motoryama7011fの鉄ヲタ日記

おでかけしたい

ニトリのメスティンを比較レビュー

2020-04-26 00:37:30 | メスティン



おいしいご飯が炊けるライスクッカー、スウェーデンのトランギア社が販売している「メスティン」


業務用固形燃料とポケットストーブ"みたいなやつ"とを組み合わせて快適な自動炊飯ライフを送っております。






おでかけに行けないが故にフラストレーション溜まりまくりなこの頃。
ニトリで500円で買えるスキレット、通称「ニトスキ」で肉を焼いたりしています。

トランギアのメスティンとニトリのスキレットを買った時の記事も合わせて読んでいただけるとちょっとはわかりやすくなるかと思います。
記事の日にちを見て気づきましたが、なんだかんだ飽きずにメスティン炊飯が1年以上続いているんですね。
言ってしまえばロマンだけで買ったようなもんなのですぐ使わなく気がしていましたが…w

ロマンだけで言えばホットサンドメーカーも欲しいんですが、パンよりごはんの白米至上主義なのですぐ使わなくなるだろうなぁと思って結局買えてません。ただ魅力的ではありますよね…




おこげができる、キャンプ飯が楽しめるというロマンだけでなく固形燃料による自動炊飯が出来ること、お茶碗によそわなくていいから洗い物が減るというあたりがめんどくさがりな私にはちょうど良かったのかもしれません。
無洗米を1合計量カップですくって、水は取っ手を固定する為のリベットの下あたり目安に適当に注いで、30分くらいほったらかして浸水。
固形燃料に着火してからは炎上してないか気にする程度で基本ほったらかし、約20分で火が収まりますが蒸らすのも兼ねて45分くらい放置しておくといい感じになるような気がします。
本当なら火が消えてから攪拌させて、再度蓋をして保温容器の中で蒸らすべきなんでしょうがめんどくさくてやってません。

そんなわけでメスティン飯美味しいなぁとカレーを食べながらTwitterで検索をかけてみると、どうやら2020年4月ごろからニトリでメスティンを売るようになったとの情報を入手。
Youtuberではありませんが、折角なら比較レビューとやらをしてみようと思い買ってきました。
メスティンの売りはご飯だけでなく鍋や蒸し料理、燻製なんかもできることなので炊飯用の他に調理用も欲しいなぁとは思っていたんですよね。


現在使っているMade In SwedenのTrangiaロゴが入っているほうがもちろんロマンはあるんですが、果たして…




ということで近くのニトリに行ってきました。
三密を避けた散歩は推奨されているはずなのでセーフです。
キャンプシーズンが近づいていることもあってか、入り口近くのキャンプ用品コーナーに堂々と置いてありました。
お値段は1,700円ちょいということでトランギアと大して値段は変わりません。

しかし、現在Amazonでトランギア製メスティンの値段を調べてみると最安で3,120円とかなり高騰しているようです。
カセットコンロでおなじみのイワタニのHPでは定価の1,600円で売られているようですが品切れ。まだまだブームが続いているってことですね。

Amazonを見ると、他にMiliCamp製が1,920円、あとはSUNDRY、Neelac、YFFSDFDC、ESEE、Crystal、COCOLT、SPACEENなどなど、非常にたくさんのメーカーがメスティンという名前でライスクッカーを出していることがわかります。
メスティンというのがてっきりトランギアの登録商標なんだと思っていましたが、あれは「飯盒」を指す一般的な名詞のようです。


ただ個人的にはやっぱりトランギア性が一番王道を往く選択なんじゃあないかなぁとは思います。
使いまくって焦げたりしてきちゃってますがそれもまた愛着がわくんですよね。
外側の焦げは洗ってもいいですが、内側を金たわしとかでごしごしやるとシーズニングの効果が解けちゃうんですよね。
お手入れに気を使うという点ではスキレットも同じ、定期的に使ってあげることが大切です。


では、今回ニトリで買ってきた山善製のメスティンを開封していきましょう。


大きさはほぼ同じです。ただ数ミリ縦方向の大きさが違うようで蓋の互換性はありません。
蓋のはめ合いがメスティンの要なのでここは下手に取り換えないほうがいい気はします。
比べてみるとわかるかと思いますが、かなり色が違います。
ともにアルミニウム製なのですが、使い込むことで結構変色するんですね。

トランギアのメスティンはハンドルのラバーが黒のものと赤のものでカラーバリエーションがありますが、ニトリの製品にそういった種類は特に内容です。
ちょうど手持ちが赤色だったのでパッと見分けがついて逆に良かったかもしれません。


見た目の大きな違いとして、トランギア製は蓋の下のところに1段エッジが加工されているのですがニトリのやつはストレート。
あとはハンドルを押さえるリベットが1つ多い、というくらいでしょうか。

あと、画像では伝わりづらいポイントかと思うのですがニトリのほうのハンドルラバーはかなりガバガバです。
黒いラバーの径のほうがかなり大きいのがよく見ると分かるかと思います。
実用には問題ないですが、ここはやっぱり遊びが少なくピッチリしていてほしい気もします。

一応端面を耐水ペーパーでなぞってから実戦投入。
エッジは普通に効いているような気がしました。先に丸めてあるメーカーもあるそうですが。


シーズニングはめんどくさいので、とりあえず一回炊飯してみることにしました。
多少アルミの匂いが気になっても味の濃いおかずで食べちゃえば行けます(多分)


炊飯中の様子を見ていると、ハンドルの押さえがない手前側が浮いてきがちだったので鯖缶を置いて重しにしています。


炊飯してみましたが、まあ普通に炊けました。
今回もよく考えずにリベット穴の少し下を狙って水入れて炊きましたがいい感じです。
そんなにアルミ臭が気になることもなく、おいしいご飯が炊けました。
若干やわいごはんな気はしますが、水加減の微調整が必要なのはトランギア製でも一緒です。


サバの味噌煮、おいしいです。

ニトリのメスティン、とりあえず炊飯してみましたが普通に使えるとは思います。
蓋をはめる際の金属の擦れる感じが嫌な感じしますが、これは使い込むことで消えていくんだと思います。
トランギア製を使い始めたころのことをあんまり覚えていないのであれですが、ニトリで買っても全然使えると思います。
気になった点は、蓋がちょっと浮く点とハンドルのラバーに隙間がある点ですかね。

これからも、自宅待機のお供として遊んでいこうと思います。


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東海道サイクリング その2 (桑名→岡崎)

2020-04-16 21:44:35 | 旧五街道サイクリング
東海道を自転車で往く無謀企画。桑名で一泊し2日目は岡崎のHELLOCYCLINGステーションを目指します。


宿泊したのは三交イン桑名駅前。
建物の雰囲気などは東横インに似ていますが無料朝食のメニューはこっちのほうが豊富な気がしました。
昨日ほどではありませんが今日も結構な距離を進むことになるので栄養をつけておくことにします。

奥に見えているのは三交インオリジナルという味噌風味のカレー。
何でも味噌味噌言っておけばいいというのは浅はかですな名古屋出身の私が物申してやりますですなんて思っていましたが、これがなかなか美味しかったです。
普通のカレーに献立いろいろみそみたいな調理みそを混ぜたような味で味が喧嘩することなく不思議な味わいでした。


お茶漬け用の出汁も用意されていたので二杯目。ごちそうさまでした。


8:26 ホテルを出発します。
こんなチャリでホテルに来るやつも珍しいですよね。ロードバイクならまだしも。


そういえば、紹介し忘れていましたがHELLOCYCLINGでは24時間以上の利用だと通知を寄越してくれるんですね。
不慣れな人が返却に失敗したまま返せたもんだと思い込んでいると無限に料金が発生してしまうのでこの通知は親切だと感じました。


桑名駅前。結構レトロな雰囲気が漂いますがJR・近鉄の駅舎建て替えが工事中なのでバスロータリーのあたりも変わってしまうのかもしれません。


5分と漕いでいないですが着きました。線路沿いです。
1日置いて回復したかなと思いましたがサドルと当たる位置の骨がめちゃくちゃ痛みますね。うおぉ…




名古屋からも近いことから何度か来たことがありますが、ここは日本で唯一3つの軌間が並ぶ踏切。
手前から、三岐北勢線762mm‐JR関西線1067mm‐近鉄名古屋線1435mmが並んでいます。
一体の踏切なのかと思いましたが、近鉄名古屋線の踏切とJR・北勢線の兼掌踏切との2つになっているみたいです。


写真には納めていなかったのでストリートビューを載せますが、JRに対する踏切非常ボタンは踏切の中州部分に設けられているのみで道路側にはありません。
これでは遮断機降下時に何かあったら北勢線の線路を横断しないと押しに行けません。
推測ですが、当初は北勢線の踏切は遮断機のない第4種踏切でJR関西線のすぐ手前に遮断機が設けてあったものを兼掌扱いとして手前に移設した結果こうなったんじゃないかなぁと思います。
だったら踏切非常ボタンも一緒に持ってこればいい気がするんですが…よくわかりません。


ここで北勢線の写真をパチリ。
やっぱりナローゲージのせまいせんろはちっちゃくてかわいいですね。


8:58 桑名名物安永餅
撮り鉄を終え、ようやく自転車旅スタートです。
アシスト残キロは28km。これを0にしないように多くの区間はアシスト機能を切って進むことになります。


ここで、今更ながら旧東海道の宿場について簡単に図を用いて説明しておこうと思います。
昨日は東海道にほぼ沿う形で七里の渡しを控える宿場町桑名までやってきました。
三条大橋から草津までを共用する中山道はそのまま北へ向かいます。
途中の地名からわかる通り現在の東海道本線は中山道、及び脇街道の美濃路にだいたい沿ったルートとなっています。

また、街道をバイパスする道がいくつか設けられています。
大津と草津の間で急がば回れという言葉に従わず矢橋渡船を利用する短絡ルートが矢橋街道。
桑名から宮までの間にある大変な海上航路「七里の渡し」を回避し、波の比較的穏やかな河川航路「三里の渡し」で佐屋に至り進むのが佐屋街道。
こちらは距離的には長くなるはずですが海上航路を避けるという意味で有用なルートであったものと思われます。
図には載せ忘れましたが四日市から宮に至る「十里の渡し」というのもあったらしいですが、回避ルートがあるのに選ぶ人がどれだけいたのかよくわからないところです。

もう一つ図中にあるバイパスルートが朝鮮人街道。中山道沿線なので今回は直接関係ありませんがついでに載せておきます。
中山道は守山から先、現在の新幹線に近いルートで武佐、愛知川、高宮を通って進んでいきます。
多くの人が行き交う街道が自分の城の近くを通ってほしいということで安土城主の織田信長がその辺にあった道を繋いで安土を経由するように整備したのがいわゆる朝鮮人街道。
ここを通って行った武将が勝つっていうことが相次ぎ縁起がいい道ということでその辺の大名がこぞってこの道を通るようになったのですが、そうなると今度は格が下がるということで将軍専用で大名の参勤交代では通行禁止ということにルールを定めたそうです。
ただ、海外からのお客様である朝鮮通信使に関してはこの道の通行を認めていたということでこの名がついているようです。

距離的には中山道のほうが短いのでバイパスの効果はありませんが八幡・安土・彦根の発展に寄与した朝鮮人街道。
その後東海道本線がこっちを経由することになったのはこの道の影響があったんじゃないかなぁと思います。

だいたいそういう時には国鉄が通らなかった旧街道沿いを拾う私鉄が現れるものです。
この区間は近江鉄道が辿っていることがわかるかと思います。
宮から先岡崎方面においても東海道本線は旧東海道から離れたところを通っているため、そのあたりを拾う感じで名鉄名古屋本線が敷かれています。




9:10 東海道の桑名側の端、宮の渡しにやってきました。

ここから名古屋方面を目指すとなると、木曽三川を越えなければいけません。
このあたりの道に関しては名古屋に住んでいた頃に自転車で何度か来たことがあるのでよく知っています。
現在の国道一号線は弥富(前ヶ須)を通る前ヶ須街道に沿っていきますが、この道はかなり歩道の状況がよろしくありません。
特に弥富市内の歩道は狭く自転車で快適に走れるとはいい難い状況です。


そこで私が選んだのが元々国道1号線の名四バイパスとして整備された国道23号線。
名古屋出身ということで馴染みのある道です。本来は「めいし」と読むはずですが「めーよん」で通っている気がします。
国道1号線の木曽三川~蟹江あたりまでは片側1車線のみでよく渋滞します。なばなの里もあって悲惨なことになります。
それに対して国道23号線はバイパスなだけあって全区間で片側2車線以上が確保されており基本的には快適に進むことが出来ます。
車道だけでなく歩道もかなり立派なので木曽三川越えに関しては国道23号線を選ぶのがよろしいかなぁと思います。


揖斐川の堤防に沿って国道23号線を目指します。




国道23号線に沿って揖斐・長良川を越えたところにある長島パーキングに到着。


のどが渇いたのでここで休憩。桑名の自販機で売っていた三重県限定の缶コーヒー。


今度は木曽川を越えていきます。
国道一号線は木曽川を越えたところで県境をまたぎ愛知県に入りますが、国道23号線は木曽川を越えてもまだ三重県。
木曽川の愛知県側河岸を干拓して誕生した木曽岬町が三重県の範囲とされたことが影響し現在もここは三重県になっています。


国道一号線に比べて幅が広く走りやすい歩道。助かります。




木曽川などの大河川と違い、用水路レベルの鍋田川が現在も県境となっています。
昔は木曽川の支流としてそこそこの川幅があった鍋田川ですが、治水事業の一環で締め切られ現在ではこんなレベルになっているみたいです。


カワウでしょうか、鳥さんがいました。


ここからはついに愛知県。気分的には木曽川を越えたところのほうが境界を越えたっていう感じがしますが…


日本一長い地名、「愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割」のあたりを過ぎてさらに東へ。


梅之郷交差点では国道302号線と交差します。
ちょっと見ないうちに名古屋高速の名二環がだいぶ出来上がっていますね。




日光川排水機場を越え、藤前地区へ。
遠くには伊勢湾岸道の名港トリトンが見えてきます。名古屋に帰ってきた感がありますなぁ。


ついにここから名古屋市へ入ります。ついに…!


この先の国道23号線は藤前五丁目の歩道橋、庄内新川橋、荒子川運河橋、中川運河橋の前後はスロープの歩道はなく階段を押して上がる感じと決して走りやすい道とは言えなくなります。
藤前に至る前に梅之郷で歩道橋を上り下りしなければいけませんが、ここ一か所だけ我慢して藤前から北上するのが一番楽なんじゃないかなぁと思います、梅之郷から北上しようとするとちょっと迂回する形になってしまいますので。




10:40 水分補給のためイオンモール名古屋茶屋へ。
実家に帰った時よく行くイオンです。もう名古屋の生活圏、まさか京都から自転車でここまで来られてしまうとは。




八事火葬場のキャパオーバーに伴い、名古屋市内のなるべく人がいない場所に作られた名古屋第二火葬場。
迷惑施設受け入れの見返りとしては定番のイオンモール設置でしたが早くも空きテナントが増えてきているのが悲しいところです。
これが出来たことで客が吸い取られたイオンモール名古屋みなとはまだしもこちらもこうなってしまうとは…
車で訪れるお客さんが大多数なので多少の距離なら取られてしまうということでしょうか、港区役所近くに出来たららぽーとにも客を奪われて港区内で潰し合いが起こっているような気がしてしまいます…

イオンモール名古屋茶屋からまっすぐ東へ、イオンモール名古屋みなとの脇を過ぎて本宮町までやってきました。
この近くの中川運河沿いにはウィラーエクスプレスの車庫があるようなのですが…




例の大流行ウイルスの影響で4/4以降は潔く全路線を運休としているためかなりバスがぎっちり並べられています。

奥のほうにはリボンを纏ったデザインの3列豪華仕様車「ラクシア」も見えます。


デザインが大きく違う「ラクシア」でも「ピンクのバス」のアイデンティティは捨てておりませんでしたが、1台だけそもそもピンクですらない車両もいました。
シェル構造のシートでプライベート空間を確保した超豪華仕様、18席のみという「リボーン」だそうです。


いろは橋を越え、港区役所へ。




名古屋高速と一体のきらく橋で堀川を越えます。
このきらく橋の横の謎の縦長駐車場、怪しい形をしています、ここは昔堀川口駅という駅が設けられていました。


黄緑色の線が今回の自転車移動ルートですが、赤色の線が過去名古屋港周辺の貨物線が敷かれていたところ。
現在も残る名古屋港貨物駅からシートレインランド・名古屋港水族館・イタリア村跡地を掠めて北上、現在も保存されている名古屋港跳上橋を渡って堀川の船着き場をぐるっと囲むように線路が伸びていました。

このあたりの詳細については「名古屋港周辺廃線・休止線探訪記」という記事にまとめています。
2013年とだいぶ昔に書いた記事ですが廃線跡を取り扱った影響かいまでも結構アクセスを頂いています。感謝。


きらく橋も新しい橋なだけあってかなり走りやすい道となっています。


このあたりで、いくら4月とはいえ1日中外に出ていると日焼けがやばいということに気づきディスカウントストアコスモスへ。
時すでに遅しな気もしますが一応ここで日焼け止めを購入、気休めですが塗っておきました。


宝生町から名古屋臨海鉄道の高架橋に沿って国道23号線と交差する浜田町へ。




名古屋市バスの鳴尾車庫を通って天白川を越えます。
名古屋周辺なら別に撮らなくてもいいかぁとスルー決めたのですが、直後に天白川橋梁を渡って豊橋方面へ上る373系が過ぎていったのを目撃。
やっべと思いカメラを取り出すも間に合いませんでした。定期列車では名古屋地区に入線しない373系、撮りたかった…

どうやら名古屋発東静岡行きの臨時急行「ホビーのまち静岡」号運転を前に試運転を行っていたようです。
残念ながらあれも運転取りやめが決定してしまいましたが…


そして鳴海宿で旧東海道に戻ります。
華麗に宮宿(熱田)をスルーしましたがあの辺は何度も自転車で行ったことがあるエリアなので別にいいかなぁなんて思いまして。


12:39 左京山駅に到着。




高架の鳴海駅を出て地上に降りてくる名鉄電車を撮影。
熱田から先、JRは大高-大府-安城-蒲郡-豊橋と進むのに対し名鉄は旧東海道に綺麗に沿って鳴海-知立-岡崎-藤川-豊橋と進みます。さっきも言いましたが。




中京競馬場前駅の付近、桶狭間のあたりで名古屋市は終わり、ここからは豊明市に入ります。


今川義元が桶狭間の戦いで本陣を置いたという地、今川町で旧東海道は国道一号線とクロスします。


その後国道一号線を外れ知立駅方面へ。
バス停名から不思議と知ってるいわせ外科クリニックの前を通って駅の方向へ。




知立駅に着きました。ここで池鯉鮒宿名物といわれる藤田屋の大あんまきが売っているはずとやって来たのですが、知立駅高架化工事の関連で一時休業中みたいです。残念。
ただ、本店が国道一号線沿いのドライブインにあるみたいです。そのまままっすぐ進んでいれば着いていたのか…


そんなわけで国道一号線に戻って進むと、ありました。


13:45 藤田屋に到着。


古くは東海道池鯉鮒宿の休憩所として、自動車社会になった後もトラックが行き交う国道一号線のドライブインとして行き交う人々に大あんまきを提供してきた歴史あるお店です。
見た目からして、ドライブインとしても結構昔からやっていそうな雰囲気がありますね。




名物の大あんまき。名鉄名古屋駅の名鉄百貨店などでも売っていて有名なのは知っていますが実は初めて購入。
見た目から味の想像は着くと思いますが、疲れた体に餡子の糖分が効きます。美味しい。


ラストの区間、岡崎まであと約13km!


温存しておいたアシスト機能ですが残り約13km。
ここからは平地でも遠慮なく使っていくこととします。
あくまでアシスト機能が効いている距離の目安なので下り坂の惰性などを考えれば余るはずです。


藤田屋を出発して名鉄三河線を跨ぐと御林交差点。池鯉鮒宿の本陣が置かれていた近くになります。
道路看板を見上げると、「東海道松並木」という興味深い文言が。
この交差点では地下道を押していかなければいけないので少々厄介ですが、それでも旧東海道沿いを選ぶ価値はあると思います。




これが知立に保存されている東海道松並木。これはすごい…
前回記事でも紹介しましたが、旧東海道には日よけ、風よけなどを目的とした松並木が全体の約4割に整備されていました。
しかし、その後邪魔だ邪魔だと各地で伐採され今も松が植えられているのがごく僅かになっているのは当記事を読んでいただければよくわかるかと思います。
土山町内の松の保存も見事でしたが、ここは本当に時代劇で見るような雰囲気で松並木が残されています。
立派な松並木が残っているのは約500mと短いものの、往時の松並木を恐らくほぼそのままに残してくれているため効果があったんだなということが実感できます。
また、単純に雰囲気がいい、旅情あふれる素晴らしい名所になっていると思います。
整備は鬱陶しいはずですし根っこが隆起して舗装がやられたりもすると思いますがそれでも残してくれているのはありがたい限りです。


知立松並木ほどの規模ではありませんが安城市内に入っても松並木が残されています。
土山町と比べて宅地化がされている知立・安城のエリアでこれだけの松が今も残されているのは本当にすごいことだと思います。


明治用水の水路に沿って整備されている豊田安城自転車道との交差地点、明治川神社では桜が綺麗に咲いていました。
創建は1880年と神社としては比較的新しく、明治用水の整備に合わせて東海道と交差する地点に作られたもの。
水の神様を祭神とし、明治用水の功労者を祀る神社として建立されたようです。




14:44 岡崎市に入りました。


矢作川にかかる矢作橋を越えると岡崎市の街並みが見えてきます。
この矢作川は結構な川幅があるのでてっきりここも渡し船で越えていたのかなと思いましたが、ここは橋が架けられていたようです。
むやみに橋を架けられなかった時代において珍しく架橋が許されていた場所、江戸時代には日本最長の橋だったそうです。


橋を越えてすぐのところには岡崎名物八丁味噌の工場が集まっています。


愛知環状鉄道中岡崎駅、名鉄岡崎公園前駅を経由し岡崎公園のほうへ。


桜の名所として知られる岡崎公園前駅。
岡崎公園に近いかといわれると東岡崎から行っても大して変わらない気がしますがそうじゃないんですよね、岡崎公園前駅の線路沿いには多数の桜が植えられていてむしろこの駅自体がお花見スポットになっているんです。
桜と名鉄特急を絡めて1枚。これは綺麗。




15:24 岡崎公園
ついにやってきました。桜の名所岡崎公園です。
一応自粛期間中のはずですが、それでも多くのお花見客でにぎわっておりました。お前が言うなって感じなので何とも言いませんが。
ただ、やっぱり宴会などはしないように規制されているようで皆様歩きながら花見を楽しんでいるようでした。


時間帯的に逆光になっちゃいますが乙川を渡る名鉄電車の姿も。




さて、では最終目的地の東岡崎駅へ。
岡ビル百貨店がかなりレトロな雰囲気を出していますが、東岡崎駅の建て替えが進行しているのでそのうち見られなくなるのかもしれません。


久々に見かけました。HELLOCYCLINGのロゴマークがちゃんとあります。


到着時の残キロ数は3km。これが0になってしまうと鍵のロックや返却操作すらできなくなってしまうため少しは残さなければなりません。

2日かけて京都からやって来たわけですがここで返却できなかったら…京都に帰るんですか…?



無事に返却操作が完了しました。よかった。




ということで京都の二条駅から東岡崎駅まで、Googleマップの距離計算によるので誤差はあると思いますが約170km。
自転車だけでも来れるんですね、陸続きなんだからまあ当たり前なんですが。


流石に今回はちょっと疲れましたね。
東岡崎駅のロッテリアでおやつを食べてから帰ることにします。


感染拡大防止の目的で自転車移動ならええやろと来たわけですが、帰りは電車です。
そろそろ学生さんの帰宅時間帯に被る気がしたので、大人しくミューチケットを購入しました。
やっぱり、かなり空いていますね。
ちょうど疲れていたのでリクライニングシートを選んで正解だったなぁと思います。


名古屋駅からは新幹線に乗り換え。
ウッソだろ…というくらい誰も乗っていないのぞみ号。


京都駅もこんなんでした。こわい。



今回、京都→桑名の約115kmと桑名→東岡崎の約55kmの計170km
誤差が大きそうなので実際どれだけの距離を進んだのかはいまいちわかりませんがそんなもんということにしておきましょう。


旧東海道に沿って東へ進んで次にHELLOCYCLINGのステーションがあるのはどこかなぁと見てみたところ、静岡県の藤枝のようです。
この区間は鉄道が大幅にそれることもないので、東岡崎から豊橋乗り換えで藤枝までの距離を調べたところ124km
1日目の二条→桑名よりちょっと長いかなぁという感じですがまあ誤差でしょう。全然射程圏内です。
ただ、岡崎市内のステーションで借りられるのはミニベロタイプのみ、これがどう響くかが未知数です。

藤枝さえ攻略してしまえばあとは比較的ステーション間が短いので気は楽かもしれません。
約80kmで沼津・三島エリア、約55kmと短いものの箱根関を越えて平塚、そこから東京まではたった60kmと考えるとあと3日か4日間で東海道を制覇することが出来そうです。これはやらないわけにはいきません。


ただ残念ながら緊急事態宣言が発令されたため、HELLOCYCLING側も対応を変更したようで事態が落ち着くまではちょっと厳しそうです。
重ねて言っておきますが、私が京都の二条を出発した4/6時点ではこの緊急事態宣言は出ていませんでした。
ちょうど京都駅の新幹線待合室のテレビで中継を見ました。

そんなわけで皆様大変なこの頃、今日も一日中家に籠ってブログを書いておりました。
あっという間に緊急事態宣言の対象範囲も全国に広がってましたね。いやー、きついっす。

いつの日か「その3」を書く日が来ることを願って、この記事はここでおわりにします。


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東海道サイクリング その1 (京都→桑名)

2020-04-12 22:47:01 | 旧五街道サイクリング

以前から当ブログでも何度か紹介しているHELLO CYCLING
各地にステーションが設定されており、そのステーション間であれば乗り捨てが可能というのが最大のメリットとなっています。
例えば松本ではお城から駅まで片道の移動に使いましたし、小豆島では土庄港から池田港まで抜けました。
京都市内を散策するために北大路で借りて洛西口に返すなんてこともできます。
こんな具合で、使いこなせばかなり便利な乗り物だったりします。




ステーション間相互であればどこでも返せるというのは特にエリアの指定などはなく、HP上の料金表にも他地区からの乗り入れが発生する可能性があることが記されています。








ただ、本当に隣接エリアに返却できるのか気になったので予め京都(洛西口)→大阪(城北公園通)で利用してみました。
この際に何も問題がなく料金体系の異なる隣接エリアに返却できたので、それならばと今回の移動を決行しました。


この情勢なので電車に乗っておでかけするのはあんまりよくないのかなぁと思い自転車旅ならええんちゃうと今回思いついたわけですが、ハンドルに関しては感染のリスクがあるため注意してくださいというご案内が来ていました。
ということで、手洗い・うがいを徹底した上で挑みました。
また、体力の限界を越えた挑戦は免疫の低下を招きますのでグロッキーにならないように、こまめな水分補給とスタミナの付く食事を心掛けることとしました。


今回目指すのは愛知県の岡崎、果てしなく遠いです。
京都より東へ向かうと最寄りのステーションが岡崎地区までないんですよね…


始発電車に乗ってやってきました、京都の二条駅です。




5:43 駅から少し行ったところにあるサイクルベースあさひ二条店にてレンタル。


スマホで貸出予約をしクレジットカード決済されるシステムであるため基本的にはどのステーションも24時間営業をしています。助かります。
今回は車輪径の大きいタイプを選びました。長距離移動にはこっちのほうが頼もしいような気がします。
また、上の画像にある通り12時間ごとの上限料金も設定されているのが助かります。コインパーキングなどだと上限適用は1度のみで2回目以降は青天井になるという例があるそうですがここは良心的に12時間ごとにこの料金を適用してくれます。
というか、2日とか3日とか返却せずに借りっぱなしできるレンタサイクルってあんまりないですよね。かなり素晴らしいです。


この自転車は電動アシスト付き自転車ですが、電池には限度というものがあります。
途中に充電箇所がないためなるべく温存させて走らねばなりません。
アシストは急坂、平坦、ECOと3つのモードが用意されており、一番電力消費の少ないECOモードでも走行可能距離は約70km。
普通の街乗りであれば全然足りるのですが、残念ながら今回の利用形態は普通ではありません。約150kmはあります…

そのため、平坦区間では可能な限りアシスト機能の主電源を落とし普通の自転車として漕いでいく必要があります。
ただ、自動車で言うニュートラルに相当するような感じで完全に動力部を切り離すことはできず常に発電機を回しているような負荷がかかった走行となります。
なので、実はアシスト機能を使用した急坂よりもアシストを殺して走る平坦区間のほうがしんどかったりするのです。


説明はこれくらいとして、さっそく道中の様子をお届けします。




5:53 早朝の御池通を西へ進みます。あまりに寒かったので途中のコンビニで軍手だけ購入。
鴨川を渡り川端御池で突き当たってから三条通へ。
ここ京都三条大橋が五街道のひとつである東海道の起点なわけなので記念撮影くらいしとけよというところですがスルーしていますね。何やってんだ…

この先はひたすら京都府道143号線に沿って東山を越えて行きます。


6:15 レトロなレンガ造りの建物は蹴上発電所。
インクラインや琵琶湖疎水などの関連施設が多く残されているエリアで一度来てみたいなぁと思っていました。
外から眺めるだけでも凄そうなエリアですね、また来てみることにします。
桜のシーズンということで朝でもちらほらとカメラを構えた若い方々を見かけました。


看板には早くも「岡崎」の文字が。
二条で借りたレンタサイクル君も岡崎と聞けばこっちに行くもんだと思うはずです。だが残念。

ここから東山を超える区間は急な坂が続きます。
今では真下に地下鉄東西線が通る区間ですが、過去には併用軌道を京阪京津線が走っていた区間。
九条山、日ノ岡といった当時駅が設けられていた地名を見ながら山を越えます。


山科付近では旧東海道は今の山科駅前を通りますが面倒くさかったのでそのまま京都府道143号線を直進。
四宮を越えたあたりでは名神高速道路京都東ICや湖西道路などが複雑にごちゃごちゃしているエリアに突入。
このあたりで迂回したり歩道橋を渡ったりする手間を考えると旧東海道を選んでおいたほうが楽だったような気もしました。

今でも三条大橋方面の道と伏見方面の道が分かれる京都東IC付近ですが、この構造は東海道五十山次のころからそう変わってはいません。
昔はここから三条大橋方面は本線格の街道である東海道、伏見方面は脇街道と呼ばれる伏見街道が分かれる場所となっていました。

そんな「分かれ道」を表す「追分」が今でもここの地名に残されており、京津線の駅名にも採用されています。


6:56 逢坂の関を越え京津線名物の急カーブにやってきました。ここで休憩がてら撮影を。


これは、スーパーミニカーブレールというかユニトラックコンパクトというか、かなり模型的な最小通過半径を感じます。


以前京津線を撮りに来たときは新塗装の車両のほうが少数派だったのですが今では旧塗装のスカイブルーがだいぶ減っているんですね。
前に来たことがあるとはいえ、何度来ても面白い路線です。満足。

この先で京津線は当時の東海道に沿う形で北へ進み大津宿へ入っていきます。
京津線が路面区間に入ってすぐ当たりのところには1940年代まで札ノ辻という駅があったのですが、これも東海道に由来する駅名とのことです。
現在も地名として残されている「札ノ辻」ですが、これは昔高札という法令を記した看板が設けられていた交差点のことを言うそうです。
今と違って情報の伝達が難しかった頃ということで大きな街道の交差点にこういったものを設けて工夫していたようです。

近いところでは京都の竹田街道にも同様に札辻町があります。
こういう感じの追分、札ノ辻、沓掛みたいなよくみら地名の由来を知っておくとおでかけが更に楽しくなるような気がします。


私は大津宿方面の東海道には沿わず、国道1号線に沿って進みます。
地図を見てもらうとわかると思うのですが、この区間なら南に迂回せずまっすぐ近江大橋を渡ってしまったほうが直線的に進むことが出来て良いような気がします。
昔の人も同じようなことを考えました。橋こそ架かっていませんでしたがこの区間には渡し船が設定されていたそうです。

「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」

過去にも紹介したことがある気がしますが、かの有名な「急がば回れ」の由来となった地だったりします。
船は速いけど風で運休になったりするんやで、回り道に見えるけど確実な瀬田の長橋を通っていくといいんやで。というわけですね。
瀬田の長橋は瀬田唐橋などと呼ばれ、京阪石山坂本線唐橋前駅からほど近いところに架かっている橋のことです。


7:40 唐橋までは南下しませんでしたが、南寄りの瀬田川の橋梁へ。


琵琶湖線と桜を絡めての撮影、ちょうど見頃でいいタイミングでした。遠くに見えるのが近江大橋です。


大津の次の宿は草津、三条大橋からここまでは中山道との二重戸籍区間となっています。
草津の旧東海道は駅のすぐ近くを通っており、雰囲気も良いためたまに南草津までこの道を散歩したりします。
だったら今回はパスでいいかなぁまたいつでも来れるしと思い今回は国道1号線を突っ切ることに。

草津宿本陣とか雰囲気良いなぁと思いつつ入ったことはなかったのですが、本陣が現存していて入れるところって結構貴重みたいですね。
興味が湧いたことなので今度時間を見つけていってみようかと思います。

ところで、本陣って何ぞやという方もおられるかもしれません。ご説明します。
宿場町において位の高い役人が泊まるところは一般人とは分けられており、役人専用一般人お断りとしたのが本陣でした。
利用が多い宿場には本陣が複数設けられることもあったようですが、それでも複数の藩がかち合って溢れてしまった時のために普段は一般人OKだけど本陣が溢れたときに役人を泊められる脇本陣というのも同時に整備されていました。
お前の藩は脇本陣行けよ…みたいなのはどうやって決めていたのかわかりませんが、格上格下があったのでしょうか?

本陣というのはそういう意味であるため、てっきり名古屋市中村区の本陣も名古屋宿の本陣が置かれていたのかなぁと思っていたのですが実は名古屋宿がおかれたのは現在の伏見付近。
どうやらあっちは戦の時に大将が位置する本営を表す意味での本陣が由来みたいです、勉強になった。


8:25 国道1号線 草津名物うばがもち屋を通過


この先、石部北交差点までは国道1号線を進みますがその先で旧東海道へ。
国道1号線は早々に野洲川の対岸へ渡り菩提寺付近を高規格な道路で進みますが、旧東海道はそう易々と川を越えることが出来ません。
次の宿場町、石部宿を過ぎて三雲のあたりまでは草津線に沿うような進み方をしていきます。




9:07 石部宿に到着


ここから三雲までの区間の旧東海道は1月に歩いたことがあるので迷うことなく進むことが出来ました。
スピードが遅い分位置が飛ぶことも少ない気がするので一応歩いた時のルートも載せておきますね。


路線バスが行き会うには狭い道であることから協力を依頼する看板に旧東海道であることが併記されていました。


宿場内の道は所々90度に曲がっており、まっすぐ行けば旧東海道やろと行くと大体ミスります。
角の所には往時のものを模した茶屋がありました。


景観保存がよくされているみたいで、旧東海道沿いはかなり雰囲気のいい道を進むことが出来ます。
維持するのも大変だと思います、感謝の限りです。


旧東海道沿いにはこんな感じで花壇に東海道の文字が添えられています。
なんででしょうか、東海道といえばオレンジが似合いますよね…
まああちらは草津から熱田までの区間は中山道・美濃路経由なのですが。




天井川である大沙川を潜ります。
この手前にもう一つ由良谷川という天井川もあるのですが、あちらは新しい川の工事がすぐ近くで行われているため雰囲気的にはこっちのほうが落ち着いていていい気がします。

また、今回の全行程で一切撮らなかったとかいう愚の骨頂ともいえる事態なのですが、旧東海道には所々に一里塚というものがあります。
ただの松が植わってるだけとか石碑がちょっとあるだけで、保存されていない場合は看板だけとかになっちゃうことも多く目立たない存在です。
ちょうどこのあたりだと夏見一里塚というものがあったあたりなのですが確かに看板にはありましたがスルーしていました。

一里塚というのはその名の通り、一里ごとに設けられた塚のことでキロポスト的な役割を果たしていたもの。
国道などで東京から○○kmという掲示がありますがあれと同じで、大体どれくらい進んできたかを測る目安として置かれていたものとのこと。
また、宿場より短く一定の間隔ごとに置かれることから塚の上で休憩が取れるように配慮されていたみたいです。




家棟川を渡る橋の付近からは綺麗な桜が望めました。これはなかなか綺麗。


旧東海道と草津線の交差する地点の踏切に来ると、ちょうど列車がやってきました。
右奥に見えているのが先程旧東海道も潜ってきた大沙川のトンネルです。いい感じに撮れました。


三雲駅を少し過ぎた線路沿いには横田渡常夜燈が残されています。
ここで横田川(今でいう野洲川)の対岸へ渡ることになるのですが橋は架けられず船で渡していました。
両岸には暗くなってもわかるように大きな常夜燈が設けられていたということです。

東海道は中山道に比べ山道は少ないものの大河に行く手を阻まれ、13もの渡しが存在していた地味に過酷なルート。
これに加え、江戸防衛の意味から渡船すら認めず歩けなんて言われたのがかの有名な大井川含めいくつかあるそうです。


野洲川は立派な橋で越えられました。現代はだいぶ楽になっています。
その先はまた旧東海道をたどるべきなのかもしれませんが国道1号線がかなり高規格で歩道も整備が行き届いていたのでここを進むことにしました。
旧東海道が昔からの水口宿中心部を通るのに対し、少し離れて並行する国道1号線沿いにはロードサイド店が立ち並び今の甲賀市の中心地はこのあたりなんだろうなぁというのも感じられたのでこれはこれで悪くない気がします。


10:21 平和堂水口アルプラザ
トイレ休憩と自販機でのお茶購入のためだけに立ち寄り。お昼にはまだ早いです。




10:40 水口駅付近の踏切にて
平和堂休憩中に、そう都合よく近江鉄道来ないよなぁと調べたらすぐ来ることが判明したので向かいました。
撮影地を選んでいる暇なんてなかったのですが、水口駅の桜が見事で満足行く画になりました。




この後再度高規格な国道1号線に戻ろうと進んだのですが、近江鉄道を跨ぎ越したあたりから最早これは自動車専用道なのではといった雰囲気の作り変わっていたので大人しく旧東海道へ戻りました。
大体こういうところの場合、旧街道のほうは自転車に優しい作りになっているんですよね。
大昔に名古屋から高宮まで行った時も走りやすい道として自然に旧中山道を走っていましたし。






大野西、大野と二か所で国道1号線と旧東海道がクロスします。
やはり現代において交通量が多いのは国道1号線のほうなので、そちらに向けた大型の看板もあったりします。


宿場ではないため建物の保存などはされておらずただの細い路地なのですが、昔の街道を彩った松がこうして保存されているのは素敵だと思います。
正直、松並木っていうのは電線を張るのに邪魔な存在なんですよね。
昔の東海道においては日よけ、風よけ、雪よけの他視界が悪くなっても道を外れる恐れが少ないということで積極的に松並木が整備され全区間の約4割に松並木があったとのことですが、電線が張りづらかったり資源として伐採したりで現在はほとんど残されていないのが残念です。


この先の区間ではお茶の栽培が盛んな区間を通ります。
滋賀県でも教徒との京都に近い朝宮のほうだとお茶が有名なのは知っていましたが、土山付近もお茶が名産だったんですか。
茶畑の中を抜ける旧東海道。この景色はさほど大きく変わっていないのかもしれません。


この少し先で再度野洲川を越えます。
かなり高いところを歩行者自転車専用橋で越えるのですが、旧東海道はどうしていたのかという点ですがここは歩いて渡っていたみたいです。


宿場町以外でも景観保存がされているところがちらほらあっていい雰囲気でした。


土山地区に入ってからの国道1号線で前々から気になっていたのがこちら。




11:54 元国鉄自動車線亀草線 近江土山駅 到着
ネットで調べた情報だと国鉄時代の駅舎が残っているということだったのですが、なんか最近建て直されたみたいですね。
2018年撮影と情報のあるgooglemapには旧駅舎が写っていたので見られるものだとばかり思っていました。
それでも現在もなお駅を名乗るのが面白いポイントです。

亀草線という路線名の通り草津と亀山の間を東海道沿いに鈴鹿峠を越えて結ぶ自動車線だったようで、国鉄の路線がカバーできなかった東海道宿場町である水口、土山などを結んでいました。
山陽本線の土山駅との重複を防ぐためこちらには旧国名の近江を冠しているというのが元々ちゃんと国鉄のネットワークに組み込まれていたことを感じさせます。
今ではコミュニティバスの発着のみとなっていますが土山町の交通の中心地として機能しているようです。


近江土山駅時点で電動アシストの残りは49km。
今のところ東山・逢坂山と水口付近の一部くらいでしか使っていないので峠を前にまだ余裕はあります。




近江土山駅は土山宿の中心にとても近い位置にあり旧東海道もすぐ裏を通っています。
立派な建物と桜が美しいこちらは東海道伝馬館。
あいにくこの日は休館でしたが、昔の東海道の歴史を知ることが出来る施設みたいなので是非来てみたいところです。

伝馬館の名前にも使われている伝馬というのはその名の通り伝う馬のこと。
宿場間を馬で結び、宿場ごとに馬を乗り継ぐことで役人の荷物、書物を運んだ一種の物流形態のようです。
流石に江戸から京まで人や馬を変えずにずっと行くのは体力的に非効率ですし、途中には馬が越えられない渡しなどもあります。
そのため宿場に着くたびに馬を乗り継ぎバケツリレー方式で運んでいたということなんですね、かしこい。
ただ、バケツリレーでうまく伝達できないと困ります。引き継ぎ拠点として各宿場には問屋場というものが置かれていたそうです。

伝馬という馬を用いる輸送は役人しか使うことが出来ませんでしたが、走って運ぶ形態なども存在していました。
これらの物流形態は飛脚と呼ばれ、今も佐川急便の商標として名前が知られています。




土山宿もなかなか雰囲気のいい道が整備されています。


12:09 道の駅あいの土山


無料の給茶機で名産の土山茶を頂きました。極楽。

そろそろお腹もすいてきたところですが、ここでお昼は取りません。
この先東海道を進むと鈴鹿峠があるためお店は減ります。
峠を越える前に食事にありついておくべきであり、そういう意味で峠越え拠点の土山宿が整備されたのでここの道の駅でもいい気がしたのですがもっと栄えていそうなお食事処を近くに見つけました。


いざ行こうと自転車を進めてすぐにこんな看板がありました。
旧東海道は国道1号線と交差し、田村神社の境内を通って海道橋方面へと向かっています。


こちらがその田村神社。厳かな雰囲気があります。
旧東海道の街道沿いに神社が設けられるというのはよくある例ですが、本線上に鳥居があるというのはかなり少ない気がします。

東海道五十三次なんてのが定められるよりも昔から東西のメインルートとして使われていた東海道ですが、この先の鈴鹿峠のあたりで盗賊がたびたび現れ旅人を困らせておりました。
平安時代の嵯峨天皇はこの事態をどうにかせねばということで征夷大将軍として知られる坂上田村麻呂にやっつけてきてくれとお願い、見事盗賊をやっつけたということでその功績からここに祀られているということだそうです。
歴史に疎い私ですら知っている坂上田村麻呂、地理は好きだけど歴史なんか知らねと適当にやってましたが()こんな所に所縁があったとは…


道の駅から片道約2.5km。東海道のメインルートからは外れてしまうのですが現代の東海道物流の大動脈ともいえる新名神高速道路の土山SAが近くにあるので行ってみることにしました。
見ての通り、高速道路はかなり高いところを通っています。
一般道側からアクセス可能な急な坂道であの高さまで至るわけです。
寄り道でアシストの電池を減らしたくないのですが仕方がありません。


12:35 新名神高速道路土山SAに到着。やっぱり道の駅よりも活気がある感じがします。
最近増えてきた上下集約型をしているためお店がばらけておらずぷらっとパーク利用客としては助かります。


朝ごはんは少なめだったのでここはSA名物の土山ハイカラめしとやらを食べることにします。


見た目はただのカツカレーライスですが、下に敷かれているのが白ライスではなくチャーハンというのがポイント。
サイクリングで消耗した体力の回復にはこれくらいボリューミーなものが効きますね。美味しかったです。


さて、頑張って越えてきた坂を勢いよく下っていきます。これが爽快でいいんですよね。


この先もまっすぐ鈴鹿峠を越えればよかったのですが、こっちが旧東海道だろうと滋賀県道187号線方面を進んでいました。
こっちのほうが遠回りで勾配は緩やかなのかもしれませんが、ここは素直に旧東海道を通っておきたかったところでもあります。


このあたりでのGoogleマップタイムラインは位置が大きく飛んでしまっています。あーあ…


実際は黄緑の線で書き加えたようなルートに沿って進んでいます。間違っても新名神高速道路をチャリで爆走したりはしてないです。


国道1号線に戻りました。こういう廃れたドライブインも味があって結構好きです。
流石は国道1号線なだけあって、交通量の少ないこんな所でもちゃんと歩道が整備されています。これは安心。


ここから先が盗賊に悩まされた東海道の難所。東の箱根西の鈴鹿なんて言われたらしい鈴鹿峠に向かいます。
国道1号線はここからルートが分かれ、下り土山方面行きは新たに高いところを橋でぶち抜く鈴鹿峠バイパスが作られそっちへ向かいます。
一方上り亀山方面行きは片側1車線時代に使っていた昔のルート。
鈴鹿峠バイパスが出来たことでこの区間は片側2車線になり渋滞対策に効果を発揮しましたが新名神高速道路が開通したのちはここを通る車が減少。
そんなに渋滞するわけではないけど峠区間でも片側2車線という豪華な仕様になっているようです。流石国道1号線。


鈴鹿峠トンネルを越える前に、旧東海道の鈴鹿峠付近にある万人講常夜燈へ。
近江国の目印として遠くから見える巨大な常夜燈、渡し船のものとは性格が違いあの山の上の常夜燈を越えたら近江国だと伝えるもので一里塚とかに目的は似ているのかもしれません。
この区間は東海自然歩道にも指定されているようです。あれもいつかは辿ってみたいと思うんですがいつになるやら…


この先が旧東海道の峠越え区間。大変な山道をつづら折りに進んで峠を越えていくみたいです。




鈴鹿峠トンネルへ向かいます。
長さは276mと思っていたよりかなり短いトンネルなんですね。
旧東海道はこの区間をトンネルなんか無しに山を越えていたのですからたったこれだけの距離でもかなり快適になっているんだと思います。


15:27 県境を越え、三重県亀山市に入りました。ついに三重県進出。


三重県に入ってすぐのところには旧東海道んp三重県側の山越えルートがありました。
この道を行くのは、大変そうです…


滋賀県側はなだらかに山を越えていく地形でしたが三重県側は結構急斜面で駆け下りていきます。
ここではほぼブレーキ操作だけで関までぶっ飛ばせたので位置情報がまたもや飛びまくっています。


そんな感じで勝手に進むボーナスステージながら、景色のダイナミックさに思わず自転車を止めたのがこちら。
鈴鹿山脈を越えているんだなぁと実感する雄大な景色です。
こんな山々をトンネルと高架橋でぶち抜く新東名高速道路もまた立派なものです。

峠を下る道の途中、三重県側の山越え拠点として坂下宿が設けられていたということですが見つけられず関まで降りてきました。


坂を下りたあたりのドライブインで奇妙なトラックを発見しました。






日鉄レールウェイテクノスという会社が保有する保線機械のようです。
レールグラインダーと書かれていることから、この子はレール踏面を磨く作業に用いられるものですかね?
イメージ的にはマルチレールクリーニングカー「カヤ6425」といったところでしょうか。
保線機械は使う機会が少ないことから鉄道会社とは別の会社が保有し、使う時だけ借りて陸送で持って来るみたいです。


次の宿は関宿。旧東海道を進みます。




14:43 関宿のエリアに入ってびっくりしました。なんだこれはすごい。
今までの宿場町も確かに景観保存されていましたがここは力の入れ具合が違います。
電線の地中化がされていて空が広く見えるのがかなり見た目に影響することがわかります。


地形の都合上緩やかな坂道になっていてそれがまた素晴らしい景色を生み出している気がします。

私が自転車でたどっている東海道ですが、江戸と京を結ぶだけでなく途中で分岐する脇街道方面への利用も盛んでした。
鈴鹿峠を越える前の拠点としての役割だけでも重要なのですが、ここから伊勢に向かう伊勢別街道及び奈良へ向かう大和街道との分岐となる宿場ということで大変賑わっていたそうです。


道中で見かけたワーゲンバス。この雰囲気にすごくマッチしていて素敵でした。


通常であれば多くのカメラを携えた国内外の観光客で賑わっているそうですが、例の疫病の関連でかなり静かな感じでした。


これは、インスタ映えってやつですね。かなり良かったです。


景観に配慮しつつ構える百五銀行。パッと見気づかないカモフラージュがされています。


竹林などを進み


関西本線を跨ぎます。
本数が少ないので次の列車は何時ごろかなぁと調べようとしたらすぐ来ました。ナイスタイミング。


次の宿は亀山宿。
こっちのほうが市になっているくらいなので大きいのかなぁと思っていましたが関と比べると保存の意識は薄いように感じました。


この先は国道一号線をひたすら突っ切ったため途中の宿には寄っていません。
まず、自転車を漕いでいる時点では宿場について一切調べておらず、亀山の次がどこなのかも知りませんでした。
ということで庄野、石薬師はスルーさせていただきました。
宿場町というのは元々旅人が悪天候や夜に歩くと危ないからと一定間隔に整備したものなので大きな町でないところにも置かれ、それが急速な近代化で不要となると寂れていってしまうということに繋がるんだと思います。




道中で不思議なものを見つけました、飛行機ですね。本物なんでしょうか?
井田川駅の近く、安楽川を越えてすぐの位置にあります。
中古トラックの販売を行っている横山商店というところのようですが、かなり怪しい見た目の飛行機が置いてあるのが目立ちます。
見た感じちゃんと窓も抜けているので本物の飛行機のようです。

調べたところ、東亜航空で用いられたコンベア240という飛行機みたいです。
日本に残るのはこれが唯一らしく、私には希少性がわかりませんがすごいやつみたいです。


奥のほうにはヨ8000も置かれていました。あっちのほうが個人的には気になります。


さて、もうちっと頑張って進みましょうか。
このあたりもちゃんと歩道はあるんですが正直整備状況はよろしくなく、またトラック休憩用の退避レーンが設けられているところなどにはごみが散乱しており正直言って酷い環境です。ポイ捨てよくない。


この道はずっと平坦なのかと思っていましたが、石薬師を越えたあたりから山道になります。
一里塚の置かれた采女(うねめ)のあたりまでが結構な坂道でこたえました。

采女というのは天皇家に仕える女官のこと、各地方から集められたということなのでこのあたり出身の采女がいたのかなぁと思います。
采女といえば奈良県の猿沢池の脇にある采女神社。
あちらは天皇に愛想をつかされたことを嘆いて猿沢池に身投げしてしまった采女がおり、その霊を鎮めるために建てられた…という伝説があるそうです。




この坂を越えるといよいよ四日市の街並みが見えてきます。


内部橋を越えるとすぐに四日市あすなろう鉄道の内部駅に至ります。
内部川は結構な川幅ですが東海道五十三次のころから橋がかけられていたみたいです。

列車が来るまではもうしばらくあったので泊駅まで進むことにしました。


その途中で旧東海道沿いに見つけたのがこちら、日永の追分と呼ばれるものです。
大津の追分と同じくこちらも街道の分かれ道、東海道から分かれて伊勢へ向かう伊勢街道の分岐点です。
このすぐ近くには四日市あすなろう鉄道の追分駅があります。この点も大津追分によく似ている気がします。

日本の鉄道にはもう1つ、北海道に追分駅がありますがあちらは未開の地を開拓して鉄道を敷設したため街道はなく、室蘭本線と夕張線の分かれるところということで鉄道基準で追分の名がつけられているみたいです。北海道スケールって感じです。


旧東海道から"近鉄"泊駅への看板を曲がるとすぐに駅があります。






軽便規格、ちっちゃくてかわいい車両がみられて満足です。
旧東海道に沿って走ってみて分かりましたが、内部線って全線にわたって旧東海道に沿って敷設されているんですね。


なぜか四日市市まで連れてこられた自転車くん…


17:37 近鉄四日市駅前に到着。
疲れたのでちとここで休憩がてら本日の宿泊先などを考えることにしました。


Caffe CIAO PRESSOにて糖分補給。美味しかったです。


今日はもう遅いので四日市に泊まるか迷いましたが、明日に残す距離をなるべく減らすべく桑名まで進めることにしました。
このあたりまでこれば名古屋に住んでいた頃によく自転車で来たエリアなので道はよく知っています、いける。

ただこの電動アシスト付き自転車なんですが、問題がありまして…
当たり前ですがアシスト機能を使用する前提なので、ライトをつけるときはアシスト機能の電源をオンにしなければなりません。
そこまで急な坂ではありませんが日が暮れて以降は仕方なく電源を投入、これは想定外でした。
なるべくアシスト残キロを減らさないように橋の下り坂ではなるべく惰性で行けるように信号を見計らうなどして調整しました。


ようやく桑名市に突入。


国道一号線って桑名の市街地に入る前の安永のあたりが道路も歩道も狭くて走りづらいんですよね、このへん嫌いです。

19:30 この日のお宿「三交イン桑名駅前」に到着。
自転車で来たんですけどどこに止めたらいいですか、なんて聞くのはちょっとあれな感じでした()


晩御飯は松屋。ごはんお替りし放題をやってくれていて運動後には嬉しいサービスでした。


さっき桑名市安永付近の道が狭くて嫌いなんて言いましたが中心部は急に道幅が広くなって歩道も広くなって走りやすいので素晴らしいです。
地味に助かるのが歩道の縁石の段差がなくなるようにアスファルトが敷かれていること。
自転車で走るとわかりますが市の中心部に入ると大体歩道が途切れ途切れになるのでガタガタするんですよね。
走りやすくて自転車に優しいのはかなり評価できます。ありがとう。


気の利いたホテルだとこういう何でも対応の充電コードが設置されてますよね、ナイスです。
結構新しめのホテルなのか室内もきれいでした。
元々セミダブルベッドのプランでしたが空きがあるということでダブルベッドに格上げしてもらえました。

さて、だいぶ記事が長くなったのでここで一旦区切らせていただきます。
「その2」へ続く。


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コメント (1)
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松本・上諏訪巡りの旅

2020-04-04 18:16:00 | 旅行
2020年1月31日に行ってから丸2か月以上放置しておりました旅行についての記事を今更ながらご紹介しようかと思います。
普段はあんまりこうやって溜めることはせずすぐに記事化しているのですが、今回は動画を作る素材集めという目的もございましてそっちの制作を優先していました。

【宣伝】DOGFIGHTで北陸新幹線の駅名を歌う


ちょうどお外出れない期間に突入したことですし思い出しながら記事にしていこうと思います。
まず時系列の補足をしておきます。記事の順番がぐっちゃぐちゃなので必要であればリンクから飛んでいただけると多少はわかりやすくなるのかもしれません。

・1/21 自宅 「機材と動画編集」
・1/22 東京→磯部 「北陸新幹線5th取材の旅」
・1/22 磯部→金沢 「北陸新幹線グランクラスに乗車」
・1/23 北陸滞在 「北陸の地で新幹線を撮る」
・1/24 自宅 「見事なフラグ回収」
・1/31 金沢→甲府【👈イマココ】
・2/1 甲府→静岡 「ゆるキャン△梨っ子号乗車記」


さて、まさか2週連続で金沢に来ることになるとは思っていませんでした。
元々梨っ子号の兼ね合いで甲府に行くことは決まっていたのですが安さを取ってバスかなぁとか思っていました。
いやぁ、音声録りに行ったのにまさか取り込みミスって吹っ飛ばすとは…

まあでもちょうど甲府に行く用事があって助かりました。ついでで北陸新幹線乗れますからね。


今回は別に金沢に前泊する必要もなかったのですが、仕事終わりで一旦家帰ったり翌日早起きしたりがめんどいなーと前日のうちにしらさぎで向かいました。
駅から比較的近い位置にある快活clubをこの日のお宿としました。
今まで快活clubには何度もお世話になっていますが、鍵付き完全個室は実は初めての利用でした。
扉がビシーッと並びます。これは完全にホテル感覚ですね。
この点は下手な鍵無し騒音カプセルホテルより優れているんじゃないかなぁとか思います。


部屋は、まあ狭いですよね。
広さ的には快活clubのフルフラットシートとかと同じ、ネットカフェ基準で考えればまあ普通な広さでした。
ただ、謎のヒーリングミュージックが流れ続け明るい状態が続く今までのネットカフェとは全く違う快適さでした。


ドリンクバーなども備えていますが、残念ながら部屋に持ち込むことは固く禁じられておりドリンクバー前のフリースペースで飲むこととなっています。お食事も同様。
但し、コンビニなど自身で買って持ち込むものについては部屋で食べていいということになっているそうです。はてな?


こういった掲示がされています。不思議ですねぇ。
ここで、旅館業法とか風営法についてググりだすのがオタクの探求心。

どうやら、風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)に定めのある接待飲食等営業3号営業に違反しないようにこういうことになっているんだと思います。
外から見えにくい狭い部屋で食事提供をするとキャバクラなどと同じく風営法届出対象になり、出店できる範囲など制約が出てくるためあくまで解放空間で飲食を提供する飲食店(カフェ)の一角に飲食提供を行わない部屋を設けているという扱いにしているんだと思います。

だったら旅館業法を適用すればいいじゃないかというところですが多分それをすると値段がこれほど安く設定できないんでしょうね。
一番簡単なところで言えば、旅館業法適用となると寝具の提供が必要になりますし基本的には部屋ごとに採光用の窓を設ける必要も出てきます。
そういう点を踏まえて考えると、確かにネットカフェは布団は提供されていません。
"ひざ掛け"や"クッション"は貸してくれますが決して"布団"や"枕"は置いてないはずです。

なるほど、そういう理屈でこの施設が営業できているのねなんてことを考えたりしながら個室を利用させていただきました。安くて快適。


ちなみにここの快活clubには無料で使えるシャワーも備えられています。
シャワーは他の快活でも見たことがありますが、ここまで広くて快適なシャワー室は初めてでした。なんだこれ。
タオルやシャンプー等も備え付けられていますし、お風呂入れなくてもこれだけあれば十分です。これはかなり高評価でした。


お会計はハイテクな自動精算機で行います。
入店の時もこれを使ったのですが分かんなかったので店員のお姉さんに聞きました。
ICカードが出てくるのでそれをストラップ式の首下げホルダーに入れて部屋の鍵やら精算時のアレやらに使うみたいです。はぇーすっごい。

そんなわけで最初からワクワクする施設に行って楽しかったです。これは記事が長くなる予感がしますね。






北陸新幹線に乗って長野県に向かいます。
グリーン車、グランクラスに関してはこないだ乗ったので大人しく普通車自由席にしました。


今回も車内販売でグランアグリを調達。おいしいです。
金沢駅の土産店では最近置かなくなってしまい、「グランアグリ ひゃくまん穀BEER」という赤色の缶しか置いていないのですがあれは別物です。
ひゃくまん穀というお米を使ってはいるもののメインは六条大麦で、小麦の甘みを感じるヴァイツェンとは違い結構苦めの味となっています。

私はですね、にがいおさけのおいしさがわからんのです。
小麦のビールは甘めで美味しいなってことで楽しみにしているわけなのでこれからも車内販売等では継続して発売してもらいたいなぁと思います。
缶のデザインも北陸新幹線の乗車をさらに楽しませてくれる素敵なデザインですよね。




降りたのは長野駅の1つ手前、飯山駅です。野沢温泉スキー場に近いことから国内外から多くのスキー客の方がやってきているようでした。
恐らく積雪量は例年に比べかなり少ないものと思いますが、結構吹雪いていたので外に出るには結構厳しい気候でした。


ここから普通列車で長野駅を目指します。
似たようなルートで以前観光列車おいこっと号に乗った時の記事があるのでよろしければこちらもどうぞ。

さて、なんで長野駅まで新幹線で行かずに飯山で降りて飯山線で長野まで行くんだということなのですが…


信州ワンデーパスというおトクなきっぷが売っているのでこれを使ってみようと思ったのです。
新幹線で長野まで行った時の特急券とか比較はしていませんが、今回の利用だと正直そこまで安くはなっていない気がします。
飯山から豊野経由で小淵沢までの乗車券は通常2,860円なので安くはなっていますがただまっすぐ進んだだけなので前後の区間と通しにして普通乗車券の遠距離逓減性の恩恵を受けておいたほうがトータルではおトクになっていたということもあるかもしれません。
ただ、確か豊野‐長野のしなの鉄道線を含む通過連絡運輸は範囲が限られていたはずなので、おいこっと号に乗りたいときとかは使えるかもしれません。


長野駅にて、信濃鐡道EMU115型電聯車が留置線に止まっていました。結構似合っている気がしますやっぱり。


長野駅ではすぐに乗り換え、普通電車で松本へ向かいます。


姨捨を越えさらに南へ


松本駅に到着。E127って大型のトイレ設備がある影響なのはわかるんですが荷物電車みたいな窓割してますよね。


松本は雪が全然ないようで、駅前の雪像も溶けてしまいそうな感じでした。


駅前では松本タウンスニーカーのポンチョを発見。
どうしても最初に見た蕁麻疹草間彌生デザインが強烈すぎて…こういう落ち着いた色の子もいるんですね。

おなかすきました。以前上田で入ったことのあるからあげセンターでお昼を頂くことにしました。
松本名物の山賊焼きは外せないなぁと思っていたのですが、折角信州に来ているので野沢菜ごはんや蕎麦も気になるところです。
幸いにも今朝はおにぎりを少し食べただけでおなかに余裕があります。


豪華にも山賊焼き、野沢菜ごはん、そばが全部付いてくるセットがあったのでそれを注文してみました。
見ていただいてわかるかと思いますが、かなりのボリュームがあります。
おいしく完食できましたが苦しくなりそうなの量があります。ご注文の際は覚悟の準備をしておいてください。
他にもいろいろなメニューがあるのですが、やっぱこの信州らしい組み合わせは食べておきたかったんですよね。


おなかいっぱいなのでちょっと歩いて運動でもと思い松本城へ向かいました。
駅から1‐2kmほど離れているのもあって今まで来たことがなかったんですよね。


天守閣と石垣がお堀越しにびしっと決まっていてかっこいい気がします。


鳥さんもいました。こういうの撮っちゃうんですよね。

さて、ここから駅に戻ります。
歩くにはちょっと時間がかかるけれどバスに乗るのも面倒な半端な距離です。
松本タウンスニーカーのバスで行くと乗車時間約10分、200円の距離です。


ただ、先にもっといい手段があることは調べておりました。
松本市内にはHELLOCYCLINGのステーションが整備されています。
松本城の近くにある松本市役所本庁舎にてレンタル。


松本駅前にステーションがあるのがとても助かります。
比較的平坦な道ですが、電動アシスト自転車の蹴っ飛ばすような加速は乗っていて楽しいものです。
エリアによって料金設定が若干異なりますが、松本は15分当たり60円の設定。駅まで9分の利用ですので60円の引き落としのみです。安い。
シティサイクルとして使い勝手が非常にいいなと思いました。もっと広まれ。






松本から中央本線を進み、今度は上諏訪に向かいます。
特急で1駅20分とかなり短い区間に750円の特急料金がかかりますが少ない普通列車を待つくらいなら乗ったほうがいい気がします。




上諏訪駅、昔ながらの平屋の駅舎が立派です。大きな看板もいい雰囲気出しています。


上諏訪といえば温泉地、ホーム上に足湯があることでも有名な駅です。


もちろん温泉目的できたわけですが、取り敢えず先に諏訪湖を見に行きます。
冬には氷が張ることもあるようですが、暖冬の影響もあり全然そんなことはなさそうでした。
ただ風は強めで寒かったです、はよお風呂行こ…


諏訪湖のすぐ近くに建つやたらと立派な建築物、


上諏訪周辺でお手軽に日帰り入浴しようと探していたら見つけたのがこちら、入浴料750円と特別安いわけではありませんがかなりすごそうな見た目をしています。


この西洋風の立派な建物は名前を片倉館と言い、かつて絹製品の輸出が日本の経済を支えていた頃に富を築いた片倉財閥が社会貢献の一環として1928年に建設したもの。
既に90年を超えるかなり歴史的価値の高い建物となっています。
片倉財閥についてよく知らなかったのですが、民営化後の富岡製糸場を閉業まで経営していたということで「シルクエンペラー」の名がつくのも納得な力を持っていたことが感じ取れます。
片倉の本拠地である岡谷市には製糸場は残されていないようですが、事務所跡やここ片倉館などが今も保存され国指定重要文化財に指定されています。
国指定重要文化財に指定された現在でも温泉施設として使われ続けているというのが凄いところです。

また、閉業後の富岡製糸場を解体したり売却したりせずに製糸業文化の保存に積極的に努めたことが功を奏し2014年には世界遺産への登録がされました。まさかそこに繋がってくるとは…


残念ながらお風呂なのでパンフレットの画像を使ってご紹介します。
中世ヨーロッパ風の大浴場で底には玉砂利が敷かれています。
端は階段状になっていますが玉砂利の敷かれた中央部は深く、立って入浴してちょうどいいくらいに作られています。

さて、何も下調べせずに温泉行てぇなぁと上諏訪に来てここを選んだ私は予備知識が全くなかったのですが、この建物見たことがあります。
忌み嫌われることの多い漫画の実写化のうち数少ない成功例ともいえる「テルマエ・ロマエ」でロケ地のひとつとして使われた場所とのこと。
確かに雰囲気はまんまあの世界観です。こんな建物が日本にあったとは知らなかった…
また、この旅行では翌日2/1の「ゆるキャン△梨っ子号」に乗車するついでという面が強いのですが、そのゆるキャンでも片倉館の千人風呂は登場しています。高ボッチ高原キャンプの帰りにちらっと出てきたところですね。

そんな感じで思いがけず有名な建物だった片倉館。かなり素敵なところでした。


とりあえずこの日は甲府まで向かえばいいだけなので時間を気にせず駅へ向かうとちょうど上りの特急が行ってしまいました。無念。
学生さんの帰宅時間に被るので普通電車に乗るのはなぁと思っていたのですが仕方がありません。






混雑しており座ることはできませんでしたが、車窓から見る山々や旧線の鉄橋など飽きることのない景色が楽しめたのでまあ良しとします。




もうすぐ日が暮れるかなというタイミングで小淵沢駅に到着。
乗り換え時間に少々余裕があったので改札を出てみたところ、駅舎の屋上に展望台が用意されていることを知りました。


案の定めちゃくちゃ寒くてカメラのボタンを押すのも辛く速攻で戻りたいのですが、ここから見える景色は確かに素晴らしいものでした。
日没時間とほぼ同時に到着しましたが、まだ明るさが残っていたのもラッキーでした。


小淵沢駅の屋上展望台からは富士山も望めます。
夕日を受ける富士山、これだけ綺麗に見ることができるとは知りませんでした。
手が悴んで大変でしたが、今写真を見返してみると寒い思いをしてでも行ってよかったなと思うものです。






普通電車でもうしばらく進み、甲府で宿泊しました。

おわり


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コメント
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