに目覚めよ。汝自身がその責を担うべき病を受け入れ、汝を教え導く瓶(=閉じ込めるもの:引用者注)のみが汝自身の真の性質に目覚めさせることを知れ。汝は文化と呼ばれるこの拘束を、あえて若返りや、自己の実現のために選んだのだ。汝の強迫を生きることを直視せよ。さすれば、汝は自分が誰であるかを思い出すであろう。」(P72)

この言葉には参ってしまう。まさにこれが生きるということなのだと思う。もちろん自己[セルフ]はドリームボディでもある。私のなかにドリームボディが自ら目覚めようとするプロセスがあることを実感するが、その目覚めのためにこそ、人生の様々な問題や苦しみがある。病も人間関係の苦しみも。今、私はその真実に深くうなずく。


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