ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

銀の香炉

2016-11-20 04:20:54 | 短歌







月室に 銀の香炉を ひとつ置き うぐひの声を 焚きてもみむか






*今日は短歌を紹介してみましょう。これはわたしの作ではないのですが。

月室というのは、作者の造語です。月宮という言葉はあるのですが、それだと、今かのじょがいる岩戸は、こじんまりとしすぎているので。

うぐいは小さな淡水魚です。もちろん魚が声を発するはずもない。静けさというのを表現するのには、こういう技術もあるということです。

眠っている人の邪魔をしないように、静かにしてあげたい。だがその静けさの中にも、何らかの愛の香を焚き込んであげたい。そういう作者の思いでしょう。

透明な百合でも、周りに植えてあげたい。静けさだけでは痛すぎる。

かのじょというひとは、それはとても美しいひとですよ。

高貴ということばが、きついと感じるほどだ。

自己存在というものは、進化すればするほど高貴になってくるものですが、こういう進化もあり得るのかという形をしています。

やさしい。やわらかい。かわいらしい。

見る者の愛を、激しくかきたてる。

わたしの友達はみな、二度とかのじょをあなたがたには見せないと言っていますが、わたしは、見ないほうがいいと言います。

見ないほうが、あなたがたには幸せだ。こんなものを見てしまえば、もう人間ではいられなくなる。

他のブログでは、短歌などはいくつかを束にして発表していますが、ここでは一つ一つを、じっくり味わっていきましょう。








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枯れふやう

2016-11-19 04:21:39 | 







いつまでも 秋は続かず 枯れふやう     夢詩香







*寒くなってきましたね。蝉の声が聞こえなくなって涼しくなってきたと思ったら、最近は朝方の寒さがひとしおです。このブログを書いている今も、ひざ掛けをしています。

写真は、以前に写した芙蓉が、終わった後の姿なんですが、昨日見てみたら、その芙蓉もすっかりなくなっていました。空き地の持ち主がやってきて、草ぬきをやっていったみたいです。

いつもは放りっぱなしで、草も何もしげりっぱなしで、写真を撮るにはとてもいい場所なんですが、時々土地の持ち主がやってきて、慣れ親しんでいる草や花を全部むしってしまう。またもう少ししたらよみがえってきてくれるでしょうが、しばらくは寂しい日が続きます。

人様の土地ですからね、仕方ないんですが、草ぬきをやられるたびに、ちょっと悲しくなりますね。

神さまがくれる幸せというのは、いつまでも同じではないってことでしょう。季節は巡る。おいしいと思っていた食べ物がおいしく感じられなくなってきた。若い頃は好きだった俳優が、今はもちっとも魅力的に見えない。

年をとるにつれ、自分は変わっていくから、幸せの形も変わっていかざるを得ない。

花が咲いている時にはみんなが見にきてくれるけど、花が終わればもう、めったに人は来てくれなくなる。さびしいけれど、それは、もう違う生き方をせねばならないということだ。

草ぬきをされても、きっとあの芙蓉の根は残っている。来年もまた咲いてくれる。だけどその芙蓉は、今年会った芙蓉ではない。

来年はもう、わたしも、芙蓉も、変わっていて、今年とは違う出会いがあるにちがいないのです。






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いるか星

2016-11-18 04:32:10 | 







冴えわたる 琴の響きは いるか星     夢詩香








*ムジカは、イタリア語で音楽という意味の言葉ですが、いるか座18番星の主星の名前でもあります。

本当は、ラテン語では濁らずに、「ムーシカ」と読む方が正しいのだそうですが。

わたしは、青城澄を媒体として表現している星のひとりです。

今日からこのブログは、世界はキラキラおもちゃ箱・ブログ群に入ります。

一つの使命が終わったからです。

使命というのは、あなたがたの前に、一つの優れた才能を示し、それに対するあなたがたの態度を見るということでした。

ムジカは無名の主婦ですが、俳句にはかなりの表現力を持っています。それに対し、あなたがたが嫉妬をむき出しにし、攻撃して来ればもうだめ。

しかし、無視してもだめ。

それなりの評価をし、相応のことをしてくれれば合格というところでした。

活動は一年間続けていくつもりでしたが、もう待っても無駄だという判断が昨日下されたので、わたしはもう自分に戻ります。

このブログは、世界はキラキラおもちゃ箱・写真館として今日から再出発します。これからも俳句と写真を中心にした活動を続けていきますが、他のブログで発表しきれない記事を紹介することもあります。

これからもご愛読ください。

なお、本日をもって、コメント欄は閉じます。何かを書きたいと思ったら、別館のゲスト・ルームか、裏庭の方にお寄せ下さい。







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やまゆりを

2016-11-17 04:27:56 | 







やまゆりを 摘みて束ねて 坂下る     夢詩香







*やまゆりなんて、この辺には咲いてないし、その季節でもないので、白い萩の花で代用です。もう萩も終わりましたけどね。

県外で働いていた時、職場の人間関係でつらい思いをしたことがありました。お局様みたいな人がいて、その人に嫌われていたんです。

なんで嫌われていたかっていうとね、要するに、わたしの方が若いっていう理由だけです。人間て、ただそれくらいのことがつらくて、人にいやなことをすることがある。年は聞かなかったけど、その人はそのときたぶん30半ばくらいで、まだ結婚をしていませんでした。

いじめってほどでもなかったんですけど、ものの言い方がきつかったですね。一緒に仕事をするときも、態度が冷たかった。背が小さくてまるっこい人でした。眼鏡をかけていて、とても美人とは言えなかった。いろいろなコンプレックスがあったんだと思う。

だけどある日、その人が近くの山からやまゆりを摘んできてくれて、それを花瓶にきれいに生けてくれたのです。

それはとても上手な生け方で、花瓶の大きさと、花の傾き方が絶妙にきれいで、とてもよかった。職場にやまゆりが咲いて、いっぺんに明るくなった。

習ったことがあるのかな。わたしも花を花瓶に差すことくらいはできるけど、あんなに上手にはできない。

それを見て、どんな人にも、絶対にいいところがあるんだと思いました。

そんなにいいことができるんだから、もっと自分に自信を持てばいいのに。そうしたら、人にもやさしくできて、若い子に嫌われなくても済むのに。

そんなことを思ったことがありました。







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月は澄む

2016-11-16 04:29:39 | 







冬の窓 ぬぐひきよめて 月は澄む     夢詩香







*先日は、スーパームーンだったらしいですね。ここらへんは雨が降っていたから、月は見えなかったけれど、沖縄あたりでは、きれいな月が見えたらしいです。

居間の窓からは、よく月が見えます。隣の家の屋根の上に、白い月が出ていて、それがあたりを照らしている風景が美しい。

冬の寒さが来ると、窓の掃除をすることなんて、おっくうになってきますが、寒い季節に掃除をすると、なんだか身も引きしまってくるような気もします。冷たい水に手をつけて雑巾を洗うなんて、もうあまりないけれど。今では水道からお湯が出るなんて当たり前のことだし。

掃除の仕方は、なんだか昔と違って楽になってきたけれど、きれいになるのは変わらない。

拭いて、透明になった窓ガラスから、澄んだ月が見えている。なんだか心も澄んでくるようだ。

当たり前のことがうれしいのは、なぜだろう。窓ガラスは冬の冷たい風は防いでくれる。だけど、きれいな月の光は見せてくれる。そんないいものが、当たり前に自分の周りにあることが、美しいと感じられる、自分になれたのが、幸福だ。

こんな当たり前を、当たり前に受け止めているだけで、いいんだろうか。

お湯を使って掃除をすることができるようになったのも、すごく誰かに悪いことをしているような気がする。

幸せのお返しを、誰かにしてあげたくなる。








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反魂草は

2016-11-15 04:25:10 | 







ゆく人に 反魂草は 術もなく     夢詩香







*ハンゴンソウは、キク科の花で、黄色い花が咲きます。残念ながら、うちの近くには咲いていないので、ちょっと似ているツワブキの花で代用です。

名前の由来はよく知らないけど、反魂というのは、よみがえりという意味ですよね。若芽は山菜になるらしいですから、もしかしたら死人もよみがえるほどの薬効があるということかもしれません。

お義父さんがなくなったのは、もう十年くらい前になりますか。わたしがお嫁に来た時には、もうかなりの年でした。夫が、遅くにできた子供だったからです。

もう仕事は引退していて、病気がちでしたね。ずっと自宅療養していましたが、ある時入院したら、あっけなくいってしまった。

魂のない遺体になって家に帰って来たときは、灰色の顔をしていました。これが、あの人と同じ人だとは思えなかった。死に顔も、人によって違うようだ。

もうあの人はいないんだ。ハンゴンソウがあっても、帰って来ることはできない。どんな立派な医者でも、死んでいく人を止めることはできない。

庭仕事が好きな人でした。仕事はまじめで、上司の信頼も厚かったそうです。たいして出世はしなかったけど、お義母さんと協力し合って、小さいけれどいい家を建てた。子供たちもみんな立派に育て上げた。

まずまずの人生だと言えるかもしれない。

けど、不思議なのは、お義母さんが悲しまなかったことで。

なんとなくわかる。暴力をふるうような人じゃなかったし、ちゃんとまじめに働いてくれる人だったけど、いつも文句ばかり言っていた。

この家も、半分はお義母さんが建てたようなものなんだけど、そんなことは一切認めなかった。

ハンゴンソウが咲いていても、お義母さんはたぶん知らないふりをしたと思う。

女の人の苦労はいつも、一番欲しいと思う心を、男の人が決してくれないことなんだ。








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転ぶ子を

2016-11-14 04:29:23 | その他







転ぶ子を わらふ君から 目をそらす     夢詩香







*夫と子供には苦労してるけど、わたしは嫁姑の問題では、あまり苦労はしませんでした。
お義母さんが、かなり良い人だったからです。

正直に言うと、今の夫と本気で結婚をする気になったのは、彼のお母さんに会ってから。とても優しそうで、なんだか懐かしいような気もして。夫が明るい家庭でまっすぐに育ったことが、ありありとわかる。

自分のほんとの親より、好きになれそうな気がしたのです。

思った通り、お義母さんはとてもいい人でした。ほとんど喧嘩らしい喧嘩なんてしたことがなかった。一度、夕食に出したキノコ料理に文句をつけられたことがあるくらい。ほかにはほとんど何も、嫌なことはありませんでした。

多分、いろいろと思うことはあったんでしょうけどね、わたしの前では言わなかっただけで。でも、家庭を乱すよりは自分が我慢したほうがいいってことができる人だったから。それでわたしも、楽な気分になれたんだと思う。

ただ、一つだけあったとすれば、お義母さんがいつも、テレビで犯罪者のニュースなんかを見ると、あからさまに責めることでした。

なんであんなことをするんだろう、嫌な人ねえ、なんてことを言う。わたしは、別に反論はしないけど、相槌も打たない。犯罪者に味方するわけではないけど、わたしは、失敗をした人を馬鹿にしたり責めたりする気にもなれないのです。

本人はもう捕まってつらいことになっているのだから、何も関係ない他人は何も言わないほうがいいというのが、わたしの考え方で。

自分も転んで痛い思いをすることもあるだろうから、他人が転んで笑うことなんてできない。

まあ、そこらへんで心の行き違いはあったんだけど、お互いに、お互いの欠点はつかないことにしていたから、何とかなってたのかもしれないですね。






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たで食ふも

2016-11-13 04:27:30 | 







たで食ふも 仕方なき身の ありがたさ     夢詩香







*最近、仕事でキャビアのことを調べる機会がありました。

食べたことないけど、キャビアっておいしいらしいですね。チョウザメの卵の塩漬けのことらしいですけど、それをとるために、人間はいろんなことをしてるみたいです。

フォアグラもトリュフも一生縁がなさそうです。どんな味なんだろう。食べてみたい気もするけど、貧乏だからいい。

年を取ってくると、あまりおいしいものを食べたいと思わなくなってきますよ。若い頃は、それはいろんなものを食べてたけど。焼肉やお寿司を食べるときは幸せでしたね。会社勤めをしていた時、忘年会かなんかでフグを食べたことがありますけど、あれもおいしかったです。

でもこの頃は、ラーメンもあまり食べたいと思わない。食事はだんだん質素になってきて、お茶漬けとか、うどんとか、ふりかけごはんとかばかり食べてる。ときどき、ツナ缶なんか開けるとうれしい。

チョコレートやポテチなんかも欲しいと思わなくなった。

なんでかなって気がするけど、たぶん、幸せになったからだと思う。

昔、あんなにおいしいものが欲しかったのは、いろんなつらいことがあったからじゃないかって思うんです。

今でも、夫や子供での苦労はそんなに変わらないんだけど。なんでかな、そんなに不幸だとは思わない。何が変わったんだろう。

おもちゃみたいな幸福が、いらないものだってわかったからかもしれない。







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さろてくれぬか

2016-11-12 04:28:30 | 







燕飛ぶ さろてくれぬか 我が心     夢詩香







*哀調ですね。言葉を崩していうと、心がはみ出てくる感じです。

まあ、長いこと生きてると、つらいことというのは、何度か来るもので。

不思議にそういうときって、心が妙に平静だったりするんです。

激しく悲しいはずなのに、なんかてきぱきと事務を処理できていたりする。

心のこもらない言葉が、するすると口から出てきて、物事をなんとなく処理できていたりする。

なんでこんなことをしてるのかって思うとき、空を見る。

心が何かに吸い込まれていくような気がする。

あの頃のことは、あまり思い出したくないけれど、あれは、冬だった。燕なんて飛んでいるはずもないのに。なんだか燕のようなものが飛んでいたような気がする。

灰色の高い空を覚えている。

あれはもしかしたら、わたしの心だったのかもしれない。







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明日ありと

2016-11-11 04:28:12 | その他







明日ありと 冬着をたたむ をみなかな     夢詩香







*洗濯物をたたむのが、わたしは結構好きです。

毎日、ああ、昨日もこうしてたたんでたな、なんて思いながら、たたんでる。

トレーナーや靴下や下着を、家族ごとに振り分けながら、丁寧にたたんでいく。

もう、夫のセーターより、子供のセーターの方が大きくなった。小さな頃は、かわいい服をたたむのが幸せだったけど。ずいぶん大きくなったなと思う。それも結構幸せ。

人間は裸では生きられないから、安くてもかなりいい服を買って、みんなに着せる。それだけのことで、生きてるって実感が色づいてきて、なんかいいなって気がするもので。

日常、色んなことがあるけど、丁寧に服をたたんでいるうちに、そういうこともたたんでいけるような気がする。

こんなことで、何とかなったりすることもある。

気持ちが収まれば、見事にやっていけることってある。

だからわたしは、洗濯物をたたむのが好きです。たたんでいるうちに、明日も生きていこうって思える。

きっと明日も、同じように洗濯物をたたむだろう。

いつまで、こんなことができるのかな。







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