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みかんの部屋

自分の趣味(映画・漫画など)に関しての雑記ブログです。

『ハンズ・オブ・ストーン』観ました。

2018-10-20 16:00:00 | 洋画


2016年:パナマ・アメリカ。 監督:ジョナタン・ヤクボウィッツ。 WOWOWからの録画。
ボクシング映画です。ボクシング映画には良作が多いと思うんですが、
今回の作品は「あれ?」と感じてしまいました。
なんというか、全体にそつなく纏まってはいるんだけどね....という感じ。
実話をベースにしているようで、そういう意味では実在のプロボクサー、
ロベルト・デュラン氏の伝記映画とも言えそうです。

パナマ市の片隅のスラム街に、えらく喧嘩の強い少年がいた。
彼は金を賭け、自分よりも大きな相手と路上ファイトをする。そして必ず勝つ。
そんな彼に大きな素質を見出し、何とかチャンピオンに育てようと考えたジムのオーナー。
少し勝ち進んだところでオーナーは超一流のトレーナーを口説いて連れてくる。
米国人のレイ・アーセルがその男だ。
何しろ20人ものチャンピオンを育てたというのだから本当のホンモノだ。
彼と組んだデュランは連戦連勝を重ねていき世界チャンピオンになり、
次第にパナマ国民から英雄視されるようになっていく。

私生活では偶然街で見かけた超美人のフェリシダードに一目ぼれ。
はじめは住む世界が違うと本気にされなかったが、猛プッシュの甲斐あってとうとう恋仲に。
何人もの子どもにも恵まれて順調な人生かに見えたが....。

王者デュランに挑戦するのはシュガー・レイ・レナード。
実力も相当なものだが、それ以上に頭脳的な作戦でデュランに
さまざまに揺さぶりをかけてくる。
試合はデュランが勝利するが、すぐさまリターンマッチを申し出るシュガー。
受けるつもりはなかったデュランだが、800万ドルという賞金額を知るや
周囲の人間たちが色めきたち、無理やり再試合が決定してしまう。
もともと気が進まないうえに、試合中にプライドを傷つけられる言動を受けて
試合放棄してしまうデュラン。
誰も彼の気持ちに気づこうとしない。
ヤツは怖じ気づいたとしか受け取られない。

そして試合放棄してしまった事実は重い。
興行主(マフィア)に盾つくことを意味するからだ。
もはや相手にしてくれる人間はおらず、ボクサーとしては終わっも同然だ。
こうしてデュランは過去の人となり、僅かにその名を知る子どもからも
小馬鹿にされるようなありさまだ。
だがいつまでも彼の気持ちは沈んだままではいなかった。

 
デビー・ムーアとの顔合わせ。序盤はデビーがリードする。

相当な年月の経過後、再起を決意するデュラン。
長いブランクがあるとはいえ、彼の栄光ある名前はまだ世間に忘れられてはいない。
だが話に乗ってくる興行主は、やはりいない。
いまは引退しているが、彼の元トレーナー、レイ・アーセルはこうした状況をみて
友情のために一肌脱ぐことにする。
レイは知っている興行主のもとに出向き、いま若く実力のあるデビー・ムーアとの
組み合わせを提案する。実際デビーは強すぎて戦おうという相手がいないのだった。
そこに対戦相手として知名度のあるロベルト・デュランを組めば多くの客を呼べるだろう。
確かにそれなら儲かりそうだと興行主も結局は折れ、試合が行われることになる。
ふたをあけてみるとレイの目論見は大当たり。チケットの売れ行きは上々で興行主も上機嫌だ。

 
ラウンドが進むにつれ、ロベルトがデビーを圧倒する流れに。結末は?

かつて『レイジング・ブル』で壮絶なまでのボクシング劇を体現してみせたデ・ニーロ。
ここでは(年齢的に)流石にボクサーではなく、脇のトレーナー役として出ています。
ただ映画は全体的に平坦な流れで、適当に時間つぶしになればいいという人以外には、
あまり薦められないかもしれません。

『007スペクター』観ました。

2018-09-15 16:00:00 | 洋画


2015年:英・米。 監督:サム・メンデス。 WOWOWからの録画。
かつて007映画といえば、それは文句なしに娯楽映画の王道でしたね。
S・コネリーやT・ダルトン、R・ムーアなどのスクリーンの向こうの活躍ぶりに心が躍ったものでした。
それがハテ?いつのまに007映画は存在感をこうも薄め埋没してしまったのか?
人によってご異見のある方もあろうかとは思いますが(^^;
今作スペクターで早や24作目。もはや新鮮なアイディアは尽き、マンネリ化してしまった
ということなのかもしれません。

出だしからはじまって中間の話の展開のありよう、そしてエンディングまで過去の作品の
パターンの焼き直しで安易すぎるぞ、これはと思いました。
しかし観客はまだ呼べるので、007映画そのものを止めてしまうわけにはいかない。
そんな業界の事情が透けて見えて「何だかな~」という気分になってしまいました。
007映画ファンの方、ごめんなさい(^^;

映画はメキシコシティの”死者の日”に始まります。これ日本でいえば”お盆”でしょうね。
祭りの熱狂の中、メキシコシティの上空。ヘリコプター内でスパイ同士の死闘が繰り広げられる。
見映えのするシーンですが、それだけに市民たちも自分たちの頭の上で何かが起きていることは
すぐにわかる。
あわやヘリは地上に墜落~大惨事か?しかし事故寸前になんとか危機を脱するボンド。
このことによって英国はメキシコ政府はじめ周囲の顰蹙を買う。

J・ボンドが帰英して本部に出頭するや、そこでは組織の改編が進んでいる真っ最中と知る。
幹部職員ミスターCを中心に「スパイによる諜報活動など最早時代遅れだ」「だから00部門は
閉鎖すべし」などなど。
しかしそれは英国の諜報組織の力は利用しつつ、その弱体化を狙った、悪の組織による陰謀だった。
後になって明らかになるが、なんとミスターCの正体も、その組織から送りこまれた一員だった。
またボンドがメキシコで格闘劇を演じたのも、その組織の核心に迫ろうとしたためなのだ。

僅かな情報を手掛かりに、ボンドは悪の組織の大きな会議が近く開かれると知る。
なんとかその会場に潜り込んだものの、すぐに正体を見破られて逃げ出さざるを得なくなる。
追手はどこまでも執拗に追いかけてきて....。

たっぷり予算をかけたゴージャスな画面を愉しみつつ、でもこの映画、ヤッパリ薄味かなあと
思ってしまいました(^^;

『ゴッド・ディーバ』観ました。

2018-09-09 16:00:00 | 洋画
2004年・フランス。 監督:エンキ・ビラル。 WOWOWからの録画。

実写にCG技術をプラスした、ちょっと独特の画調です。アニメの要素も入っているというか.....。
こんな感じの映画をフランスではバンド・デ・シネと呼ぶんだとか。

 
アヌビス神から死刑宣告を受けるホルス。      ホルスは人間社会へと降りたつ。

神といえども、何をしても許されるわけではない。
さてホルス神。まさに彼は神の世界の掟に反抗する罪を犯してしまった。
これにより死神アヌビスから死刑の宣告を受ける。
ただ呼吸ひとつ分の執行の猶予を申し出て、認められる。
呼吸ひとつ分とは、人間にとっては一週間に相当する時間となる。
その一週間で、ホルス神は人間の世界に降りたち、気に入る男女のペアを探しだす。

 
不審人物として逮捕されたジル。          実験調査の対象として研究者ターナー㊨の関心を惹く。

まずは女を探す。
異次元との入口ちかくで捕えられたジル。身分を証明するものを一切持たない彼女。
それゆえ不審人物として逮捕されたところを、居合わせた有力研究者ターナーの関心を惹く。
彼女はジルを貰い受け、ホテルの部屋や身分証を支給する。
見返りに彼女の研究の対象になるよう説得する。
ジルには何か特別なものがあるとターナーは感じ取ったようだ。
ホルス神はこの女に目をつけた。純粋な存在と感じたようだ。

 
ニューヨーク市の未来。縦横な交通の軌道網。    ニコポルはホルス神に命を助けられる。

そして次は男。
反体制の要注意人物、ニコポルという男に遭遇したホルス神。
片足を失い瀕死の重傷を負っていた彼を治療、肉体を回復させる。
その代償として彼の身体に憑依して(ホルス神の代理として)行動させる。
ニコポルには事実上ホルス神の申し出を拒否できない。

 
ワインを介して二人は近づく。           ジルとニコポル(実体はホルス神)。
                            ホルス神の姿がうっすらとニコポルに重なる。

ホルス神の狙いは、好ましい男女を見つけてセックスをさせる。
ただし人間の男はあくまでホルス神の代理であり、実際に女が受ける胤はホルス神のもの。
これによりホルス神は処刑されても彼の系列(血統)は途絶えないという寸法だ。
そんな面倒なことをせずにホルス神が直接女と交渉すればいいのでは?と思ったが
どうもそれではダメみたい。やっぱり人間の肉体同志の接触でなければ、らしい(^^;
多少の面倒は生じても、結局めでたくホルス神の意図どおりに事は運び、めでたしとなる。

先にも書きましたが、ビジュアル的にはなかなか面白いものがありますね。
レトロな絵柄で未来都市を描くというか....。
ただドラマとしての出来は水準だと思いました。
両方合わせて評価はどうなるかですが、類似の作品が多くはないと考えれば独自の位置を
保持している映画といえるかもしれません。
人にもよるとは思いますが、こういう作風を好きな人にとっては評価が高くなるんでしょうね。



『ドリーム』観ました。

2018-08-20 16:00:00 | 洋画


2016年・米20thフォックス。 監督:セオドア・メルフィ。 WOWOWからの録画。
事前情報から、面白そうな映画だなと思い、放映を心待ちにしていた一本です。
まずは期待通りの内容でニ時間強飽きさせられることはありませんでした。
かつてNASAという最も先端的な職場で頭抜けた能力を発揮した黒人女性たち。
いまはそれぞれ引退しているが、その功績は半ば伝説的に伝えられている。
いわば、レジェンド。
このことはNHKの宇宙関連番組などによっても、けっこう知られていることです。
(自分もその番組は視聴していました)
なので如何に映画的に面白く料理して見せてくれるかが、自分にとっての
ポイントでした。

 
世界初の有人ロケット、ボストーク号成功。     一カ月遅れて米国もマーキュリー計画を成功させる。

1961年4月、ソ連は世界初の有人ロケット、ボストーク号を成功させ、
ライバルである米国の鼻を明かす。
当時の米国にしてみれば、ソ連に一歩してやられたという思いは勿論でしょうが、
それ以上に、何か大災害に遭遇したかのようなショックを受けたらしいニュアンスが
この映画から伝わってきます。
なにしろ人工衛星技術=ミサイル技術でも有ることは一般米国民にも知られていましたからね。
なんとか早く挽回せねば、という米国側の焦りは可なりあったようですね。
焦った米国側も一カ月遅れではあったが翌月にマーキュリー計画(レッドストーン3号)
を無事に成功させ胸をなでおろす。

 
すぐに米国も有人ロケットを成功させる。      米国は祝賀パレードを実施。余程嬉しかったようだ。

これ以降、両国間には長い宇宙開発競争の時代が訪れ、結局は米国の月面着陸を
もって一応の決着をみます。
でも考えてみたらイマドキこういう話って、大変な昔話の部類ですかね?(^^;

 
解析幾何学のできる人材が今すぐ必要だ。      職場のリーダー、ドロシーはキャサリンを推薦。

この映画は、そういった宇宙開発時代の初期の話になります。
有人ロケット開発で一歩ソ連に先んじられた米国NASAでは、高度な数学的能力を
備えた人材が至急必要となっていた。それも解析幾何学という特殊な分野で。
NASA内で、該当者が一人だけいた。それがキャサリン・ジョンソン。
職場のリーダーであり、友人でもあるドロシー・ヴォーンの推薦で彼女に配転の
指令がおりる。この大抜擢にキャサリンは大いに張りきるが....。

 
解析幾何学はできるのか?と所長㊨の問い。     「できます」とキッパリ答えるキャサリン。

だがNASAの中核的な部署においても、黒人に対する差別はまったく変わらないようだ。
だがキャサリンは声を荒げて抗議するような真似はしない。歯を食いしばり、
だが着実に自分の有能さを周囲に知らしめていく。
気づいたときには、彼女の功績は誰も否定しようのないほど大きく積み上がっていた。

一方ドロシー・ヴォーンは、コンピューターを扱える人間が少なかった当時に、
独力でコンピューターを学び、その知識を大勢の同僚に伝える。
それまでコンピューターを扱える人間がNASAにはいなかったため、
せっかく大金をかけて導入したIBM大型電算機が放置されたままになっていた。
ドロシーたちは大型電算機をフルに活用、NASAの業務に対して大きく実績を残す。
これが認められて、彼女は一介のパート雇いから電算室長に昇進することになる。
映画のドラマ構成は実に巧みで、飽きさせませんね。終りまで面白く観れました。

あと目に留まったのはキルスティン・ダンストさん。
今回の彼女の役どころは、人種差別意識を心に抱いた、意地の悪い白人管理職。
黒人女性職員たちの上司というポジションですが、なかなか上手く演るなあと。
スパイダーマンのヒロインを務めた若い頃とは流石にイメージが違うけど、
相変わらずの美人さんですね(^^;

『怪物はささやく』観ました。

2018-08-02 16:00:00 | 洋画
2016年:米・西。 監督:ファン・アントニオ・バヨナ。 WOWOWからの録画。
米国出身、英国で活動している作家パトリック・ネス氏の
児童文学作品を映画化したものです。
多くの作品を発表し数々の文学賞を獲っているネス氏ですが、
この作品も例外ではなく、2012年度カーネギー文学賞を受賞しています。
深みのあるストーリーは観る者を魅了してしまう力を持っていると感じます。

少年コナーの母親は癌にかかり治療中。医師はさまざまな治療をほどこすが
なかなか思わしい結果が出ず病気は進行していく。
もちろん少年は母の恢復を願っているが、さまざまに治療方針を変えても
しだいに病気が重くなっていく状況を見て、恐れを抱くようになる。
もしママが死んだら....。
決して口にしてはいけないことだけど、心の底で深く恐れるコナー。

ママと離婚して、いまは別の家族とともに外国(アメリカ)に住むパパ。
元の妻の様子を見に一時的に帰国する。
パパはいろいろ僕に言ってくるけど....。
”自分はもう子どもじゃない” 冷めた目で父親に対するコナー。
ママの入院中におばあちゃんと同居する話が出るが、それだけは死んでも嫌だ。
おばあちゃんとは小さい時から全然ソリが合わないんだ。

大人しい彼は、学校での悪童たちの格好の標的になっていた。
エスカレートしていくいじめ。教師たちは見て見ぬふり。
行き詰ったコナーは、いつか巨木の怪物の妄想をしばしば見るようになる。
きまって夜中の12時07分に。


怪物は三つの話を聞かせる。そのあとはコナーが話す番だ。

たいへん深みのある良い映画だと感じました。
通り一遍の善悪の論法などではない。
良いこと悪いことを含めて人間というものは複雑な考え方をするものだし、
それを恥ずかしく思う必要はまったく無いということが説かれます。
怪物はコナーが子どもだからなどと忖度はしない。
しかしぶっきらぼうながら愛情のある話し方にはグッときました。
なので”母親の死”を扱った映画なのに、温かみのある感情が視聴後に残りました。
また映画中に挿入されるアニメシーン。これの出来も良かったと思います。