小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

渋柿に想う:

2012年11月14日 | 俳句・漢詩
渋柿に想う:
東京のスーパーには、まず、渋柿は、売り場には置いてないが、小諸では、恐らく、手作り干し柿用なのであろうか、産直売り場やスーパーでも、見かけるのは面白い。そう言えば、昔、私が、子供の頃、祖母が、柿を食した後で、その種を播いたところ、芽が出て、大きくなり、実を結び、食べたところ、渋柿で、結局、ポリ袋の中に入れて、アルコールを噴霧して、暫く置いて、甘くなってから、良く食べた想い出がある。それにしても、里山では、随分と数多くの柿が、鈴なりになって、食べられることもなく、そのまま、実もたわわになっているのには、驚いてしまう。野鳥たちは、餌には、事欠かないであろうか?赤く色づいた葉に、夕陽が沈む暮れなずむ頃に、柿の実がなっている情景は、何とも、言えない趣きと里山の原風景がある。そんな時、どこからともなく、遠くから、梵鐘の音が聞こえてこようものならば、更に、嬉しくなってしまう。我が老犬は、知ってか知らずか、トボトボと、臭いを嗅ぎながら、力なく、歩いて行く。廃屋の傍らに、一本、柿の木が、静かに佇んでいるように、立っている。熟れた柿の実が、主じの帰りを待っているかのようになっている。一句、浮かんだので、書き留めることにしよう。
  廃屋に あるじなしとて 熟柿おり
  Abandoned house Nobody lives there Ripe persimmon



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。