Netfrixの「浅草キッド」を観てから、良い役者とか演技とはなんだろうと考えることが多くなった。
そもそも演技の良さ、というのはなんだろう。これは私にとってはよくわからない。私の場合、役者や演技の「うまさ」とは、米飯のうまさと一緒で、良いとか普通がわからない。ただ、「まずい」ものを食べたりみたときだけわかる。そんなかんじのもの。
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そもそも、世の中の役者とか演技を十把一絡げに論ずるのも難しい話だ。
まず、テレビなどのドラマや映画と、演劇舞台で行われるものとは役者に必要な能力が違ってくる。
舞台というのは、たとえば宝塚や劇団四季などのように劇場で行われるものだ。劇団の演劇もこちらに入るだろう。これらには専門的な身体操作が求められる。歌、ダンスや踊り、発声方法、身振り手振りなど。日常生活そのままの発声や動作ではだめだろう。なので演劇や舞台向けの役者になるのであれば、必要な肉体操作方法を学ばないとやっていけない。
それとは代わって、ネットやテレビや映画などのドラマなどでは、舞台演劇よりは特殊な肉体操作が少なかったりする。アクション俳優や格闘をメインにしたものは別かもしれないが、それも役者の代役がかわりにやってくれることもあるので、メインではないことも多い。
こういう特殊な身体操作が比較的少ないものに出演する場合、役者に求められる要素の多くは「肉体的魅力」である。特に主役や、そこに準ずる役を得るのであれば、肉体操作法の上手下手よりも、顔の良さ、身長の高さなど、その肉体「世間に受け入れられた美」かどうかは大きな指標だろう。いわゆるイケメンとか美女とかそういう括りだ。
で、肉体美や肉体的な魅力というのは、努力や工夫でどうにかなる部分もあるが、どうにもならない部分も多い。それは身長であったり、顔のパーツの配置や大小であったり。整形をするという手もあるが、それはそれで課題もある。
そもそも肉体美というのは、あくまで「いまの世間で言われているもの」である。あくまで相対的なものだ。そういう意味では、相対であるから「自分は美しい」という意図で生きれば世間の常識すら塗りつぶし上書きし、世間を振り向かせることも可能ではある。が、それは生まれついて「美しい」とされる人よりはハードルが高い行為ではある。なぜかというと精神的な修養などが必要になるから。
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色々書いてくるととっちらかってくるが、まず役者に必要な能力というのは案外多方面で、自分が行きたい方向性の技術を身につける必要がある。
で、肉体的な美しさに恵まれていないものは、各種の身体操作法を極めるというのもあるが、それもなかなか難しい部分も多い。
では、どうやって役者として能力向上させるのか?と考えた時に、占星術はその参考になる可能性が高い。
簡単にいうと、サインを使う。火、風、水、土。それぞれの惑星がもつサインを読み取り、自分の適性を知り、そこからとっかかりを作る。
たとえば水のサインが豊富であれば、技術云々ではなく「人の感情を惹きつける」特性がある。演技力とかそういうのを無視した魅力なので、技術的には大根であってもファンや世間の支持が得られる。そのため、テレビや映画などでは有利かもしれない。
逆に火のサインであれば、舞台のほうが向いているかもしれない。その精神性を受肉させる器として、少なくともテレビドラマは心もとない。映画通の人間が賞賛するような映画や、舞台演劇のほうがその特性が活かされるだろう。
土や風のサインは、水と火それぞれを補佐するサインと見ることもできるだろう。土は堅実な努力や枠組み、風はコミュニケーションや知識。その人がまだ役者として安定していない場合、どうやって土台となる生活を安定させるのかにも気を配らないといけない。土と風は、その足がかりの一助となる。
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結局、ホロスコープは人によって指紋のように違うので、ここで「誰にも共通」ということは書けない。書くとそれに囚われるし。ただ、才能や能力に一見恵まれた「子役」が、そのまま大成しない事例が多いように、若いうちに一見恵まれた能力をホロスコープ上もっていたとしても、それを有効に使っていかないと、結局は生き残れない。
逆に、人生の後半以降で役者として名をあげることも可能だ。ただし、本人がその決意を持たなければ別だが。
ホロスコープは全て持っている。占星術家は星があるところばかりを見がちだが、星が何もないところも人は全てを持っている。星がないから諦めるのか、星がなくてもそこを工夫して探索し、自分がその能力を引き出すのかはその人次第。