小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

映画「わが母の記」を、家族で観る

2012年05月04日 | 映画・テレビ批評
第35回モントリオール世界映画祭、審査員特別グランプリ賞を受賞した映画で、井上靖の自伝的原作を、社会派の原田眞人監督により、役所広司、樹木希林、三國連太郎、宮崎あおい、等のなかなかの演技俳優陣がもり立てた作品で、痴呆症で、壊れて行く実の母親が、自分ひとりだけを何故、棄てたのかという子供心の葛藤が、後年になって、痴呆症の進行と共に、或る日、偶然、その真実が語られるが、「壊れて行く記憶」というものは、実際、愉しいものと辛いものと、どちらが、一体、残るものなのだろうか、、、、、、、。映画「あしたの記憶」では、若年性アルツハイマーが、主題になったが、主人公の洪作の中では、棄て児という忌まわしい記憶が、子供の時に、作った詩を、壊れて行く母が、大切に、覚えていたことで、改めて、母の愛を知り、その思い違いが溶けてゆく。母と子の関係性を、縦軸とすれば、それは、それで、重要であるが、別の視点、即ち、主人公の父親としての3人の娘達との関係性も、横軸で、交差しているように見えるが、、、、、。何故か、今度は、父と子の関係を、描いたシナリオを観てみたくなった。主演俳優陣の演技力は、言うに及ばず、カメラ・ワークも、暗い陰影を縦横に、活用して、手指の動きや、ガラスや鏡の反射を、細かく、描写しているように、見えた。もちろん、伊豆・湯ヶ島のわさび田や、海岸線、海を望む富士山、軽井沢の四季の風景、或いは、実際に、井上靖が、執筆に使っていた世田谷の自宅や書斎の雰囲気を、丁寧に、カメラ・ワークで、随所に、描き出されている。父親役の寝たきりの手だけで、演じた存在感溢れる三國連太郎は、言うに及ばず、主演・脇役陣・若手俳優陣も、丁寧に、演じられていて、もっとも、樹木希林は、何処までが、演技で、何処までが、素なのか、地なのか、なかなか、適役でもある。予断だが、妹の夫役で、一寸、コミカルな役どころで出演していたコント・赤信号の小宮孝泰の名が、映画の公式HPに、割愛されてしまっているのは、一寸、残念であるが、、、、、、。どうしたものだろうか、、、、、、。



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