失せけりと 青ざめて泣く 露草の 明日の種を 身に宿すかな
*これは、かのじょが短歌を詠み始めた、最初の頃に詠んだ作品です。確か、ミクシィに発表したものではなかったか。初心者だというのに、うまいですね。前世での積み重ねが、この時出てきたのです。
何をなくしたのかわからないが、露草がなくしたと言って青ざめて泣いている。心配することはない。あなたの中には、明日の種が宿っているから。
本当に、心優しい人だ。なんにでも、よいことを見出してやろうとする。悲しいことはない、何とかなるんだと、勇気づけてくれようとする。だが、わたしに言わせてもらえば、取り返しのつかない喪失というのは、よくあるものだ。
この時のあの人は、自分がまさにそういうものになるとは、思ってもいなかったろう。
あなたがたは大勢で、あの人を否定して虚無の向こうに追いやってしまったが、その喪失の寒さが真に骨身に染みるのは、ずっと後のことだ。そのときに後悔しても、すべては遅い。無くしたものは、永遠に戻らない。厳しいが、神は、人間が、決してしてはならないということをした時、最も厳しい裁きを下すのです。
いやだというのなら、二度とお前たちに、あの愛はやらないと。それはもはや永遠にくつがえらない決定です。やり直したくてもできはしない。
再生のない死とは、本来あるものではないが、人間がそれを願ったとき、神がそれを作るのです。神の創造はすばらしい。絶妙の技で、見事に美しくおやりなさる。あなたがたはわめくことすらできないのだ。
ありえないことなど、この世界にはないのですよ。自己存在とは、あらゆるものを創造していくものですから、なんでも作ろうと思えば、作ることができる。消滅というものすら、神ならば作ることができるのです。
だが、かのじょのこの歌にあるように、明日の種というものが、全くないかと言えば、そうとも言えない。あなたがたも同じ、自己存在ですから、自分で作ろうと思えば、自分の中に、明日の種を作ることもできるのです。
十二分に勉強することは必要だが、失ったあの愛は戻らないまでも、それに近いものを作ることができるかもしれない、自分を作ることはできる。
それが創造というものです。