のぶだうを 食ひて悔いぬる 烏かな 夢詩香
*これも言葉遊びですね。「食ふ」と「悔ゆ」が似てるから使ってみたという。
現代語では似たような言葉でも、古語にすると違う言葉ってあるのが面白くて。
たとえば現代語では同じ「たえる」でも、「堪える」は「堪ふ」だけど、「絶える」は「絶ゆ」だとか、そういうのが面白い。「映える」は「映ゆ」で、「帰る」は「かへる」。「いる」は「入る」とか「射る」で、「ゐる」は「居る」。
「香り」は「かをり」だけど、「顔」は「かほ」。「舞い」は、「まひ」で、「参る」は「まゐる」。「武道」は「ぶだう」だけど、「不動」はなぜか「ふどう」。
なんでも「あいうえお」を「はひふへほ」にすればいいんじゃない。「赤い」は「赤き」のイ音便だから、「赤ひ」じゃなくて、「赤い」。だから「小さい」は「ちひさひ」じゃなくて、「ちひさい」なんてね、こんなのが面白い。
古語辞典を繰ると面白い世界が広がります。
のぶどうはきれいな実だけど、食べることはできません。烏っていうのはずるがしこい鳥だそうだけど、それが見かけに騙されて食べてしまって、痛い思いをして後で後悔した、なんて句ができました。
自分は頭がいいって過信してると、馬鹿な失敗をするって感じに読めますね。自分のことも考えたりして。
けっこうおもしろいと、自分では思う。