小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

芸能帝国における個人と組織

2019年07月23日 | 映画・テレビ批評

芸能帝国における個人と組織:

 ジャニー喜多川というカリスマの死の以前から、時間を逆回しにしてみると、色々なことが、成る程であるなという事象が垣間見られるのは、興味深い。偉業は、偉業として、それなりに、評価すべきであるとしても、<ある種の忖度>による、或いは、それに近い、眼に見えない形での<圧力や、パワハラ>としか謂いようのないもので、動かしていたという事実は、重く受け止めるべきものがあろう。<カリスマが創った組織とその作品としての個人という構図>、もう既に、何らかの形で、ほころびが生じているのかも入れない。その意味で、自分が、自分を育ててくれた<組織と、個人の能力との葛藤、対立>とは、今日のサラリーマン世界にも、共通する何かがあるような気がしてならない。必ずしも、ミュージシャンとお笑い芸人や落語家とをごちゃ混ぜに論じるつもりはないが、確かに、近代資本主義の進展と共に、所謂、芸能界という<旧来の人買い家業>から、少しでも、合理的なだと一見できるような、(本質的には、何も変わっていないが)疑似契約に、衣替えしても、その内実は、全く変わっていない事になるのかもしれない。<企業30年説>に従えば、吉本興業もジャニーズ事務所にしても、新しい方向性への模索が、水面下で、胎動しているのかもしれない。どんなに、否定しようが、法律的に、問題がなくても、企業体としての道義的、倫理的ガイドラインからは、如何なものであろうかと謂うことになりかねない。<歌舞伎モノ>とさげすまされても、伝統と歴史と時間を経ることで、歌舞伎も落語にしても、伝統芸能と認知されて、権威付けされて、今日に至るものの、エンターテイメント界では、どんなに、頑張っても、お笑いの世界は、<の延長線上>でしかないのだろうか?<個人倫理のコンプライアンス観と組織の在り方との葛藤>は、結局、記者会見強行による、ある種の暴露合戦に終始することになるのであろうか?<謝罪会見>というものも、見かけ上での<お涙ちょうだい式>の如何にも、日本的なやり方で、難を乗り越える式の<儀式のようなもの>になってしまうのであろうか?

そもそも、パワハラというモノは、明らかに、権力を有するものとそうでないものという圧倒的なパワーの違いを前提にしている訳で、やっている方(加害者意識)などは、被害者ほどのものではないものであろう。その意味では、この力の差を補うモノとして、弁護士の個人的な依頼と謂うことも、十分ありうるモノである。内部告発にしても、その得るべきモノと失うモノとは、明らかに、異なる。良心の呵責とか、過ちの悔悟とか、更生への、自己弁明への機会を与える事は、必要であろうし、SNSも今日発展している以上、メディアの報道の仕方にも、配慮が欠けているだけでなくて、SNSでの情報発信も必要であろう。今日、それは、もはや、抑えきれないであろう状況である。

企業組織の危機管理とか、法務部門担当(インハウス・ロイヤー)とか、組織からの圧力とか、従業員教育の在り方、雇用契約の問題、感情論的な誠意の存在問題という様々な課題があるようにも思える。それにしても、テープ録音の問題も、Q&Aの内容確認問題も、政権へのすり寄りによる公共的な営業利権の獲得とか、根本的な給料の低さを棚上げして、一方的に自分の報酬を半額にカットするという提案など、悉く、わかりにくい、一見して、世間を敵に回さない戦略の選択の裏には、一体どのような意図が垣間見られるのであろうか?野党の国会論戦さながら、実に質の低いマスメディアからの質問には、少々、ウンザリさせられてしまうのは、残念なところである。相変わらず、<日本的なお涙ちょうだい式の痛み分け>というところで、問題の本質が、見えてこないし、解決手順すら、見えてこないのは、極めて残念な事である。尤も、この会見に関わらず、所謂、芸能帝国という疑似近代的な組織は、ほころびから、分裂・離散・崩壊へと向かい、実力のある、才能のあるモノのみが、独立、生き残り、或いは、逆に、組織に残留する道を選択しつつ、過去の島田伸助の問題を抱えながら、反社会勢力との付き合いを依然として、踏み絵のように、コンプライアンスという呪縛の下で、強いられてゆくのであろう。家庭内反面教師で有り、ハンシャ的家庭内存在であるお父さんには、あまり、潔さを感じられず、そうかと言って、問題の本質を剔抉させるほどの迫力ある記者会見には映らなかったことは、遺憾である。野党共闘も不発に終わり、まるで、ナチス張りに間隙を縫うように現れた、或いは、消化不良の野党共闘が吸い上げられなかったエネルギーをかっさらっていった山本太郎ほどの、パーフォーマンスもなく、<経営者としての矜持>も、微塵も感じられないのは、残念な事である。社長ではなく、やはり、御簾の奥に鎮座する会長とか、松本人志やさんまが、或いは、<芸人は猿回し論>のたけしを、社外重役くらいにでもして、オブザーバーで、この次は、公開生放送で、言いたい放題の現任当事者と会社側と第三者辛口オブザーバーのバトルロイヤルを期待したいモノである。視聴率は、グッとあがるのではないだろうか?それにしても、大阪万博や税金を投入するプロジェクトもさることながら、雇用契約やギャラの問題、利益分配比率の配分問題、更には、事務所の移籍や、株主としてのテレビ局との関係、芸能界という業界を含めて、改革の先頭に立つ、6000人もの芸人を束ねる経営者としては、元敏腕マネージャーであったとしても、如何なものだろうか?日本企業のこれまでの<企業という擬制家族論>に依存してきた、<曖昧さ>が、今日、あぶり出されてきつつある。もっとも、<今の日本の本質>を参院選挙結果と同様に、様々な課題が、垣間見られたようで、興味津々である。大衆の欲求不満を根本的に、吸収するような動きは、果たして、でてくるのであろうか?それとも、その前に、帝国の崩壊は、静かに現在進行形なのでろうか?



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