瞑想と精神世界

瞑想や精神世界を中心とする覚書

さ迷う心に気づくようになる

2013年06月25日 | 瞑想日記
週に4日は、朝40分から1時間ほど瞑想をしている。昨日は45分ほど。これまでずっと続いていた比較的クリアなサティ(気づき)があまり保てなかった。今日は1時間ほど。雑念は比較的多かったけど、後半によくなった。

次のようなツィートをした。

「心は常にころころとあちこちに転がるから心という?心は四方八方に飛び、これを思っていたと思えば次の瞬間はあれを考えていて、自分でもフォローできない程だ。だからこそ瞑想中は基点となる一点を設け、心がどこかへ飛んだと気づいたらそこに帰るようにすると、自分の心の動きがクリアに見えてくる。」

確かに私たちは、一瞬前に考えたことも覚えてい程、様々な思いが湧いては消え、湧いては消えを繰り返している。だから腹の動きなら動きを基点にして、心がそこから飛んで行ったらそれに気づいて(サティして)また基点に戻るという作業が、シンプルだが大切な意味をもつ。

心をある程度は基点に据えられるようになると、たとえ心がどこかへさ迷っても、そのままあちこちさ迷い続けることがなくなる。こころが今何を考えたがすぐに分るようになる。そして基点に戻る。それを繰り返していると、「つねにさ迷い脳内に波紋を増幅し続ける」という心の性癖が、だんだんとコントロールできるようになる。少しさ迷ってもすぐに気づき、戻る。そうなると波紋が少なくなり脳内が澄んでいく。それがはっきりと分るようになる。その喜び。心が澄んでいくその感じが分かるようになると、瞑想は大きな喜びとなっていくだろう。

さ迷う心に気づいたら腹への集中に戻りまた戻るということを繰り返していると、さ迷う心が作る波紋が少なくなり、脳内が澄んでいくのが分かる。そうするとさらに脳が澄んだ状態になることを願い、ますます瞑想を続けることになるだろう。