ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

ささくれを

2016-11-10 04:34:09 | その他







ささくれを 負ひし心の むず痒さ     夢詩香







*昨日の続きみたいなことですね。

男の人っていうのは、常にリードしてないといけないみたいなとこがあるから、ちょっとした失敗もできない。でも人間というのは、失敗する生き物だから、どういうことになるかというと、絶対に失敗を失敗と認めないってことになるので。

ウチの亭主もそうですよ。ほんのちょっとしたことでも認めないんです。食器棚を移動するなんてことでもね、わたしがこっちがいいっていうのを、わざわざだめだと言うためにだめだと言って、別のところにおいて、それがかなり不便になっていて、だいぶみんな困ってるんだけど、本人が間違いを認めないものだから、仕方なくみんな我慢して付き合ってる。

そういうことがよくあります。

本人も、わかってないことはないんです。みんなが困ってることはわかってる。けど、それを認めると、男のコケンに関わるから、何にも言わない。でも本当は常に苦しいんだ。

心の中に、ささくれみたいなものができて、それが常にむず痒い。そんなことが苦しいから、またよけいに虚勢を張ったりする。

間違ったことは素直に間違いだと認めて、頭を下げて改めたほうが、ずっと楽だと思うんだけど、そんなことができないんだ。

それって絶対にいいことじゃないって思うんですけど、男の人は改めることもできないみたいですね。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆくすゑを

2016-11-09 04:26:53 | 







ゆくすゑを たのむせもなき 女竹かな     夢詩香







*「女竹」は「めだけ」で、女のひとみたいに細くてしなやかな笹のことです。図鑑で知ってはいるんだけど、この近くには見かけないので、ペチュニアの写真で代用です。何も関係ないんですけど。

何でも、名前に「め」がつくものは、小さかったり、細かったりするものですね。メヒシバとか、メマツヨイグサとか。

確かに女の人は、体形は男の人より小さいけど。なんだか聞いていると、それだけでわかってないって思われてるみたいで、嫌な感じがするときがあります。

女の人には小さい人が多いけど、別に賢くないわけではありませんよ。前に、ある会社でパート勤めしていたことがありますけどね、そこでは若い男の主任さんより、ベテランのパートのおばちゃんの方が仕事ができたし、責任感も大きかった。

でも、男の正社員だっていうだけで、すぐに給料は高くなる。おばちゃんの方は、2倍の仕事をしてても、給料は据え置きのままで。みんな何も言わないけど、割り切れないものを感じてる人はいると思う。

男の人は、そうやって男を大事にしている方が、女にもいいんだって感じのことを言いますけどね、それはうまくやって、女の人が自活できないようにしているだけだという気がする。それでないと、困る男の人がいるからなんですよ。

男だからって、みんなが偉いわけじゃないですよ。わたしが見てると、あんなことしなければいいのにっていうことばかりして、すぐに仕事をだめにする男の人がいっぱいいる。なんであんなことをするかっていうと、自分の方が偉いってことにしたいからで。

頭のいい大人だったら、自分の弱さも、人様の偉さもわかって、バランスがとれると思うけどな。

そんなこともまだできないのに、ほとんど学歴と性別だけで、男の人はすぐに出世できるんだ。

今日はちょっときついですね。でも言ってみたかったのです。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金木犀

2016-11-08 04:26:10 | 







秋は来て 花のかを知る 金木犀     夢詩香







*珍しく、字余りです。

写真は少し前に写したものです。もう今は、金木犀も終わってしまいました。あのきれいな香りを楽しめるのは、ほんのつかの間ですね。でも毎年うれしい。

「か」をひらがなにしたのは、「香」も「価」も入れたかったからです。「顔(かほ)」もある。日本語はこういう遊びができるのがいいですね。17文字に入れられる意味が格段に増える。

近くの空き家の庭に、青々とした涼しい木がありました。わたしは最初にそれを見た時、クスノキか何かの木だと思っていたんだけど、秋がくると、薄だいだい色の小さな花がたくさん咲いて、香りを放ち始めて、金木犀の木だということがわかったのです。

それを見たときは、ちょっと感動でした。男の子だとばっかり思っていた子が、女の子だったという感じで。

花の正体も真価も、花の咲く季節が来てみないとわからないものですね。

上の子は、女の子っぽい男の子です。それはいたずらっ子で、活発な子なんだけど、感じ方がどことなく女の子っぽい。繊細で、けっこう複雑なことを考えている。

難しいことに対して、自分を守ろうとするやり方が、どことなく女の子っぽいんです。どういったらいいかな、わたしの感じ方なんだけど。男の子だったら、ここで乱暴な口を利くものなんだろうというときに、あの子は黙るんだ。そして自分の中で自分の気持ちをかみしめてる。わたしには何も言わない。

それは悪いことじゃない。あの子の良さなんだ。きっとあの子の中にも、季節が来たら咲く金木犀の花のような、何かがあるに違いない。

それを大事にしてやりたい。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

身を歌ひ

2016-11-07 04:25:51 | 







身を歌ひ 鶴のねたみを 買ふ雀     夢詩香







*わたしは小さいころから、けっこう変わり者と言われていました。

女の子同士でつるみあうのが苦手で、ひとりで本ばかり読んでた。つきあいが悪いのがわざわいしてか、いじめみたいのに会うこともありました。

大人になっても、そんなことがあって。まだ子供が幼稚園だったころ、同じ幼稚園に通っていた子のお母さんに、少し目をつけられてしまったことがあるんです。

ちょっと意外だったのは、そのお母さんというのが、わたしから見ればとても恵まれた人だったということ。いわゆるセレブという感じで、持ってるバッグはプラダだったし、服もおしゃれで素敵。かなりの美人。なんでも、旦那さんのお父さんが、小さな会社の社長さんなんだそうで。

なんでそんな人が、きつい目でわたしを見るのかな。まあわたしは、あの人に自分から近寄って行かないし。ひとりで写真を撮ったり俳句を詠んだりするのが好きで、そんなマイペースな姿が、目障りだったのかもしれない。

ちょっと危なかったんだけど、いじめには発展しませんでした。というのも、それから間もなく、その人のお子さんが病気になってしまって、看病しなくてはならなくなったからです。

重い病気だったみたいで、一年ほど入院した後、お子さんは亡くなってしまいました。その頃のその人は、別人みたいに痩せていました。いろんなことがあったみたい。

人の幸不幸なんてわからないな。今ではあの人とは滅多に会うこともないんだけど。

テレビでもよくセレブの話題なんかが流れますけどね。あの人たちは、本当に幸せなんだろうかと思う。幸せだったら、なんでそれをわざわざ見せつける必要があるだろう。

わたしは貧乏だし、夫にも子供にも結構苦労してるけど、不幸ではないな。それなりに何とかなってるし、自分なりの俳句を詠めるのは楽しい。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

はなきりん

2016-11-06 04:32:45 | 







来よと言ひ 寄らざれと言ふ はなきりん     夢詩香







*写真は、ご近所の玄関前に置かれていた、ハナキリンの花です。

ハナキリンは、英語で「キスミークイック」というそうです。「早くキスして」という意味だけど、確かにそんな感じですね。かわいい唇が二つ寄り添ってる感じです。

でも、キスしてっていうからって寄っていくと、茎に痛そうな棘が密集していることに気付く。まるでサボテンみたい。それで、それ以上近づくのはやめるんですけど。

人との付き合い方もこんな感じかなって思います。

仲良くするのはいいけど、他人の茎を折るような、邪魔みたいなことはしてはいけない。
人にはそれぞれ、自分の茎をのばしていきたい世界があるだろうから。

そしてその世界って、他人には結構わからないもので。わからなくても、人は人なりに、それぞれ何とかなっていくってもので。

人それぞれに、感じることもできることも違いますからね。

好きな人と、キスしたいってことは、だれでも時々思うだろうけど。そんな甘くてうれしいことも、しょっちゅうやってたら、お互いを邪魔してしまうことになる。

ふれあいって、楽しいけど、自分のために人にやってもらうってことでもあるから。少なめにして、普段は、好きな人が自分を楽しんで生きてるってことを、幸せにしていればいい。

わたしのあの子も、楽しんでいるかな。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月を汲む

2016-11-05 04:28:30 | 







泣きわびて 空のこころに 月を汲む     夢詩香







*「空」は「そら」じゃなくて、「から」と読みます。

子供の頃は、よく泣きじゃくったりすることがあったけど、大人になると、もうそんなことはしなくなりますね。

悲しいことがあって、涙を流したりすることはあるけど、感情のバルブを広げて、泣きわめくなんてことはしなくなった。そんなことをしても、何にも変わらないってことが、わかってきたからだと思う。

また、泣くってことも、結構疲れますしね。

でも子供の頃は、よく泣きじゃくっていました。なんで泣いていたのかは覚えていないんだけど。たぶんお人形を妹と取り合ったとか、欲しいおもちゃを買ってもらえなかったとか、そういうことだったんだと思う。

泣いて泣いて泣いて、泣きつかれて、なんかふっと力が抜けて、心が空っぽになる。なんで泣いていたかなんてことも、忘れてしまって、ぼうっとしてる。そんな時に、月を見ると、心の底の底まで、月の光が差し込んでくるような気がする。

誰かが、もうやめなさいと、やさしく言ってくれているような気がする。

それで、自分でもなんとなく心の処理がついて、欲しかった人形やおもちゃをあきらめて、気持ちを変えていくことができたりする。

泣きわめくってことができなくなったのは、いつごろからだろう。わたしのあの子も、もうそんなことはしなくなった。

黙って、胸の中で、気持ちをかみしめるようになった。

あの子も、悲しい時は、月を見上げることがあるんだろうか。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菊の茎

2016-11-04 04:27:26 | 







まよひつつ ますぐにのびる 菊の茎     夢詩香







*「きくのくき」って、回文になってますね。意識したわけじゃないけど、響きのいい言葉を組もうとしたら、なんとなくそうなってしまうようなとこがありますね。

キク科の花は好きです。そっけないくらい基本的なデザインだけど、それがいい。まじめなのが好き。

花の茎っていうのは、どれもみなまっすぐに伸びようとするものだけど、時々妙な感じで歪んでるものもありますね。

種が落ちたところがまずかったりすると、茎を曲げなきゃお日様を仰げないことがある。また、何かに邪魔されて、茎を曲げなきゃいけないこともある。

風とか、色んな動物とか、花にも迷う条件はたくさんある。

けれど結局、花は上を、太陽を目指して伸びる。なぜなら、あれが本当だから。一番大切なものをくれる、一番暖かいものだから。

花はみんなお日様を目指して伸びる。それが一番いいことだから。

わたしのあの子も、今は迷って、遠くに離れてしまっているけれど。なんとなく、道が歪んでしまってるけど。わたしは、あの子にとっては、一番暖かい、安心して帰ってこれる場所でありたいと思っている。

お日様みたいに光ることはできないけど。大きなものをあげることはできないけど。

いつでも帰って来れる、暖かい場所でありたいと思っている。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誇らかに

2016-11-03 04:26:51 | その他







誇らかに 親の与えし 名を書く子     夢詩香







*わたしの幸せは、子供たちが反抗的だけど、明るいことです。

色んな事はあるけど、みんな自分を肯定的にとらえていて、考え方が明るい。友達もたくさんいる。

上の子の名前は、夫が考えたけど、下の子の名前は、わたしが考えました。

どこにでもあるようで、めったにはないような名前という感じです。今のところ、ほかに同じ名前の人は見かけない。

太くて強くて頑丈で、自分を信じて生きていく、そんな男になれよ、という感じでつけました。

その子も大きくなって、最近では親をなめるようなこともたくさんしてくれる。反抗的というよりは、わたしをずいぶん甘く見ているみたいです。まあ別に構わないんだけど。確かに結構情けない親ではあるし。いろいろ見られているんだろうなという感じはします。

でも彼は、わたしがつけた自分の名前は、気に入ってるみたいだ。学校のファイルに、ローマ字で、誇らしく、でかでかと書いてあったりする。

そんなのを見ると、なんだかうれしくなります。

すてきなものを子供にプレゼントできたような気がして。

きっとあの子は、一生あの名前を使って生きていってくれるんだろうな。









  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

べにしじみ

2016-11-02 04:25:47 | 







秋草は きぬのごときか べにしじみ     夢詩香






*11月に入って、また寒くなってきましたね。虫もこれから、だんだん少なくなってくるんだろうな。

昨日写真を撮りに、外に出かけましたが、まだヤマトシジミは飛んでいました。アゲハとかモンシロチョウはもう見なかった。

ユリオプスデージーの花を覗き込むと、コハナグモがハエを捕まえてたりしていました。虫も秋の中で静かに生きている。

もうすぐ冬が来る。草の中でふと安らいでいるベニシジミを見ると、もうそろそろ終わりだということを、ちょうちょも感じているような気がする。

フヨウもいつの間にか終わっている。フウセンカズラはまだ咲いているけど、少し寒そうです。ツワブキが咲きだした。ヒメツルソバが伸びてきている。セイタカアワダチソウが、陰り始めている。季節の変化は静かに、ゆっくりと確かにやってきますね。

そんな季節の変化の中で、きっと、少しでも安らげる草があるのは、ベニシジミにとってはいいだろう。いろんなことがあって疲れているときに、草があることはうれしいだろうな。寒い頃に、押し入れから出してくる冬布団みたいに、それは暖かいかもしれない。

夏の頃はかぶるのはタオルケット一枚で済んだけど、もう厚い冬布団がありがたい。年を取ってくると、そんな何気ないもののありがたさがわかって来る。

ちょうちょも、恋に夢中だったころは、草のありがたさなんてわからなかったかもしれない。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

のぶだうを

2016-11-01 04:29:05 | 







のぶだうを 食ひて悔いぬる 烏かな     夢詩香






*これも言葉遊びですね。「食ふ」と「悔ゆ」が似てるから使ってみたという。

現代語では似たような言葉でも、古語にすると違う言葉ってあるのが面白くて。

たとえば現代語では同じ「たえる」でも、「堪える」は「堪ふ」だけど、「絶える」は「絶ゆ」だとか、そういうのが面白い。「映える」は「映ゆ」で、「帰る」は「かへる」。「いる」は「入る」とか「射る」で、「ゐる」は「居る」。

「香り」は「かをり」だけど、「顔」は「かほ」。「舞い」は、「まひ」で、「参る」は「まゐる」。「武道」は「ぶだう」だけど、「不動」はなぜか「ふどう」。

なんでも「あいうえお」を「はひふへほ」にすればいいんじゃない。「赤い」は「赤き」のイ音便だから、「赤ひ」じゃなくて、「赤い」。だから「小さい」は「ちひさひ」じゃなくて、「ちひさい」なんてね、こんなのが面白い。

古語辞典を繰ると面白い世界が広がります。

のぶどうはきれいな実だけど、食べることはできません。烏っていうのはずるがしこい鳥だそうだけど、それが見かけに騙されて食べてしまって、痛い思いをして後で後悔した、なんて句ができました。

自分は頭がいいって過信してると、馬鹿な失敗をするって感じに読めますね。自分のことも考えたりして。

けっこうおもしろいと、自分では思う。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする