そもそも何をもって高次存在というのか、基準はなにか、という話もあるのだけれども。
自分の生活の軸足が物質(肉体)である人間がいて、エーテル体に軸足を置いている存在以上のものを「高次存在」としたとする。妖精や妖怪、生霊、悪霊も人間よりは「高次元」ね。
で、自分のメインガイドは割に「高次元」で、たとえばヘミシンクのフォーカスレベルで仮にいえば、1万とか10万くらいのところに位置するという。もちろん公式の数字ではないので、仮にとか、地球からの距離感で大雑把に例えるならという話。
先日もここにちょろっと書いたけど、人間が非物質的感覚を駆使して認識できる世界を「一つの生命の樹」としたら、私のメインガイドは、この生命の樹を複数にわたって自由気ままに横断したり、手を加えたり?中に入ったりできる?ような存在らしい?ので、もう肉体もった人間がきちんと認識できる以上の情報なんだよねーというかんじ。
で、そのメインガイドが私の魂だかの大元らしい?よ?
知らんけど。
もし私が「人間やめるぞーーー!○○ーーー!」っていったらやめれそうな気もする。
だけど、まあ人間として存在している理由もありそうなんで、いまのところ人間やっている。
あと、「人間としてとりあえず寿命(とか、あるのなら使命)をまっとうする」と意識しないと、とっとと人間やめかねない。だって、大元にかえったほうが喜びだもん。この面倒な世界に存在するのは、なかなかもってしんどいし疲れる。そしてなにより「寂しい」という感覚が強い。非物質的な知覚が向上するごとに、寂しさがずっと横たわる。
とりあえず人間として生きるなら、せっかくなので、らくで、楽しくて、おもしろくて、知的好奇心を刺激される日々がいい。
高次存在と付き合うということは、「自分は何しに地球へ?」という感覚を自問自答することも必要なのかも。特に私の場合、保留事項だけど、自分の意志で地球にきたのではなく「落とされてきた」という記憶?体験?の思い出があるからね。もう人間を積極的にやる意欲があまりないのかもしれない。できるだけ幸せにいきたいものです。