小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

吉村 昭 「関東大震災」を読む=何が似ていて、何が違っていたのか?

2011年08月07日 | 書評・絵本
未だ、熱気が冷めないうちに、読むと、どうしても、感情移入が激しくなりがちで、冷静に読めないので、暫くして、ほとぼりが冷めてから、一気に読んでみた。むろん、東日本大震災との比較、検証である。事前に、予兆としても地震が、かなりの頻度で観測されていたこと、又、その後にも、度重なる強い余震があったこと。安政大地震以来の「50年周期説」についての著名地震学者間での論争があったこと。大震災による火災の被害、とりわけ、薬品火災や、石油ランプに起因した火災が、大規模に、起こりうること、水道網が、壊滅することを、既に、想定していたこと。逆に、パニックを恐れた楽観論の意図的な世論の誘導・流布。避難する人達が、家財道具を持ち出し、それに、火が飛び移って、事態を悪化させたこと。陸軍被服敞跡(現、両国横網公園)での3度に亘る大火災による竜巻も、惨事を拡大させたこと。流言蜚語による無実の人間が、(朝鮮人を含めて、日本人ですら)自警団によって、殺戮されたこと、戒厳令下、流言の防止を目的とした言論統制による唯一のマス・メディアである新聞・報道・言論統制が強まり、ひいては、言論の自由が奪われ、甘粕憲兵隊大尉による大杉栄の虐殺にも、至ったこと。(もっとも、裏付けのない記事を、新聞も、公然と、扇動したのも事実であるが、、、、、。)今日とは異なり、複数のマス・メディア、携帯電話、ラジオ、ネットや、ツィッター、動画サイト、携帯電話のワンセグTVも無いような時代に、確かに、電話・電信網や、水道が、壊滅すれば、根拠のない流言蜚語(井戸に、毒を投じたとか、放火、強奪を集団でしているとか)を信じるなという方が、逆に、当時は、難しかったのかも知れないが、、、、、。地方への鉄道輸送の再開と同時に、流言蜚語が、急速に拡散していったことも、事実である。便所の汲み取りの符号を、殺戮や強盗の暗号と誤解したり、既に、官憲は、9月5日頃までには、それらが、全く、事実とは異なった、全く、根拠の無いことを認識していたのも、事実である。買い占めや売り惜しみが、当時実際あったこと。バラック同然の貧弱な仮設住宅(?)、糞尿処理の問題、遺体・身元不明人の火葬処理の問題、瓦礫・灰燼の処理の難しさ、感染症の広がりの問題、治安の悪化の問題、復興予算の問題、等、、、今回の東日本大震災にも、全く共通する事柄が、列挙されている。実際、津波による被害もあったが、今回の大津波による被害とは、較べるべくも無い。緊急地震速報も、当初は、馬鹿にしていたが、成程、実際に、使用されてみると、今後は、やはり、ある種の実際的な役に立つツールにあるであろう。父方の祖母は、私が幼い頃、「関東大震災の時、あなたのお父さんの手を引いて、隅田川へ、逃げたのよ」と言っていたが、父は、大正7年9月20日生まれだから、丁度、満5歳になる直前であったことになる。祖母は、明治25年生まれだから、30歳一寸の頃であった計算になる。もう、その祖母も、父も、亡くなってしまった。もっと、詳しく、色々と、きいておけばよかったと後悔している。一体、現在の我々と、「何が、違い」、「何が、共通していた」のか?そして、「何が、どうして、今回も、変えられなかったのか?」政治・経済・国際状況・報道姿勢、地震科学・通信技術等、各分野毎に、改めて、熟考、検証してみたい。そんなことは、既に、「想定内」では、無かったのか?と、、、、、、。放射能、原発も、延長線上で、冷静に、再考してみたいと思った。「過ちは、再び、繰り返しません」と、言えるように、、、、、。