ムジカの写真帳

世界はキラキラおもちゃ箱・写真館
写真に俳句や短歌を添えてつづります。

吾子やの貝

2017-02-04 04:21:21 | 短歌






月草の 消ゆべき露の 身を保ち 吾子やの貝に 弦を張る人






*短歌が多いですね。今のところ、俳句を詠んでいるのはわたしだけなので、ほかのものの作品を紹介しようと思えば、どうしてもこうなります。

「月草の」は、「移ろふ」とか「消ゆ」などにかかる枕詞です。前にも使ったのがありましたね。月草は露草。その花で染めた色があせやすいことから、ものごとのはかなさとか移ろいやすさのたとえによく使われます。

露草の色のように、消えてゆくべきはかない露のようなその身を保ち、「我が子よ」という響きを持つ名の、阿古屋貝の殻に、琴の弦を張る人がいる。

阿古屋貝の阿古屋は、本来は地名からつけられた名らしいですね。だが、「吾子や」という言葉と同じ音だ。我が子のように人を愛していた人が、その歌を歌うための琴をつくるには、ふさわしいものでしょう。

白珠を作る貝でもある。

真珠は美しいものですが、それを作るのは、貝にとっては苦行です。大事なものでも、自分にとってはやはり異物であるからです。女性が子を孕むのも、そういう苦悩があります。かわいい子をお腹の中に宿しているとき、女性は深い幸せを感じるものだが、やはりそれにともなういろいろな試練があるのです。

つわりから始まって、いろいろな体の変化に耐えていかねばならない。月が進んでくると、歩くのも大変になる。足元のものが拾えなくなる。人に助けてもらわなければ、生きるのが難しくなってくる。

負担というものを考えるなら、女性の方がきついですよ。男は自分のやっていることのほうが、負担は大きいと考えているようですが、神が与えてくれた本来の力からすれば、楽々できるようなことしか、ほとんどやっていません。命に係わることをやっている人なんか、まれですよ。ただそんなふりをして、偉そうにしている人がほとんどです。

出産の方が、よほど命に係わる。

芥子の花のような細い体をしていても、背骨を折られるような痛みに耐えて、産まねばならないのです。

阿古屋貝も、真珠を採られるときの痛みは、どんなものでしょう。無理矢理口を開けられて、球を採られたあとは、もう用のないものとしてつぶされる。

あの人も、血を吐くような思いで、白珠を産んだのです。貝の琴のような、小さな一台のパソコンのみを使って。








  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする