雪が溶け始めたせいか、屋根の雪が、ぽたぽたと日中は、滴となり、流れ落ちてくる。夕方から、夜に掛けて、気温が下がり始めると、水が、したたれ落ちるのではなくて、そのまま、氷に固まり、つららとなるのだろう。北側の軒下を眺めると、結構、長いつららが、できている。30cm以上はあろうかと、思われるものもある。軒下を歩くときは、気をつけないといけない。こんなものが、頭を直撃したらたまったモノではない。重さに耐えきれず、足許に、何本かは、落ちている。水の滴ならば、せいぜい、首筋をすくめるだけで、済むが、、、、、、。それにしても、久しぶりに、眺めるつららである。雪国では、当たり前ではあろうが、、、、、。これも又、小諸の里山のこの季節の一興である。先日の雪では、荘内では、50本以上もの樹木が、倒れたり、枝が折れたりしたそうである。さすがに、つららで、怪我をしたという人は、いないらしい。やがて、つららも、溶け、春の訪れの気配が、濃くなってくることであろう。この里山は、国道18号線とは、標高差で、200m程度の差があるせいか、まだ、梅の花も、咲いていない。いつも、山桜は、ゴールデン・ウィークにならないと、開花しない。暦は、3月なのに、ここでは、未だ、冬の様相である。一雨毎に、暖かさが、増してくるのだろうか?つららも、それまでの泡沫の命だろうか?
このブログの右下のブック・マークに、リンクを貼っている「タラワ慰霊巡礼の旅」を、英文翻訳して、サイトに、載せていたところ、米国側から、幾つかの反応があり、薬莢の返還や、遺品の返還活動への協力をしてもらえそうな展開が最近あった。そんな中で、アメリカ側から、眺めた若い海兵隊員の戦死者への詩が、掲載されていたので、読んでみた。別途、この本を、著者に、メールして、購入してみようかと考えている。翻訳でも、時間があれば、してみようかとも思うが、、、、。そのサイトの中で、米国側から見た若くして戦死した海兵隊隊員の想いを、詩に託した文章が、眼を引いたので、引用してみたい。ギルバート諸島、タラワ環礁戦で、若くして戦死した海軍の叔父も、全く、同じ思いであろうと思う。
Bring Me Homeという詩の題名
Bring me home ? so I may lie beneath the soil for which I died ? beneath the sun of liberty ? beneath the flag that set me free ?
Bring me home from foreign lands ? where slumber is no place for man who freely gave his life for thee ?
Bring me home ? let me be in arms of flowers planted still ? upon the grassy green of hill ? where memories of me still live ?
Bring me home ? give to me the thanks of all ? who live beneath freedom's call ? who recognize my gift of life ? so others may live free of strife ?
Bring me home ? I plead and pray ? and let me sleep till final day when all are called to come back home ? when no one shall lie alone ? when all the world is set free ?
Bring me home ?
Please bring me home ? I cry to thee ?
By Barbara Despres
May 27, 2008
私を故国へ戻して下さいー私が死んだ土の下に横たわっているかも知れないのでー自由の太陽のそのしたでー私を自由にした星条旗の下に、
私を見知らぬ外国の土地から、故国へ戻して下さいーそこでは、彼の命を自由に捧げた男には安らかに眠りにつく場所は、どこにもありません。
私を故国へ戻して下さいー静かに植えられた花に包まれていさせて下さいー丘の芝生の草の上に、-そこでは、私の記憶が今でも生きているのです。
私を故国へ戻して下さいー私に全ての人の感謝を下さいー自由の呼び声の下で、生きている人々の、そして、命という私の贈り物を認識してくれる人々、―それ故に、他の人々は争いもなく、生きていられる訳なのです
私を故国へ戻して下さいー私はこう言いたく、祈りますーそして、全ての人が、皆、故国へ戻れるよう最期の日まで、眠らせて下さい。-その時は、誰も、一人で、土の下に横たわっていないでしょうーその時には、全ての世界が、自由になっているでしょうー
私を故国へ戻して下さい
どうか、お願いだから、私を故国へ戻して下さいー私は、汝に涙します。
バーバラ・デスプレス
2008年05月27日
Bring Me Homeという詩の題名
Bring me home ? so I may lie beneath the soil for which I died ? beneath the sun of liberty ? beneath the flag that set me free ?
Bring me home from foreign lands ? where slumber is no place for man who freely gave his life for thee ?
Bring me home ? let me be in arms of flowers planted still ? upon the grassy green of hill ? where memories of me still live ?
Bring me home ? give to me the thanks of all ? who live beneath freedom's call ? who recognize my gift of life ? so others may live free of strife ?
Bring me home ? I plead and pray ? and let me sleep till final day when all are called to come back home ? when no one shall lie alone ? when all the world is set free ?
Bring me home ?
Please bring me home ? I cry to thee ?
By Barbara Despres
May 27, 2008
私を故国へ戻して下さいー私が死んだ土の下に横たわっているかも知れないのでー自由の太陽のそのしたでー私を自由にした星条旗の下に、
私を見知らぬ外国の土地から、故国へ戻して下さいーそこでは、彼の命を自由に捧げた男には安らかに眠りにつく場所は、どこにもありません。
私を故国へ戻して下さいー静かに植えられた花に包まれていさせて下さいー丘の芝生の草の上に、-そこでは、私の記憶が今でも生きているのです。
私を故国へ戻して下さいー私に全ての人の感謝を下さいー自由の呼び声の下で、生きている人々の、そして、命という私の贈り物を認識してくれる人々、―それ故に、他の人々は争いもなく、生きていられる訳なのです
私を故国へ戻して下さいー私はこう言いたく、祈りますーそして、全ての人が、皆、故国へ戻れるよう最期の日まで、眠らせて下さい。-その時は、誰も、一人で、土の下に横たわっていないでしょうーその時には、全ての世界が、自由になっているでしょうー
私を故国へ戻して下さい
どうか、お願いだから、私を故国へ戻して下さいー私は、汝に涙します。
バーバラ・デスプレス
2008年05月27日
女房殿の実家である農家は、朝霞で、大和芋を作っていて、私達が結婚した頃には、一寸、福王の地下足袋などを履いて、恰好だけは一人前で、手伝いにも行ったものであるが、土が軟らかいと言っても、結構、真っ直ぐ、引き抜くのは、なかなか、難しかったのを、今でも、覚えている。そのネバネバが、身体に良く、中国では、乾燥長芋は、糖尿病の漢方薬にも使用されているそうである。整腸作用や、栄養バランスなど、結構、良く、血糖値も下げるらしい。小さいものを買ってきて、摺りおろすのであるが、皮を剥くと、自然に、白い色の芋が顔を出し、只、摺るだけであるのに、どういう訳か、初めの部分と最後の部分が、茶色のままで、結局、摺りおろし後は、茶色と白のブレンドになってしまった。それでも、だし汁を注ぎ、卵をかき混ぜ、ごまかしに、醤油を入れ、更に、お酢の代わりに、少量のポン酢を入れたところ、完全に、茶色と化してしまった。(味は、非常に、良いのであるが、、、、。)本来であれば、蕎麦にしたいところだが、たまたま、冷凍庫に、うどんが残っていたので、急遽、緑色の青物として、ブロッコリーを入れて、きざみ海苔を載せて、生卵を落として、取りあえず、とろろ芋うどんの完成である。切り干し大根煮を、添えて、食することとした。味は、なかなか、良かったものの、どうも、味覚よりも、色目が、美的感覚が、満足できず、一寸、残念である。毎度のことだが、まあ、男の手料理だから、良しとするか?旨ければ、それで良しとするか?相変わらず、困った根性である。
我々が、若い頃は、所謂、「直行直帰」、即ち、取引先に、直接往き、仕事後は、直接、帰宅するという行為は、管理上、好ましくないという理由で、とても、会社や中間管理職の立場からは、煙たい存在と、考えられていたものである。震災や節電を直接の契機とはしているものの、ITのPC遠隔操作やセキューリティーの進歩で、今や、テレワークが、じわじわと、浸透し始めているようである。確かに、大抵のファース・トフード店は、WiFiだし、印刷さえ、コンビニに、飛び込めば、プリント・アウト可能である。オフィスという物理的な存在や、朝礼といったものが、これまでは、直接的なコミュニケーションの手段として、不可欠だという理由から、肯定されてきた。家庭で、通勤の痛みもなく、仕事ができ、自然の景色を眺めながら、スカイプや、メールでもできれば、或いは、親の介護をしながら、お金も稼げれば、それに越したことはないであろう。都心のオフィスにいる中間管理職は、部下のいない事務所で、逆に、ネットのテレビ電話で、指示や指導をしなければならなくなるであろう。「仕事に対する考え方」を変えていかなければならないかも知れない。既に、社会は、その働き方と言うところで、大きく、近く変動が始まっているのかも知れない。もっとも、私の経験からは、自宅での仕事は、なかなか、区切りがつかなくて、結局、長時間労働になりがちであるが、、、、、。いずれにせよ、時代は、もう止められない方向性へ、向かっているのかも知れない。そんなことを都会の高層ビル群の窓からではなくて、野鳥の餌台を眺めながら、松林の中から、そんなことを考えるのも悪くはない。
「聖地巡礼」等というと、イスラム教徒が、何とも、目くじらを立てるのではないかと、心配してしまうが、どうやら、そうではないらしい。我々の世代では、鉄腕アトム程度のアニメで、どちらかといえば、せいぜい、活字中心の「少年」や、「少年画報」、妥協しても、「少年サンデー」や、「少年マガジン」といった漫画「本」世代である。従って、昨今、人気を得ていると称されるところのラブ・コメディー・アニメは、とんと、関心がない。そんな中、何でも、アニメの背景の景色に、地方の名所などが、細密な映像として使用されたり、地方産品が、チャラクターにより、紹介されたりして、一部のファンが、その地方を、大挙、遠方から、突然、旅行訪問してきて、アニメの中で、取り上げられた「架空の祭り」までも、実際、現実的に、実施されたところ、数多くの若い観光客で、賑わったそうである。何とも、ここまで来ると、恐れ入る次第である。恐るべきアニメ効果というか、オタク文化なのか、それとも、これも、「Cool Japan」 になってしまうのか?経済的な波及効果も、少なからず、あるようである。もっとも、これを逆手にとって、変に、意図的に、売り込むとやはり、見透かされて、どうも、今一、反応は、企画者の意図とは、一致しないようであるが、、、、、、。何はともあれ、目くじらたてずに、鄙びてしまった街が、商店街が、活性化されれば良いか、それとも、孤高を貫き、志を高く、孤立、沈んで行く道を選ぶべきなのか?難しいところである。確かに、活性化へのきっかけや、ツールには、なるかも知れないが、それを生かすも、殺すも、その街の人々の意識と行動次第ではあろう。今年の夏は、若い、「聖地巡礼」の観光客が、押し寄せるのだろうか?何はともあれ、期待したいところである。フィルム・コミッションも、協力して、町おこし、活性化プロジェクトを立ち上げたらしい。息の長い活動を支援し、見守りたいが、島崎藤村等の意見も聞いてみたいところである。
http://home.catv-yokohama.ne.jp/88/nm-kita/komorokai/index.htm
http://home.catv-yokohama.ne.jp/88/nm-kita/komorokai/index.htm
雪かき終了後、温泉のヨガ教室に参加しようと車に乗ると、何と眼前の松の木が、2本斜めに、道路に倒れかかり、かろうじて、車の屋根ぎりぎりで、幸いにも、通ることができた。管理事務所へ、連絡に行ったところ、各所で、雪による倒木で、道路が寸断されて、チェーンソーで、処理していると、オマケに、倒木による電話線や電線が、寸断され、停電や、電話回線が不通になっていると、、、、、、。ライフ・ラインの維持・管理は、気候に関係無く、昼夜を問わず、なされていることに、改めて、感謝したい。午後、教室から帰ると、雪は、幸い、止んでいたが、どんよりとした雪雲に包まれて、気温の上昇とともに、今度は、樹木の枝に積もった雪の塊が、ぽたぽたと溶け出して、薄くなった頭皮の上に、下垂れ落ちてくる。しかも、危険なことに、木の上には、折れた枝が、重なり合っていて、雪かきをしていても、ド、ド、ド、ドッと鈍い音を発して、雪の塊が、落ちて来る。パラパラならば、危険ではないが、針葉樹の松葉に固まりついた氷は、危険である。急斜面の屋根の上の雪も、又、同じように、突然、落ちてくる。どうしてどうして、なかなか、春の雪は、粉雪とは言っても、まだまだ、溶け始めたとはいえ、雪の層は、重い。我が老犬は、シャーベット状に溶けた雪の塊を、何を思ったのか、かき氷とでも思ったのであろうか、ムシャムシャと、突然、食べ始めた。自然は、それでも、強いモノが、結局、生き残り、倒木に耐えて、又、春に向けて、成長していくようである。野鳥たちは、餌を探し求めて、一面の真白い世界を飛び回り、カモシカや、ニホン鹿は、それでも、保護樹林の森の中で、木の皮を食べながら、生き抜いて行く。東京にいると、電話線や電線や、道路の保守、除雪、倒木の除去の作業も、消火栓の点検・保守も、ライフ・ラインのことも、全く、知らずに、天気予報の大雪警報を只、見聞きするだけであるが、成る程、雪かきの裏側には、こうしたことが、日常で、なされているのかと、改めて、感じることは、得がたい体験である。夕方から、溶け出した雪が、夜半には、凍ってアイスバーンになるのであろうか?坂道が心配である。
昨夕方から降り始めた雪が、朝起きてみると15cm位積もっていて、依然として、降り続いている。この調子では、今日一日中、降り続くのであろうか?玄関先から、アプローチ、階段、そして、車に通じる処を、ほうきとスコップで、雪かきを始めた。我が老犬も、オレンジ色のレインコートを着せて、雪の中で、遊ばせることにした。荘内は、主要な道路に、朝早くから、ラッセル車が、出動してくれて、除雪作業をして貰えるので、随分とその分は、助かる。朝早く、或いは、夜遅くまでの作業には、大変、感謝したい。まだ、小諸の雪は、新潟県側の高い山に、湿った雪を降らせる関係で、比較的乾いた粉雪っぽいのは、新潟県人には、申し訳ないが、有難い。それでも、スコップで、降り積もった雪をかきながら、一かき、一かき、除雪するのは、腰に負担が掛かる。結局、1時間余りで、一応、目途はついたが、作業している間中、ずっと、雪は降り続き、旧いダウン・ジャケットは、事前に、防水スプレーを吹きかけるのを、怠った為に、終わってみれば、ぐっしょり、ダウンの羽が、透けて見える始末である。しかも、寒い割には、作業中の汗で、下着も、汗まみれになる。何とも、15cm程度の雪で、この様であるから、これが、一日で、1mとか、毎日、雪が降り積もり、積雪、何mにも、なろうものなら、一体どうなるのかと、ニュースを見聞きしていても、大変さが、実感されようというものである。ホームレスのセイフティー・ネットの炊き出しも良いが、大雪の時は、冬場に、ボランティアではないが、バスと食事と古民家宿泊施設を提供して、お年寄りの屋根の除雪を手伝って貰えれば、ひょっとして、地域に、残って、山村農業や漁業を手伝おうかという気持ちが、起こらなくはないのではないだろうか?それにしても、今年の除雪費は、各地方自治体で、予算を相当、超過しているようであるが、修学旅行やスキー教室も良いが、都会の人間は、雪かきの体験を小さい頃からしておいた方が、良いのではないだろうか?北朝鮮なら、全人民総動員で、スコップを持って、雪かき、除雪を、行うところであろうが、、、、、雪かきをしながら、今日、そんなことを思う。明日は、どうだろうか?
「鬼 怒鳴門」氏の日本国籍取得に思う
コロンビア大学の名誉教授であり、日本文学・文化、とりわけ、源氏物語や近松門左衛門、芭蕉などの古典から、三島由紀夫まで、近代日本文学の英語による海外への紹介者・翻訳者として有名なドナルド・キーン氏が、90歳を前にして、東日本大震災を契機にして、日本へ永住、しかも、日本国籍を取得されたという。首記は、その漢字での表記であるそうである。いくら、米国海軍情報士官出身で、その後、日本文学を、その古典・現代文学を問わず、研究してきたからと言って、母国の米国を離れてまでも、何故、日本をその終焉の地として、選ばれたのであろうか?「私は、日本という女性と結婚したようなものだ」と、講演で、述べておられるようであるが、今時の震災を期に、改めて、これまでの一寸違った目で見るガイジンから、日本人として、その一員に、加わり、一緒に、復興を応援したいと言うこの老人の精神力は、何と、強靱で、素晴らしいことだろうか?その覚悟と決意に、日本人として、改めて、思いを巡らせなければならない。村上某や武富士の長男のように、租税逃れのために、シンガポールや香港に、移住したり、日本人として、少しは、キーン氏の爪の垢でも煎じて飲んで貰いたいくらいである。日本美の系譜の中で、交友の深かった谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫や、司馬遼太郎なども、きっと、喜んでくれているのではないだろうか?それにしても、漢字表記の名前は、解釈によっては、「鬼が、怒り、門を鳴らす」とでも、読めるが、、、、、、。現在、執筆中の「正岡子規」評伝の上梓が、待ち遠しい限りである。
コロンビア大学の名誉教授であり、日本文学・文化、とりわけ、源氏物語や近松門左衛門、芭蕉などの古典から、三島由紀夫まで、近代日本文学の英語による海外への紹介者・翻訳者として有名なドナルド・キーン氏が、90歳を前にして、東日本大震災を契機にして、日本へ永住、しかも、日本国籍を取得されたという。首記は、その漢字での表記であるそうである。いくら、米国海軍情報士官出身で、その後、日本文学を、その古典・現代文学を問わず、研究してきたからと言って、母国の米国を離れてまでも、何故、日本をその終焉の地として、選ばれたのであろうか?「私は、日本という女性と結婚したようなものだ」と、講演で、述べておられるようであるが、今時の震災を期に、改めて、これまでの一寸違った目で見るガイジンから、日本人として、その一員に、加わり、一緒に、復興を応援したいと言うこの老人の精神力は、何と、強靱で、素晴らしいことだろうか?その覚悟と決意に、日本人として、改めて、思いを巡らせなければならない。村上某や武富士の長男のように、租税逃れのために、シンガポールや香港に、移住したり、日本人として、少しは、キーン氏の爪の垢でも煎じて飲んで貰いたいくらいである。日本美の系譜の中で、交友の深かった谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫や、司馬遼太郎なども、きっと、喜んでくれているのではないだろうか?それにしても、漢字表記の名前は、解釈によっては、「鬼が、怒り、門を鳴らす」とでも、読めるが、、、、、、。現在、執筆中の「正岡子規」評伝の上梓が、待ち遠しい限りである。
自称、筋金入り(?)の「隠れプロレス・ファン」を自認する私であるが、最近では、とんと、ストロング・スタイルのプロレスの深夜番組を録画してみる気力が、だいぶ薄れてきている。どうも、昔のように、視てみたいという一種のモチベーションが、今一、欠けているようである。それは、レスラー側に、魅力がなくなりつつあるのか、試合内容が、面白くないのか、それとも、自分自身の内面に、由来するモノなのか、どうも、しっくりとした的確な分析ができないのが現状である。そんな時、NHK教育テレビ、Eテレの「きらっと、生きる」という番組で、仙台にある障害者プロレスの団体が、震災の被害に遭いながらも、これを克服、障害者自立センターや、ボランティアーからの支援や、東京の別のプロレス団体からの援助などにより、試合が再開できるまでになったという経緯を、英国BBCテレビの障害者レスラー兼ゲスト・レポーターも交えて、放映された。何と、あのお笑い芸人のカンニング竹山が、現地での試合のリングアナを努めるというオマケまでついて、、、、、。障害者が、プロレスで、殴る蹴るという行為をすること自身が、問題であり、ましてや、これを見世物にしているということを非難する声があることは、重々、承知しているが、復興に懸けるその並々ならぬ意気込みと強靱な精神力は、肉体的・精神的なハンディを乗り越えて、大いに、賞賛されて良いであろう。健常者だけでも、被災し、そこから、生活を立て直すことは、容易でないのに、ましてや、精神的な疾患や肉体的なハンディキャップを有する障害者の人々が、生活を、仕事を、再構築することは、「並々ならぬ自身の努力」と「自立への支援」がなければ、できないことであろうことは、想像するに難しくない。少しだが、歩行弱者入りした自分には、今までの視点とは異なる眼で、この番組を視られたことは、意義深い。障害者プロレスを、否定する人も、肯定、応援する人も、いずれにせよ、「プロレス」を通じて、「障害者の自立への支援の輪」が拡がるきっかけになることを、期待するものである。それにしても、BBCが、障害者専用のスタッフを擁していること、Eテレが、こうした番組を放映していること自体を、知らなかった自分が、実に、恥ずかしく、感じられた。
http://blog.canpan.info/tasuketto/archive/615
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昨日の晩は、折角、溶けてなくなった雪が、雨模様から、一転して、一面に降り積もり、又、冬に逆戻りしたかのような気がした。もっとも、空気は、何となく、春めいた感じがして、春が、もうすぐ、来るようなそんな気配が、しないではない。冬から、「春への訪れ」を感じさせる和菓子に、「桜餅」がある。もっとも、この桜の葉を塩漬けにした餡ころ餅は、関東と関西では、多少、趣を異にするらしい。前者が、「長命寺」の小麦粉の薄皮に対して、後者は、「道明寺」といわれる餅米の粒々感を前面に押し出したものである。隅田川のほとりの桜の葉の塩蔵を活用した桜餅は、次第に、有名となり、全国へ、伝播していったらしい。昔の人も、現代人でも、一足お先に、和菓子で、「季節の先取り」をする習いは、どうやら、変わらないものらしい。スーパーのパック和菓子も悪くはないが、一寸、気取って、地元の老舗の和菓子屋の桜餅も、たまには、良いだろう。別に、毎日、食べるわけではないのであるから、、、、、。旅の土産ではないが、季節、季節毎に、こうした旬の和菓子を戴くのも、又、一興ではないだろうか?花見には、一寸、まだ早いが、それでも、熱い緑茶を注ぎながら、(抹茶なら、尚よろしいが、)枯れ果てた冬景色を眺めながら、「春を待ち望む心」は、今も、昔も、変わらぬモノではないだろうか?それを口実に、食べ過ぎぬこと、これを肝に銘じておかなければならない。寝る前には、腹筋100回実行要有り!その一方で、やはり、ストロベリー・ショート・ケーキも、内心、食べたいなと、思ってしまう「煩悩」から、逃れられないのは、何故だろうかと、、、、、、、。実に、困ったものである。
日本ブログ村の「いとしの絵本トーナメント」に、自分のこれまでに書き殴った過去のブログの一部を、掲載してみた。なかなか、自分の考えていたモノとは、別の結果になっていたが、それも、仕方ないことであろうか?多くの人に、立ち寄って読んでもらえれば、それで、取りあえず、良しとしよう。様々な人々に、お読み戴き、有り難う御座いました。今後も、書評、アート、音楽、伝統工芸、スポーツ、料理、社会戯評、様々な分野で、意見表明していきたいと思います。
いとしの絵本ブログトーナメント
いとしの絵本ブログトーナメント
石巻で自らも死の淵を体験し、両親と祖母を亡くした人形作家のイフケンさん(アイヌの子守歌の意味)こと、小松剛也氏の震災体験座談会と御牧ヶ原の台地からインスピレーションを得て生まれたオリジナル曲を中心に、その場の空気を大切にしながら音を創り出すオギタカ(荻原崇弘:ピアノ・ギター、星山剛:ハーモニカ)とのコラボで、プロジェクターに、その人形の作品を写しだしながら、その印象を音にするという即興コラボ・ライブに参加した。音楽に関する耳は、全くの素人であるから、ピアノの調律が、どのように、狂っていたかは、とんと分からず終いだったが、第二部でのコラボの演奏は、御牧ヶ原の台地を彷彿とさせるに足るとても、耳心地のよいメロディーラインで、ピアノや、ギターとのハーモニカの釣り合いも、とても良かった。狭い空間でのライブは、生の音と演奏者の息づかいや、身体の動かし方などが、直接、間近で、その表現力を、耳で、肌で、感じ取られてよい。幼子は、母の胸の中で、或いは、祖母の膝の上で、音楽に包まれて、幸せそうな夢見心地の様子で、寝入ってしまっていた。人形を通しての表現も、音楽を通しての表現も、媒体が、異なるものの、「芸術家としての表現」という点では、その原点で、共通するものが感じられる。イフケンさんは、被災されて以降、作品を作る動機付けが、それ以前よりも、すっと、早いスピードで、漲ってきていると言っていた。小諸へ避難してきている被災者への支援を目指す小さな集会ではあるが、改めて、「忘れてはいない」というそういう思いこそが、大切であるという趣旨の発言がなされた。人と人との繋がりも、こうした小さな集会の中から、紡ぎ出されてくるのかも知れない。4月22日には、小諸の満開の桜に合わせて、震災復興応援イベント「さくらさくライブ」が、小諸懐古園・馬場で、開催される予定であると、、、、、。天気に恵まれることを望みたい、、、、、。
読書の森HP:
http://www.ne.jp/asahi/dokusyonomori/shinsyu/
オギタカHP:
http://bridge-sd.main.jp/profile.htm
さくらさくライブHP:
http://www.asama-de.com/sakurasaku-live/home/index.php?catid=2&blogid=2
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http://www.ne.jp/asahi/dokusyonomori/shinsyu/
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さくらさくライブHP:
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死という厳粛な事実と真正面から、立ち向かい、遺体を、科学的に、検視報告なり、医師・歯科医師・警察・消防団・自衛隊・潜水士・心理学者などの証言を、こまめに、検証・分析して、死因の究明(圧迫死、外圧死、凍死、窒息死、即時死後硬直などの事実)を通じて、そこから、見えてくる「防災」想定を設定すること自体の問題点、防災意識の油断の指摘と、今後の防災対策への提言へと、進んでゆく。PTSD(心的外傷後ストレス障害)に於ける能動的意思の有無の重要性や、心のフィルターのコントロールの説明や、突然の「暴力的死別」により、心の中に生まれた「自責の念や怒り」、「複雑性悲嘆」、「統合された悲嘆」、「悲嘆と受容の表裏一体性」、「開き直りの必要性」に関する科学的な説明と分析は、確かに、「千年に一度」、「未曾有の災害」とか、「想定外」という言葉だけで、「思考停止」を伴ってしまう議論に、対峙していて、貴重である。遺体を、暴力的に破壊されたモノとして、客観的にみることにより(報道、表現の在り方に対する疑問)、防災意識のオオカミ少年的教訓を、改めて、考え直そうとする視点は、全国紙のマス・メディア報道とは、一線を画していて、斬新な視点である。死臭で臭覚を麻痺してしまった災害救助犬(レイラ号)の実話、自衛隊員による「実弾を使わない戦争」、自衛隊の在り方(軍隊と災害救助派遣という便利屋)に関する問題提起、更には、消防団の待遇、組織の在るべき姿、又、犠牲となった団員への不十分な補償の問題、「職責を果たした」という美名の下での客観的な真実へ、迫ろうとする力への無言の圧力と無念さ、等、確かに、そこには、「備えあれば、憂いなし」ではなくて、「憂えないから、危機意識がなく、備えなし」という事実に、改めて、考えさせられる。「絆」とか、「がんばろうニッポン!」等という言葉とは裏腹に、この国には、無責任な風潮や無邪気さが、同居していて、「人と人とが支え合う意識が、すごい速さで、壊れて行きつつある」、そうした国の内部崩壊の危機を、著者は、敗戦や原爆の語り部の必要性と同時に、「記憶の風化」を恐れ、真摯に訴えている。石巻の大川小学校のように、何故、多くの死者が出たのか、未だに、多くの謎が残されており、それらの検証が、不十分であるとも、、、、、。そうした検証無くして、被災者を支えること無くして、今後の防災計画も復興もあり得ないし、国の再生もないと、著者は、犠牲者の遺体や多数の行方不明者に、替わって、訴えているように、感じられる。3月11日を前に、1年前と1年後は、自らの意識の中で、どのような変化が起こっていたのであろうかを、改めて、問われているようである。
冬場での開催なので、これまでは、なかなか、見に行かれなかったが、大変、情緒があって、よろしい。娘が小さい頃は、お雛様を飾って、お祝いしたものだが、今や、納戸の肥やしになってしまった。「雛の吊し飾り」のいわれは、パンフレットによれば、江戸時代から、桃の節句に、ひな壇の両脇に、端布で作ったぬいぐるみを吊す風習が、中山道から北国街道を通じて、小諸宿へ、人と馬の背を通して、運ばれてきたらしい。普段見ることの出来ない江戸時代からの享保雛や、家々の旧い雛人形を、店先に、一斉に飾って、見物人に、眺めて貰うという一種の町おこしのイベントでもあるが、歴史を学ぶだけではなくて、昔の人が、「吊し雛」に託した思いに、想いを馳せるのも又、一興である。ほんまち町屋館の2階で説明に当たってくれた方によれば、何でも、昔は、「人生50年」で、女性は、一歩へりくだって、「49個の吊し雛」を、決められた順番で、飾り付けたらしい。子供の成長を願う親の深い愛情が吊し雛の縮緬の端布にも、よく表れていて、郷土の文化財としての価値も十分愉しめる。桃には、邪気を払い、延命長寿を期し、多産の象徴とされ、俵ねずみは、金運、亀は、長寿、柿は、滋養、医者いらず、羽子板は、厄をはね除け、雀は、食に恵まれ、達磨は、福を呼び、竹は、生命力に富み、巾着は、お金に苦労せず、フクロウは、不苦労、犬は、安産、猿は、厄が去る、等、三角、蛤、人参、座布団、太鼓、梅、三番叟、松、唐辛子、大根、糸巻き、ほうずき、蝶、枕、金目鯛、草草履、うさぎ、鳩、それぞれの謂われがあるそうである。わら馬パレードも、3月3日に行われる予定である。一度は、是非、見られることをお薦めしたい。モビールもよいが、吊し雛も、作ってみたくなった。
小諸ほんまち町屋館HP: 3月4日まで、
http://www.machiyakan.com/
小諸ほんまち町屋館HP: 3月4日まで、
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福島原発事故に関して、米国の原子力規制委員会が、東京電力福島第1原発事故発生直後からのメルトダウンや放射性物質が漏れ出ている可能性を懸念するやり取りを記した約3000ページの内部文書を公表したが、本当に、日本側では、これまでの議事録や、音声録音すらも、存在しないのであろうか?何とも、頼りない限りである。スリーマイルの教訓から、当然、米国では、80キロ避難の想定がされていたり、在京米国大使館による自国民の退避勧告も、空母などの艦船を利用した一時退避も、考えられていたであろう。時間を遡って、今、こうして、約1年後に、再検証してみると、何とも、空恐ろしい限りである。原子力行政というモノは、有事を、本当に、想定していなかったのであろうか?補助金漬けで、人間のぽっペタを札束で、叩き、箱物の施設で、人間の歓心を買い、人々の心の芯までも、雇用と引き替えに、地域経済を、牛耳ってしまった原子力発電政策も、この報告書の中からも、見え隠れしている。本当に、電力は、不足しているのか、足りているのか、高いのか、それとも、安いのか、今までが、高過ぎただけなのか?等、発電・送電の分離、再生自然エネルギーのあり方、競争のあり方、電力の選択制のあり方、電力独占の功罪など、改めて、1年を振り返って、考え直す機会であろう。来たるべき将来の、間違いなく、再び襲い来るであろう大地震や津波による災害に対して、しっかりとした反省と対策を立てなければ、後世、笑いものになることは、必至であろう。結局、又、こうした海外からの情報公開という「外圧」で、日本でも最悪シナリオが、実は、想定されていた等という報道が、出てくるやも知れない。日本という国は、いつまで経っても、「外圧」が無ければ、情報公開も、できないし、議事録すら、作られないのだろうか?