東海道を自転車で往く無謀企画。桑名で一泊し2日目は岡崎のHELLOCYCLINGステーションを目指します。
宿泊したのは三交イン桑名駅前。
建物の雰囲気などは東横インに似ていますが無料朝食のメニューはこっちのほうが豊富な気がしました。
昨日ほどではありませんが今日も結構な距離を進むことになるので栄養をつけておくことにします。
奥に見えているのは三交インオリジナルという味噌風味のカレー。
何でも味噌味噌言っておけばいいというのは浅はかですな名古屋出身の私が物申してやりますですなんて思っていましたが、これがなかなか美味しかったです。
普通のカレーに献立いろいろみそみたいな調理みそを混ぜたような味で味が喧嘩することなく不思議な味わいでした。
お茶漬け用の出汁も用意されていたので二杯目。ごちそうさまでした。
8:26 ホテルを出発します。
こんなチャリでホテルに来るやつも珍しいですよね。ロードバイクならまだしも。
そういえば、紹介し忘れていましたがHELLOCYCLINGでは24時間以上の利用だと通知を寄越してくれるんですね。
不慣れな人が返却に失敗したまま返せたもんだと思い込んでいると無限に料金が発生してしまうのでこの通知は親切だと感じました。
桑名駅前。結構レトロな雰囲気が漂いますがJR・近鉄の駅舎建て替えが工事中なのでバスロータリーのあたりも変わってしまうのかもしれません。
5分と漕いでいないですが着きました。線路沿いです。
1日置いて回復したかなと思いましたがサドルと当たる位置の骨がめちゃくちゃ痛みますね。うおぉ…
名古屋からも近いことから何度か来たことがありますが、ここは日本で唯一3つの軌間が並ぶ踏切。
手前から、三岐北勢線762mm‐JR関西線1067mm‐近鉄名古屋線1435mmが並んでいます。
一体の踏切なのかと思いましたが、近鉄名古屋線の踏切とJR・北勢線の兼掌踏切との2つになっているみたいです。
写真には納めていなかったのでストリートビューを載せますが、JRに対する踏切非常ボタンは踏切の中州部分に設けられているのみで道路側にはありません。
これでは遮断機降下時に何かあったら北勢線の線路を横断しないと押しに行けません。
推測ですが、当初は北勢線の踏切は遮断機のない第4種踏切でJR関西線のすぐ手前に遮断機が設けてあったものを兼掌扱いとして手前に移設した結果こうなったんじゃないかなぁと思います。
だったら踏切非常ボタンも一緒に持ってこればいい気がするんですが…よくわかりません。
ここで北勢線の写真をパチリ。
やっぱりナローゲージのせまいせんろはちっちゃくてかわいいですね。
8:58 桑名名物安永餅
撮り鉄を終え、ようやく自転車旅スタートです。
アシスト残キロは28km。これを0にしないように多くの区間はアシスト機能を切って進むことになります。
ここで、今更ながら旧東海道の宿場について簡単に図を用いて説明しておこうと思います。
昨日は東海道にほぼ沿う形で七里の渡しを控える宿場町桑名までやってきました。
三条大橋から草津までを共用する中山道はそのまま北へ向かいます。
途中の地名からわかる通り現在の東海道本線は中山道、及び脇街道の美濃路にだいたい沿ったルートとなっています。
また、街道をバイパスする道がいくつか設けられています。
大津と草津の間で急がば回れという言葉に従わず矢橋渡船を利用する短絡ルートが矢橋街道。
桑名から宮までの間にある大変な海上航路「七里の渡し」を回避し、波の比較的穏やかな河川航路「三里の渡し」で佐屋に至り進むのが佐屋街道。
こちらは距離的には長くなるはずですが海上航路を避けるという意味で有用なルートであったものと思われます。
図には載せ忘れましたが四日市から宮に至る「十里の渡し」というのもあったらしいですが、回避ルートがあるのに選ぶ人がどれだけいたのかよくわからないところです。
もう一つ図中にあるバイパスルートが朝鮮人街道。中山道沿線なので今回は直接関係ありませんがついでに載せておきます。
中山道は守山から先、現在の新幹線に近いルートで武佐、愛知川、高宮を通って進んでいきます。
多くの人が行き交う街道が自分の城の近くを通ってほしいということで安土城主の織田信長がその辺にあった道を繋いで安土を経由するように整備したのがいわゆる朝鮮人街道。
ここを通って行った武将が勝つっていうことが相次ぎ縁起がいい道ということでその辺の大名がこぞってこの道を通るようになったのですが、そうなると今度は格が下がるということで将軍専用で大名の参勤交代では通行禁止ということにルールを定めたそうです。
ただ、海外からのお客様である朝鮮通信使に関してはこの道の通行を認めていたということでこの名がついているようです。
距離的には中山道のほうが短いのでバイパスの効果はありませんが八幡・安土・彦根の発展に寄与した朝鮮人街道。
その後東海道本線がこっちを経由することになったのはこの道の影響があったんじゃないかなぁと思います。
だいたいそういう時には国鉄が通らなかった旧街道沿いを拾う私鉄が現れるものです。
この区間は近江鉄道が辿っていることがわかるかと思います。
宮から先岡崎方面においても東海道本線は旧東海道から離れたところを通っているため、そのあたりを拾う感じで名鉄名古屋本線が敷かれています。
9:10 東海道の桑名側の端、宮の渡しにやってきました。
ここから名古屋方面を目指すとなると、木曽三川を越えなければいけません。
このあたりの道に関しては名古屋に住んでいた頃に自転車で何度か来たことがあるのでよく知っています。
現在の国道一号線は弥富(前ヶ須)を通る前ヶ須街道に沿っていきますが、この道はかなり歩道の状況がよろしくありません。
特に弥富市内の歩道は狭く自転車で快適に走れるとはいい難い状況です。
そこで私が選んだのが元々国道1号線の名四バイパスとして整備された国道23号線。
名古屋出身ということで馴染みのある道です。本来は「めいし」と読むはずですが「めーよん」で通っている気がします。
国道1号線の木曽三川~蟹江あたりまでは片側1車線のみでよく渋滞します。なばなの里もあって悲惨なことになります。
それに対して国道23号線はバイパスなだけあって全区間で片側2車線以上が確保されており基本的には快適に進むことが出来ます。
車道だけでなく歩道もかなり立派なので木曽三川越えに関しては国道23号線を選ぶのがよろしいかなぁと思います。
揖斐川の堤防に沿って国道23号線を目指します。
国道23号線に沿って揖斐・長良川を越えたところにある長島パーキングに到着。
のどが渇いたのでここで休憩。桑名の自販機で売っていた三重県限定の缶コーヒー。
今度は木曽川を越えていきます。
国道一号線は木曽川を越えたところで県境をまたぎ愛知県に入りますが、国道23号線は木曽川を越えてもまだ三重県。
木曽川の愛知県側河岸を干拓して誕生した木曽岬町が三重県の範囲とされたことが影響し現在もここは三重県になっています。
国道一号線に比べて幅が広く走りやすい歩道。助かります。
木曽川などの大河川と違い、用水路レベルの鍋田川が現在も県境となっています。
昔は木曽川の支流としてそこそこの川幅があった鍋田川ですが、治水事業の一環で締め切られ現在ではこんなレベルになっているみたいです。
カワウでしょうか、鳥さんがいました。
ここからはついに愛知県。気分的には木曽川を越えたところのほうが境界を越えたっていう感じがしますが…
日本一長い地名、「愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割」のあたりを過ぎてさらに東へ。
梅之郷交差点では国道302号線と交差します。
ちょっと見ないうちに名古屋高速の名二環がだいぶ出来上がっていますね。
日光川排水機場を越え、藤前地区へ。
遠くには伊勢湾岸道の名港トリトンが見えてきます。名古屋に帰ってきた感がありますなぁ。
ついにここから名古屋市へ入ります。ついに…!
この先の国道23号線は藤前五丁目の歩道橋、庄内新川橋、荒子川運河橋、中川運河橋の前後はスロープの歩道はなく階段を押して上がる感じと決して走りやすい道とは言えなくなります。
藤前に至る前に梅之郷で歩道橋を上り下りしなければいけませんが、ここ一か所だけ我慢して藤前から北上するのが一番楽なんじゃないかなぁと思います、梅之郷から北上しようとするとちょっと迂回する形になってしまいますので。
10:40 水分補給のためイオンモール名古屋茶屋へ。
実家に帰った時よく行くイオンです。もう名古屋の生活圏、まさか京都から自転車でここまで来られてしまうとは。
八事火葬場のキャパオーバーに伴い、名古屋市内のなるべく人がいない場所に作られた名古屋第二火葬場。
迷惑施設受け入れの見返りとしては定番のイオンモール設置でしたが早くも空きテナントが増えてきているのが悲しいところです。
これが出来たことで客が吸い取られたイオンモール名古屋みなとはまだしもこちらもこうなってしまうとは…
車で訪れるお客さんが大多数なので多少の距離なら取られてしまうということでしょうか、港区役所近くに出来たららぽーとにも客を奪われて港区内で潰し合いが起こっているような気がしてしまいます…
イオンモール名古屋茶屋からまっすぐ東へ、イオンモール名古屋みなとの脇を過ぎて本宮町までやってきました。
この近くの中川運河沿いにはウィラーエクスプレスの車庫があるようなのですが…
例の大流行ウイルスの影響で4/4以降は潔く全路線を運休としているためかなりバスがぎっちり並べられています。
奥のほうにはリボンを纏ったデザインの3列豪華仕様車「ラクシア」も見えます。
デザインが大きく違う「ラクシア」でも「ピンクのバス」のアイデンティティは捨てておりませんでしたが、1台だけそもそもピンクですらない車両もいました。
シェル構造のシートでプライベート空間を確保した超豪華仕様、18席のみという「リボーン」だそうです。
いろは橋を越え、港区役所へ。
名古屋高速と一体のきらく橋で堀川を越えます。
このきらく橋の横の謎の縦長駐車場、怪しい形をしています、ここは昔堀川口駅という駅が設けられていました。
黄緑色の線が今回の自転車移動ルートですが、赤色の線が過去名古屋港周辺の貨物線が敷かれていたところ。
現在も残る名古屋港貨物駅からシートレインランド・名古屋港水族館・イタリア村跡地を掠めて北上、現在も保存されている名古屋港跳上橋を渡って堀川の船着き場をぐるっと囲むように線路が伸びていました。
このあたりの詳細については「名古屋港周辺廃線・休止線探訪記」という記事にまとめています。
2013年とだいぶ昔に書いた記事ですが廃線跡を取り扱った影響かいまでも結構アクセスを頂いています。感謝。
きらく橋も新しい橋なだけあってかなり走りやすい道となっています。
このあたりで、いくら4月とはいえ1日中外に出ていると日焼けがやばいということに気づきディスカウントストアコスモスへ。
時すでに遅しな気もしますが一応ここで日焼け止めを購入、気休めですが塗っておきました。
宝生町から名古屋臨海鉄道の高架橋に沿って国道23号線と交差する浜田町へ。
名古屋市バスの鳴尾車庫を通って天白川を越えます。
名古屋周辺なら別に撮らなくてもいいかぁとスルー決めたのですが、直後に天白川橋梁を渡って豊橋方面へ上る373系が過ぎていったのを目撃。
やっべと思いカメラを取り出すも間に合いませんでした。定期列車では名古屋地区に入線しない373系、撮りたかった…
どうやら名古屋発東静岡行きの臨時急行「ホビーのまち静岡」号運転を前に試運転を行っていたようです。
残念ながらあれも運転取りやめが決定してしまいましたが…
そして鳴海宿で旧東海道に戻ります。
華麗に宮宿(熱田)をスルーしましたがあの辺は何度も自転車で行ったことがあるエリアなので別にいいかなぁなんて思いまして。
12:39 左京山駅に到着。
高架の鳴海駅を出て地上に降りてくる名鉄電車を撮影。
熱田から先、JRは大高-大府-安城-蒲郡-豊橋と進むのに対し名鉄は旧東海道に綺麗に沿って鳴海-知立-岡崎-藤川-豊橋と進みます。さっきも言いましたが。
中京競馬場前駅の付近、桶狭間のあたりで名古屋市は終わり、ここからは豊明市に入ります。
今川義元が桶狭間の戦いで本陣を置いたという地、今川町で旧東海道は国道一号線とクロスします。
その後国道一号線を外れ知立駅方面へ。
バス停名から不思議と知ってるいわせ外科クリニックの前を通って駅の方向へ。
知立駅に着きました。ここで池鯉鮒宿名物といわれる藤田屋の大あんまきが売っているはずとやって来たのですが、知立駅高架化工事の関連で一時休業中みたいです。残念。
ただ、本店が国道一号線沿いのドライブインにあるみたいです。そのまままっすぐ進んでいれば着いていたのか…
そんなわけで国道一号線に戻って進むと、ありました。
13:45 藤田屋に到着。
古くは東海道池鯉鮒宿の休憩所として、自動車社会になった後もトラックが行き交う国道一号線のドライブインとして行き交う人々に大あんまきを提供してきた歴史あるお店です。
見た目からして、ドライブインとしても結構昔からやっていそうな雰囲気がありますね。
名物の大あんまき。名鉄名古屋駅の名鉄百貨店などでも売っていて有名なのは知っていますが実は初めて購入。
見た目から味の想像は着くと思いますが、疲れた体に餡子の糖分が効きます。美味しい。
ラストの区間、岡崎まであと約13km!
温存しておいたアシスト機能ですが残り約13km。
ここからは平地でも遠慮なく使っていくこととします。
あくまでアシスト機能が効いている距離の目安なので下り坂の惰性などを考えれば余るはずです。
藤田屋を出発して名鉄三河線を跨ぐと御林交差点。池鯉鮒宿の本陣が置かれていた近くになります。
道路看板を見上げると、「東海道松並木」という興味深い文言が。
この交差点では地下道を押していかなければいけないので少々厄介ですが、それでも旧東海道沿いを選ぶ価値はあると思います。
これが知立に保存されている東海道松並木。これはすごい…
前回記事でも紹介しましたが、旧東海道には日よけ、風よけなどを目的とした松並木が全体の約4割に整備されていました。
しかし、その後邪魔だ邪魔だと各地で伐採され今も松が植えられているのがごく僅かになっているのは当記事を読んでいただければよくわかるかと思います。
土山町内の松の保存も見事でしたが、ここは本当に時代劇で見るような雰囲気で松並木が残されています。
立派な松並木が残っているのは約500mと短いものの、往時の松並木を恐らくほぼそのままに残してくれているため効果があったんだなということが実感できます。
また、単純に雰囲気がいい、旅情あふれる素晴らしい名所になっていると思います。
整備は鬱陶しいはずですし根っこが隆起して舗装がやられたりもすると思いますがそれでも残してくれているのはありがたい限りです。
知立松並木ほどの規模ではありませんが安城市内に入っても松並木が残されています。
土山町と比べて宅地化がされている知立・安城のエリアでこれだけの松が今も残されているのは本当にすごいことだと思います。
明治用水の水路に沿って整備されている豊田安城自転車道との交差地点、明治川神社では桜が綺麗に咲いていました。
創建は1880年と神社としては比較的新しく、明治用水の整備に合わせて東海道と交差する地点に作られたもの。
水の神様を祭神とし、明治用水の功労者を祀る神社として建立されたようです。
14:44 岡崎市に入りました。
矢作川にかかる矢作橋を越えると岡崎市の街並みが見えてきます。
この矢作川は結構な川幅があるのでてっきりここも渡し船で越えていたのかなと思いましたが、ここは橋が架けられていたようです。
むやみに橋を架けられなかった時代において珍しく架橋が許されていた場所、江戸時代には日本最長の橋だったそうです。
橋を越えてすぐのところには岡崎名物八丁味噌の工場が集まっています。
愛知環状鉄道中岡崎駅、名鉄岡崎公園前駅を経由し岡崎公園のほうへ。
桜の名所として知られる岡崎公園前駅。
岡崎公園に近いかといわれると東岡崎から行っても大して変わらない気がしますがそうじゃないんですよね、岡崎公園前駅の線路沿いには多数の桜が植えられていてむしろこの駅自体がお花見スポットになっているんです。
桜と名鉄特急を絡めて1枚。これは綺麗。
15:24 岡崎公園
ついにやってきました。桜の名所岡崎公園です。
一応自粛期間中のはずですが、それでも多くのお花見客でにぎわっておりました。お前が言うなって感じなので何とも言いませんが。
ただ、やっぱり宴会などはしないように規制されているようで皆様歩きながら花見を楽しんでいるようでした。
時間帯的に逆光になっちゃいますが乙川を渡る名鉄電車の姿も。
さて、では最終目的地の東岡崎駅へ。
岡ビル百貨店がかなりレトロな雰囲気を出していますが、東岡崎駅の建て替えが進行しているのでそのうち見られなくなるのかもしれません。
久々に見かけました。HELLOCYCLINGのロゴマークがちゃんとあります。
到着時の残キロ数は3km。これが0になってしまうと鍵のロックや返却操作すらできなくなってしまうため少しは残さなければなりません。
2日かけて京都からやって来たわけですがここで返却できなかったら…京都に帰るんですか…?
無事に返却操作が完了しました。よかった。
ということで京都の二条駅から東岡崎駅まで、Googleマップの距離計算によるので誤差はあると思いますが約170km。
自転車だけでも来れるんですね、陸続きなんだからまあ当たり前なんですが。
流石に今回はちょっと疲れましたね。
東岡崎駅のロッテリアでおやつを食べてから帰ることにします。
感染拡大防止の目的で自転車移動ならええやろと来たわけですが、帰りは電車です。
そろそろ学生さんの帰宅時間帯に被る気がしたので、大人しくミューチケットを購入しました。
やっぱり、かなり空いていますね。
ちょうど疲れていたのでリクライニングシートを選んで正解だったなぁと思います。
名古屋駅からは新幹線に乗り換え。
ウッソだろ…というくらい誰も乗っていないのぞみ号。
京都駅もこんなんでした。こわい。
今回、京都→桑名の約115kmと桑名→東岡崎の約55kmの計170km
誤差が大きそうなので実際どれだけの距離を進んだのかはいまいちわかりませんがそんなもんということにしておきましょう。
旧東海道に沿って東へ進んで次にHELLOCYCLINGのステーションがあるのはどこかなぁと見てみたところ、静岡県の藤枝のようです。
この区間は鉄道が大幅にそれることもないので、東岡崎から豊橋乗り換えで藤枝までの距離を調べたところ124km
1日目の二条→桑名よりちょっと長いかなぁという感じですがまあ誤差でしょう。全然射程圏内です。
ただ、岡崎市内のステーションで借りられるのはミニベロタイプのみ、これがどう響くかが未知数です。
藤枝さえ攻略してしまえばあとは比較的ステーション間が短いので気は楽かもしれません。
約80kmで沼津・三島エリア、約55kmと短いものの箱根関を越えて平塚、そこから東京まではたった60kmと考えるとあと3日か4日間で東海道を制覇することが出来そうです。これはやらないわけにはいきません。
ただ残念ながら緊急事態宣言が発令されたため、HELLOCYCLING側も対応を変更したようで事態が落ち着くまではちょっと厳しそうです。
重ねて言っておきますが、私が京都の二条を出発した4/6時点ではこの緊急事態宣言は出ていませんでした。
ちょうど京都駅の新幹線待合室のテレビで中継を見ました。
そんなわけで皆様大変なこの頃、今日も一日中家に籠ってブログを書いておりました。
あっという間に緊急事態宣言の対象範囲も全国に広がってましたね。いやー、きついっす。
いつの日か「その3」を書く日が来ることを願って、この記事はここでおわりにします。
紹介コード入力で30分無料クーポンをGETしよう!
LINEスタンプお願いします
↑バスの同人誌です。
宿泊したのは三交イン桑名駅前。
建物の雰囲気などは東横インに似ていますが無料朝食のメニューはこっちのほうが豊富な気がしました。
昨日ほどではありませんが今日も結構な距離を進むことになるので栄養をつけておくことにします。
奥に見えているのは三交インオリジナルという味噌風味のカレー。
何でも味噌味噌言っておけばいいというのは浅はかですな名古屋出身の私が物申してやりますですなんて思っていましたが、これがなかなか美味しかったです。
普通のカレーに献立いろいろみそみたいな調理みそを混ぜたような味で味が喧嘩することなく不思議な味わいでした。
お茶漬け用の出汁も用意されていたので二杯目。ごちそうさまでした。
8:26 ホテルを出発します。
こんなチャリでホテルに来るやつも珍しいですよね。ロードバイクならまだしも。
そういえば、紹介し忘れていましたがHELLOCYCLINGでは24時間以上の利用だと通知を寄越してくれるんですね。
不慣れな人が返却に失敗したまま返せたもんだと思い込んでいると無限に料金が発生してしまうのでこの通知は親切だと感じました。
桑名駅前。結構レトロな雰囲気が漂いますがJR・近鉄の駅舎建て替えが工事中なのでバスロータリーのあたりも変わってしまうのかもしれません。
5分と漕いでいないですが着きました。線路沿いです。
1日置いて回復したかなと思いましたがサドルと当たる位置の骨がめちゃくちゃ痛みますね。うおぉ…
名古屋からも近いことから何度か来たことがありますが、ここは日本で唯一3つの軌間が並ぶ踏切。
手前から、三岐北勢線762mm‐JR関西線1067mm‐近鉄名古屋線1435mmが並んでいます。
一体の踏切なのかと思いましたが、近鉄名古屋線の踏切とJR・北勢線の兼掌踏切との2つになっているみたいです。
写真には納めていなかったのでストリートビューを載せますが、JRに対する踏切非常ボタンは踏切の中州部分に設けられているのみで道路側にはありません。
これでは遮断機降下時に何かあったら北勢線の線路を横断しないと押しに行けません。
推測ですが、当初は北勢線の踏切は遮断機のない第4種踏切でJR関西線のすぐ手前に遮断機が設けてあったものを兼掌扱いとして手前に移設した結果こうなったんじゃないかなぁと思います。
だったら踏切非常ボタンも一緒に持ってこればいい気がするんですが…よくわかりません。
ここで北勢線の写真をパチリ。
やっぱりナローゲージのせまいせんろはちっちゃくてかわいいですね。
8:58 桑名名物安永餅
撮り鉄を終え、ようやく自転車旅スタートです。
アシスト残キロは28km。これを0にしないように多くの区間はアシスト機能を切って進むことになります。
ここで、今更ながら旧東海道の宿場について簡単に図を用いて説明しておこうと思います。
昨日は東海道にほぼ沿う形で七里の渡しを控える宿場町桑名までやってきました。
三条大橋から草津までを共用する中山道はそのまま北へ向かいます。
途中の地名からわかる通り現在の東海道本線は中山道、及び脇街道の美濃路にだいたい沿ったルートとなっています。
また、街道をバイパスする道がいくつか設けられています。
大津と草津の間で急がば回れという言葉に従わず矢橋渡船を利用する短絡ルートが矢橋街道。
桑名から宮までの間にある大変な海上航路「七里の渡し」を回避し、波の比較的穏やかな河川航路「三里の渡し」で佐屋に至り進むのが佐屋街道。
こちらは距離的には長くなるはずですが海上航路を避けるという意味で有用なルートであったものと思われます。
図には載せ忘れましたが四日市から宮に至る「十里の渡し」というのもあったらしいですが、回避ルートがあるのに選ぶ人がどれだけいたのかよくわからないところです。
もう一つ図中にあるバイパスルートが朝鮮人街道。中山道沿線なので今回は直接関係ありませんがついでに載せておきます。
中山道は守山から先、現在の新幹線に近いルートで武佐、愛知川、高宮を通って進んでいきます。
多くの人が行き交う街道が自分の城の近くを通ってほしいということで安土城主の織田信長がその辺にあった道を繋いで安土を経由するように整備したのがいわゆる朝鮮人街道。
ここを通って行った武将が勝つっていうことが相次ぎ縁起がいい道ということでその辺の大名がこぞってこの道を通るようになったのですが、そうなると今度は格が下がるということで将軍専用で大名の参勤交代では通行禁止ということにルールを定めたそうです。
ただ、海外からのお客様である朝鮮通信使に関してはこの道の通行を認めていたということでこの名がついているようです。
距離的には中山道のほうが短いのでバイパスの効果はありませんが八幡・安土・彦根の発展に寄与した朝鮮人街道。
その後東海道本線がこっちを経由することになったのはこの道の影響があったんじゃないかなぁと思います。
だいたいそういう時には国鉄が通らなかった旧街道沿いを拾う私鉄が現れるものです。
この区間は近江鉄道が辿っていることがわかるかと思います。
宮から先岡崎方面においても東海道本線は旧東海道から離れたところを通っているため、そのあたりを拾う感じで名鉄名古屋本線が敷かれています。
9:10 東海道の桑名側の端、宮の渡しにやってきました。
ここから名古屋方面を目指すとなると、木曽三川を越えなければいけません。
このあたりの道に関しては名古屋に住んでいた頃に自転車で何度か来たことがあるのでよく知っています。
現在の国道一号線は弥富(前ヶ須)を通る前ヶ須街道に沿っていきますが、この道はかなり歩道の状況がよろしくありません。
特に弥富市内の歩道は狭く自転車で快適に走れるとはいい難い状況です。
そこで私が選んだのが元々国道1号線の名四バイパスとして整備された国道23号線。
名古屋出身ということで馴染みのある道です。本来は「めいし」と読むはずですが「めーよん」で通っている気がします。
国道1号線の木曽三川~蟹江あたりまでは片側1車線のみでよく渋滞します。なばなの里もあって悲惨なことになります。
それに対して国道23号線はバイパスなだけあって全区間で片側2車線以上が確保されており基本的には快適に進むことが出来ます。
車道だけでなく歩道もかなり立派なので木曽三川越えに関しては国道23号線を選ぶのがよろしいかなぁと思います。
揖斐川の堤防に沿って国道23号線を目指します。
国道23号線に沿って揖斐・長良川を越えたところにある長島パーキングに到着。
のどが渇いたのでここで休憩。桑名の自販機で売っていた三重県限定の缶コーヒー。
今度は木曽川を越えていきます。
国道一号線は木曽川を越えたところで県境をまたぎ愛知県に入りますが、国道23号線は木曽川を越えてもまだ三重県。
木曽川の愛知県側河岸を干拓して誕生した木曽岬町が三重県の範囲とされたことが影響し現在もここは三重県になっています。
国道一号線に比べて幅が広く走りやすい歩道。助かります。
木曽川などの大河川と違い、用水路レベルの鍋田川が現在も県境となっています。
昔は木曽川の支流としてそこそこの川幅があった鍋田川ですが、治水事業の一環で締め切られ現在ではこんなレベルになっているみたいです。
カワウでしょうか、鳥さんがいました。
ここからはついに愛知県。気分的には木曽川を越えたところのほうが境界を越えたっていう感じがしますが…
日本一長い地名、「愛知県海部郡飛島村大字飛島新田字竹之郷ヨタレ南ノ割」のあたりを過ぎてさらに東へ。
梅之郷交差点では国道302号線と交差します。
ちょっと見ないうちに名古屋高速の名二環がだいぶ出来上がっていますね。
日光川排水機場を越え、藤前地区へ。
遠くには伊勢湾岸道の名港トリトンが見えてきます。名古屋に帰ってきた感がありますなぁ。
ついにここから名古屋市へ入ります。ついに…!
この先の国道23号線は藤前五丁目の歩道橋、庄内新川橋、荒子川運河橋、中川運河橋の前後はスロープの歩道はなく階段を押して上がる感じと決して走りやすい道とは言えなくなります。
藤前に至る前に梅之郷で歩道橋を上り下りしなければいけませんが、ここ一か所だけ我慢して藤前から北上するのが一番楽なんじゃないかなぁと思います、梅之郷から北上しようとするとちょっと迂回する形になってしまいますので。
10:40 水分補給のためイオンモール名古屋茶屋へ。
実家に帰った時よく行くイオンです。もう名古屋の生活圏、まさか京都から自転車でここまで来られてしまうとは。
八事火葬場のキャパオーバーに伴い、名古屋市内のなるべく人がいない場所に作られた名古屋第二火葬場。
迷惑施設受け入れの見返りとしては定番のイオンモール設置でしたが早くも空きテナントが増えてきているのが悲しいところです。
これが出来たことで客が吸い取られたイオンモール名古屋みなとはまだしもこちらもこうなってしまうとは…
車で訪れるお客さんが大多数なので多少の距離なら取られてしまうということでしょうか、港区役所近くに出来たららぽーとにも客を奪われて港区内で潰し合いが起こっているような気がしてしまいます…
イオンモール名古屋茶屋からまっすぐ東へ、イオンモール名古屋みなとの脇を過ぎて本宮町までやってきました。
この近くの中川運河沿いにはウィラーエクスプレスの車庫があるようなのですが…
例の大流行ウイルスの影響で4/4以降は潔く全路線を運休としているためかなりバスがぎっちり並べられています。
奥のほうにはリボンを纏ったデザインの3列豪華仕様車「ラクシア」も見えます。
デザインが大きく違う「ラクシア」でも「ピンクのバス」のアイデンティティは捨てておりませんでしたが、1台だけそもそもピンクですらない車両もいました。
シェル構造のシートでプライベート空間を確保した超豪華仕様、18席のみという「リボーン」だそうです。
いろは橋を越え、港区役所へ。
名古屋高速と一体のきらく橋で堀川を越えます。
このきらく橋の横の謎の縦長駐車場、怪しい形をしています、ここは昔堀川口駅という駅が設けられていました。
黄緑色の線が今回の自転車移動ルートですが、赤色の線が過去名古屋港周辺の貨物線が敷かれていたところ。
現在も残る名古屋港貨物駅からシートレインランド・名古屋港水族館・イタリア村跡地を掠めて北上、現在も保存されている名古屋港跳上橋を渡って堀川の船着き場をぐるっと囲むように線路が伸びていました。
このあたりの詳細については「名古屋港周辺廃線・休止線探訪記」という記事にまとめています。
2013年とだいぶ昔に書いた記事ですが廃線跡を取り扱った影響かいまでも結構アクセスを頂いています。感謝。
きらく橋も新しい橋なだけあってかなり走りやすい道となっています。
このあたりで、いくら4月とはいえ1日中外に出ていると日焼けがやばいということに気づきディスカウントストアコスモスへ。
時すでに遅しな気もしますが一応ここで日焼け止めを購入、気休めですが塗っておきました。
宝生町から名古屋臨海鉄道の高架橋に沿って国道23号線と交差する浜田町へ。
名古屋市バスの鳴尾車庫を通って天白川を越えます。
名古屋周辺なら別に撮らなくてもいいかぁとスルー決めたのですが、直後に天白川橋梁を渡って豊橋方面へ上る373系が過ぎていったのを目撃。
やっべと思いカメラを取り出すも間に合いませんでした。定期列車では名古屋地区に入線しない373系、撮りたかった…
どうやら名古屋発東静岡行きの臨時急行「ホビーのまち静岡」号運転を前に試運転を行っていたようです。
残念ながらあれも運転取りやめが決定してしまいましたが…
そして鳴海宿で旧東海道に戻ります。
華麗に宮宿(熱田)をスルーしましたがあの辺は何度も自転車で行ったことがあるエリアなので別にいいかなぁなんて思いまして。
12:39 左京山駅に到着。
高架の鳴海駅を出て地上に降りてくる名鉄電車を撮影。
熱田から先、JRは大高-大府-安城-蒲郡-豊橋と進むのに対し名鉄は旧東海道に綺麗に沿って鳴海-知立-岡崎-藤川-豊橋と進みます。さっきも言いましたが。
中京競馬場前駅の付近、桶狭間のあたりで名古屋市は終わり、ここからは豊明市に入ります。
今川義元が桶狭間の戦いで本陣を置いたという地、今川町で旧東海道は国道一号線とクロスします。
その後国道一号線を外れ知立駅方面へ。
バス停名から不思議と知ってるいわせ外科クリニックの前を通って駅の方向へ。
知立駅に着きました。ここで池鯉鮒宿名物といわれる藤田屋の大あんまきが売っているはずとやって来たのですが、知立駅高架化工事の関連で一時休業中みたいです。残念。
ただ、本店が国道一号線沿いのドライブインにあるみたいです。そのまままっすぐ進んでいれば着いていたのか…
そんなわけで国道一号線に戻って進むと、ありました。
13:45 藤田屋に到着。
古くは東海道池鯉鮒宿の休憩所として、自動車社会になった後もトラックが行き交う国道一号線のドライブインとして行き交う人々に大あんまきを提供してきた歴史あるお店です。
見た目からして、ドライブインとしても結構昔からやっていそうな雰囲気がありますね。
名物の大あんまき。名鉄名古屋駅の名鉄百貨店などでも売っていて有名なのは知っていますが実は初めて購入。
見た目から味の想像は着くと思いますが、疲れた体に餡子の糖分が効きます。美味しい。
ラストの区間、岡崎まであと約13km!
温存しておいたアシスト機能ですが残り約13km。
ここからは平地でも遠慮なく使っていくこととします。
あくまでアシスト機能が効いている距離の目安なので下り坂の惰性などを考えれば余るはずです。
藤田屋を出発して名鉄三河線を跨ぐと御林交差点。池鯉鮒宿の本陣が置かれていた近くになります。
道路看板を見上げると、「東海道松並木」という興味深い文言が。
この交差点では地下道を押していかなければいけないので少々厄介ですが、それでも旧東海道沿いを選ぶ価値はあると思います。
これが知立に保存されている東海道松並木。これはすごい…
前回記事でも紹介しましたが、旧東海道には日よけ、風よけなどを目的とした松並木が全体の約4割に整備されていました。
しかし、その後邪魔だ邪魔だと各地で伐採され今も松が植えられているのがごく僅かになっているのは当記事を読んでいただければよくわかるかと思います。
土山町内の松の保存も見事でしたが、ここは本当に時代劇で見るような雰囲気で松並木が残されています。
立派な松並木が残っているのは約500mと短いものの、往時の松並木を恐らくほぼそのままに残してくれているため効果があったんだなということが実感できます。
また、単純に雰囲気がいい、旅情あふれる素晴らしい名所になっていると思います。
整備は鬱陶しいはずですし根っこが隆起して舗装がやられたりもすると思いますがそれでも残してくれているのはありがたい限りです。
知立松並木ほどの規模ではありませんが安城市内に入っても松並木が残されています。
土山町と比べて宅地化がされている知立・安城のエリアでこれだけの松が今も残されているのは本当にすごいことだと思います。
明治用水の水路に沿って整備されている豊田安城自転車道との交差地点、明治川神社では桜が綺麗に咲いていました。
創建は1880年と神社としては比較的新しく、明治用水の整備に合わせて東海道と交差する地点に作られたもの。
水の神様を祭神とし、明治用水の功労者を祀る神社として建立されたようです。
14:44 岡崎市に入りました。
矢作川にかかる矢作橋を越えると岡崎市の街並みが見えてきます。
この矢作川は結構な川幅があるのでてっきりここも渡し船で越えていたのかなと思いましたが、ここは橋が架けられていたようです。
むやみに橋を架けられなかった時代において珍しく架橋が許されていた場所、江戸時代には日本最長の橋だったそうです。
橋を越えてすぐのところには岡崎名物八丁味噌の工場が集まっています。
愛知環状鉄道中岡崎駅、名鉄岡崎公園前駅を経由し岡崎公園のほうへ。
桜の名所として知られる岡崎公園前駅。
岡崎公園に近いかといわれると東岡崎から行っても大して変わらない気がしますがそうじゃないんですよね、岡崎公園前駅の線路沿いには多数の桜が植えられていてむしろこの駅自体がお花見スポットになっているんです。
桜と名鉄特急を絡めて1枚。これは綺麗。
15:24 岡崎公園
ついにやってきました。桜の名所岡崎公園です。
一応自粛期間中のはずですが、それでも多くのお花見客でにぎわっておりました。お前が言うなって感じなので何とも言いませんが。
ただ、やっぱり宴会などはしないように規制されているようで皆様歩きながら花見を楽しんでいるようでした。
時間帯的に逆光になっちゃいますが乙川を渡る名鉄電車の姿も。
さて、では最終目的地の東岡崎駅へ。
岡ビル百貨店がかなりレトロな雰囲気を出していますが、東岡崎駅の建て替えが進行しているのでそのうち見られなくなるのかもしれません。
久々に見かけました。HELLOCYCLINGのロゴマークがちゃんとあります。
到着時の残キロ数は3km。これが0になってしまうと鍵のロックや返却操作すらできなくなってしまうため少しは残さなければなりません。
2日かけて京都からやって来たわけですがここで返却できなかったら…京都に帰るんですか…?
ここで返却手続き出来なかったら… pic.twitter.com/tAWTwDOyhG
— もとりゃま(*´﹃`*)ゞ (@motoryama7011f) April 7, 2020
無事に返却操作が完了しました。よかった。
ということで京都の二条駅から東岡崎駅まで、Googleマップの距離計算によるので誤差はあると思いますが約170km。
自転車だけでも来れるんですね、陸続きなんだからまあ当たり前なんですが。
流石に今回はちょっと疲れましたね。
東岡崎駅のロッテリアでおやつを食べてから帰ることにします。
感染拡大防止の目的で自転車移動ならええやろと来たわけですが、帰りは電車です。
そろそろ学生さんの帰宅時間帯に被る気がしたので、大人しくミューチケットを購入しました。
やっぱり、かなり空いていますね。
ちょうど疲れていたのでリクライニングシートを選んで正解だったなぁと思います。
名古屋駅からは新幹線に乗り換え。
ウッソだろ…というくらい誰も乗っていないのぞみ号。
京都駅もこんなんでした。こわい。
今回、京都→桑名の約115kmと桑名→東岡崎の約55kmの計170km
誤差が大きそうなので実際どれだけの距離を進んだのかはいまいちわかりませんがそんなもんということにしておきましょう。
旧東海道に沿って東へ進んで次にHELLOCYCLINGのステーションがあるのはどこかなぁと見てみたところ、静岡県の藤枝のようです。
この区間は鉄道が大幅にそれることもないので、東岡崎から豊橋乗り換えで藤枝までの距離を調べたところ124km
1日目の二条→桑名よりちょっと長いかなぁという感じですがまあ誤差でしょう。全然射程圏内です。
ただ、岡崎市内のステーションで借りられるのはミニベロタイプのみ、これがどう響くかが未知数です。
藤枝さえ攻略してしまえばあとは比較的ステーション間が短いので気は楽かもしれません。
約80kmで沼津・三島エリア、約55kmと短いものの箱根関を越えて平塚、そこから東京まではたった60kmと考えるとあと3日か4日間で東海道を制覇することが出来そうです。これはやらないわけにはいきません。
ただ残念ながら緊急事態宣言が発令されたため、HELLOCYCLING側も対応を変更したようで事態が落ち着くまではちょっと厳しそうです。
重ねて言っておきますが、私が京都の二条を出発した4/6時点ではこの緊急事態宣言は出ていませんでした。
ちょうど京都駅の新幹線待合室のテレビで中継を見ました。
そんなわけで皆様大変なこの頃、今日も一日中家に籠ってブログを書いておりました。
あっという間に緊急事態宣言の対象範囲も全国に広がってましたね。いやー、きついっす。
いつの日か「その3」を書く日が来ることを願って、この記事はここでおわりにします。
紹介コード入力で30分無料クーポンをGETしよう!
LINEスタンプお願いします
↑バスの同人誌です。