いつまでも 秋は続かず 枯れふやう 夢詩香
*寒くなってきましたね。蝉の声が聞こえなくなって涼しくなってきたと思ったら、最近は朝方の寒さがひとしおです。このブログを書いている今も、ひざ掛けをしています。
写真は、以前に写した芙蓉が、終わった後の姿なんですが、昨日見てみたら、その芙蓉もすっかりなくなっていました。空き地の持ち主がやってきて、草ぬきをやっていったみたいです。
いつもは放りっぱなしで、草も何もしげりっぱなしで、写真を撮るにはとてもいい場所なんですが、時々土地の持ち主がやってきて、慣れ親しんでいる草や花を全部むしってしまう。またもう少ししたらよみがえってきてくれるでしょうが、しばらくは寂しい日が続きます。
人様の土地ですからね、仕方ないんですが、草ぬきをやられるたびに、ちょっと悲しくなりますね。
神さまがくれる幸せというのは、いつまでも同じではないってことでしょう。季節は巡る。おいしいと思っていた食べ物がおいしく感じられなくなってきた。若い頃は好きだった俳優が、今はもちっとも魅力的に見えない。
年をとるにつれ、自分は変わっていくから、幸せの形も変わっていかざるを得ない。
花が咲いている時にはみんなが見にきてくれるけど、花が終わればもう、めったに人は来てくれなくなる。さびしいけれど、それは、もう違う生き方をせねばならないということだ。
草ぬきをされても、きっとあの芙蓉の根は残っている。来年もまた咲いてくれる。だけどその芙蓉は、今年会った芙蓉ではない。
来年はもう、わたしも、芙蓉も、変わっていて、今年とは違う出会いがあるにちがいないのです。