ふつかづき おほき闇夜を 抱きつつ 細きおのれを ゆふそらに描く
*二日月というのは、名の通り、新月の次の日の月です。とても細い。細すぎて、見たものも少ない。だがそれは新月ではない。確かに細い光がある。
二日月は、大きな闇夜を、すなわち欠落を抱きながら、細い自分を、夕空に描く。
まあわかるでしょう。人間だれしも、欠落は持っているものだ。欠点のない人などいない。自分が自分で、他人とは違うというだけで、それを大きすぎる欠落と感じる人もいる。
この世界には人間の数だけ個性がある。馬鹿みたいにたくさんいるのだが、ひとりとして同じ人はいない。みな、ほかとは違う自分なのだ。
こんな世界で、自分を頼りなく感じすぎて、他人になりたいなどと思うと、きつすぎる闇が待っている。どんなに他人を食っても、次から次と新しい個性が見えてくる。全部がうらやましい。妬ましい。全知全能の絶対神などないのに、そんなものになりたいという馬鹿な夢さえ描いてしまう。
馬鹿はそういうはてしない闇の中にいる。
自分を嫌だと思うだけで、永遠に続くのかと思うくらい、苦しい闇が続くのだ。人がうらやましい。ねたましい。あんなものになりたいのになれない。全部殺してやりたい。自分ではないというだけで、みんな自分よりいいから。
そういう馬鹿どもが、この世界にどんな破壊の夢をもたらすかは、もう勉強しましたね。神がつくってくださったこの自分を、嫌だと言うだけで、そのものは、世界をさかさまにして、あらゆる存在を馬鹿にする破壊魔になるのです。
そういう馬鹿に落ちないためには、どんなに頼りなく思えても、その自分を確かな自分のものとして背負うしかない。いやなものではない。この自分もまた、ほかにまたとないおもしろい自分なのだ。たとえ今の自分がふつかづきのように細くたよりなくとも、この自分をまっとうに生きて努力していけば、どんどん自分として大きくなっていける。
何度も言ってきたことだが、何度も学びましょう。それが勉強です。二日月の細いかたちも、何度も描き重ねていくうちに、くっきりと輝いて来る。
今はまだ確かに細くて頼りない。まだ何もしていないからです。だが、未来はたんとある。今からでも、自分にできることを、どんどんやっていきましょう。
そしてその自分を、どんどん育てていきましょう。