小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

消費マイドを考える:

2015年04月24日 | 社会戯評
消費マイドを考える:
現役の時は、マーケティングのために、一緒に、買い物に行き、色々と価格や商品特徴をリサーチすることが、専らだったが、考えてみれば、買い物などは、下着も含めて、自分で滅多に買うことはなく、専属ファッション・デザイナー(女房殿)の買ってきたものを何の疑問も抱かずに、着ていたものである。現役を退いてからは、買い物をする機会が多くなったような気がする。それも、食品にしても、どういう訳か、温泉施設の帰りには、半額や3割引で、誠に、現役の人には、申し訳ないくらいである。こうなると、買い物の消費マインドというものは、不思議なもので、一度、商品の価値が、何か、下がっている物をみると、実は、モノの価値というモノは、一物二価や三価であって、実は、ひとつの価値ではないことが、始めて了解される。そうなると、デフレ・マインドではないが、次に買うときにも、値段というモノがおおいに気になり始めるものである。それは、お金が払えるか、払えないとかという問題ではなく、心理的なマインドの問題に起因するものなのであろうか?消費マインドが、好転しないと、嘆かれているが、毎日消費する食品などは、実は、こうしたマインドが、何処かに、潜んでいるのかも知れない。お金がなければ、変えないけれど、お金があっても買わないとか、安い方へ、同じ品質であれば、手を伸ばしたくなるのは、直らないのであろうか?不思議なものである。なるべく、個人消費を増やすように協力しようとしても、このマイドが、払拭されない限り、一度、本当の価値の姿を見つけてしまった消費者は、なかなか、日常品に関しては、一筋縄にはゆかないのかも知れないと、自分で、商品選定をしていて、そう思う。