小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

一寸気になるCM:

2015年04月01日 | 映画・テレビ批評
一寸気になるCM:
コピーライトというものは、何気なしに、耳で、聞き流しても、何処かで、心の中で、呟くというか、考え直しを起こさせてしまうようなものも、なかなか、興味深い。最近、コーヒーのエメマンと、ゆうちょ銀行のCMが、心の奥底に響いてくるのは、不思議な感覚である。「世界は、誰かの仕事から出来ている」と、南米のコーヒー畑の労働者が、(何故、日本人が演じなければいけないのであろうか?)コーヒー豆を一粒一粒、収穫する場面から、コーヒー飲料が、こうして、地球の裏側で丁寧に、支えられているというメッセージである。確かに、我々の「食」というものは、ことほど左様に、海外の低賃金と労働集約型の作業に、依拠していることは異論のないところである。それは、距離・時間・エネルギー換算にしても、どのくらい離れているところから来るのかとか、加工労働時間がどれくらい費やされているのか、もはや、これらを履がせぬほど、こうしたビジネス・モデルは、このコーヒー飲料を見るまでもなく、「世界は、確かに、誰かの仕事で、支えられている」ものなのであろう。これを忘れずに、我々は、心しなければならないのかも知れない。
「そのお金はあなたと並んで生きてゆきます」というゆうちょ銀行のCMは、新成人の4月の新しい社会への旅立ちに伴って、銀行口座のお金も、これから、一緒に、君と並んで、生きてゆくのか、それとも、お金を活かしながら、共に、成長して行くのか?どちらなのであろうか?ナレーションだけでは、分からない。自らで想像してみよう。知らぬ間に、お金は、自らの手から、砂がこぼれ落ちるように、あっという間に、消え失せてしまうものであることも、我々は、その経験からして知っている。又、お金のために、働くのか、それとも、働いた成果が、お金なのか、死ぬまで、その解答が、分からぬままに、生きて行くことになるかも知れないし、逆に、お金の呪縛に翻弄されてしまうようなことも、様々な人生をみていると、それも又、現実であることも熟知している。このふたつのCMには、どちらにも、マネーと仕事という得体の知れないものと、付き合って行かなければ、生きて行けないことを教えてくれるキャッチ・コピーなのかも知れない。