2015年:日・仏。 監督:小栗康平。 WOWOWからの録画。
戦前のフランスに渡り、その斬新な技法により忽ち大きな評価を得た”FOUJITA”こと藤田嗣治。
まだエコール・ド・パリという言葉が実際に生きていた時代のこと。
絵画の才能を武器に自らの運を切り開こうという若者が各国からパリに集まっていた時代だった。
女性の出入りが盛んなフジタ。 作品の制作に向けて入念なデッサン。
作品が評価され、人気者になった彼だったが、女の出入りもまた頻繁だった。
表面的には軽薄を装うフジタ。だが内心では彼なりの信念があった。
そして作品制作となると真剣そのもの。長時間のポーズを勤めるモデルたちもお疲れ気味。
夜は盛り場に出て顔を売る。 真夜中の大騒ぎ。それが街の関心と評判を呼ぶ。
夜になれば街の盛り場へ繰り出して遊び回る。人は彼を”お調子者”と呼ぶ。
しかしフジタは気にしない。常に人から噂の的にされ関心を持たれるように自ら仕向ける。
それは画業と同じくらい大切なことだという思いがあるからだ。
いくら良い画を描いていても、話題にもされないような面白味のない人間では
絵も売れない、という理屈なのだった。
姉妹の売るドールハウスに目を留める。 丁寧なつくりが気に入ってお買い上げ。
時間のある時には恋人と連れだって蚤の市の冷やかしに出る。
その日はたまたま少女姉妹の店に出ていたドールハウスに目がとまり、
丁寧なつくりが気に入って、買うことにするフジタ。
国策に沿い、戦争画の分野に身を置く。 五番めの妻・君代に反物を買ってあげる。
40年のころ、フジタは日本に帰国。本場フランス帰りの著名な画家フジタに
目をつけた軍部から国民の戦意高揚のための戦争画を描くよう依頼がくる。
これに応じてフジタはいずれも100号、200号級の大作をつぎつぎに制作。
観る者(国民)に対するインパクトも大きく、軍部の狙い通りの高い評価を得る。
戦争末期。カナモノ供出の風景。 ランスのノートルダム大聖堂に残るフジタの画業。
戦争末期。すでに日本の敗色は濃厚で、口に出さずとも国民の思いは同じだった。
激化した都会の空襲を避け、妻の君代と共に地方に疎開。
そこで日本の里山の深みある美しい風景にフジタは開眼してゆく。
(ここの場面はまるで遠野物語とか宮沢賢治の世界を鮮やかに視覚化したような、
素晴らしく美しい映像の連続。ついウットリと見惚れてしまいましたよ~)
戦後になると、多くの戦争画を制作したことを理由に戦争協力者として集中的に非難を浴びる。
時代の変化とはいえ手のひらを返したような態度に出る者が多く、彼には可なりこたえたようだ。
渡仏の許可が下りると、彼は君代を伴い直ちにパリに向う。以後日本に帰ることは無かった。
画家の半生を描いた映画らしく、画面の美しさは可なりのものと感じました。
ただ特に前半のパリ時代、当然ながらフランス語の会話(日本語字幕)で劇が進んでいきますが、
主役のオダギリジョーの話すフランス語はイマイチ流暢とはいえず、そのため棒セリフに感じられ
ノレませんでした(^^;
(相当にフランス語のレッスンしたんだろうな~ということは良く判りますけど....。)
各エピソード間の有機的なまとまりも今ひとつ。
ただ観ていて詰まらなかったかと問われれば、そういうことではないですね。
本作の画面的美しさもあって興趣が途切れず、退屈は感じなかったです。
■
戦前のフランスに渡り、その斬新な技法により忽ち大きな評価を得た”FOUJITA”こと藤田嗣治。
まだエコール・ド・パリという言葉が実際に生きていた時代のこと。
絵画の才能を武器に自らの運を切り開こうという若者が各国からパリに集まっていた時代だった。
女性の出入りが盛んなフジタ。 作品の制作に向けて入念なデッサン。
作品が評価され、人気者になった彼だったが、女の出入りもまた頻繁だった。
表面的には軽薄を装うフジタ。だが内心では彼なりの信念があった。
そして作品制作となると真剣そのもの。長時間のポーズを勤めるモデルたちもお疲れ気味。
夜は盛り場に出て顔を売る。 真夜中の大騒ぎ。それが街の関心と評判を呼ぶ。
夜になれば街の盛り場へ繰り出して遊び回る。人は彼を”お調子者”と呼ぶ。
しかしフジタは気にしない。常に人から噂の的にされ関心を持たれるように自ら仕向ける。
それは画業と同じくらい大切なことだという思いがあるからだ。
いくら良い画を描いていても、話題にもされないような面白味のない人間では
絵も売れない、という理屈なのだった。
姉妹の売るドールハウスに目を留める。 丁寧なつくりが気に入ってお買い上げ。
時間のある時には恋人と連れだって蚤の市の冷やかしに出る。
その日はたまたま少女姉妹の店に出ていたドールハウスに目がとまり、
丁寧なつくりが気に入って、買うことにするフジタ。
国策に沿い、戦争画の分野に身を置く。 五番めの妻・君代に反物を買ってあげる。
40年のころ、フジタは日本に帰国。本場フランス帰りの著名な画家フジタに
目をつけた軍部から国民の戦意高揚のための戦争画を描くよう依頼がくる。
これに応じてフジタはいずれも100号、200号級の大作をつぎつぎに制作。
観る者(国民)に対するインパクトも大きく、軍部の狙い通りの高い評価を得る。
戦争末期。カナモノ供出の風景。 ランスのノートルダム大聖堂に残るフジタの画業。
戦争末期。すでに日本の敗色は濃厚で、口に出さずとも国民の思いは同じだった。
激化した都会の空襲を避け、妻の君代と共に地方に疎開。
そこで日本の里山の深みある美しい風景にフジタは開眼してゆく。
(ここの場面はまるで遠野物語とか宮沢賢治の世界を鮮やかに視覚化したような、
素晴らしく美しい映像の連続。ついウットリと見惚れてしまいましたよ~)
戦後になると、多くの戦争画を制作したことを理由に戦争協力者として集中的に非難を浴びる。
時代の変化とはいえ手のひらを返したような態度に出る者が多く、彼には可なりこたえたようだ。
渡仏の許可が下りると、彼は君代を伴い直ちにパリに向う。以後日本に帰ることは無かった。
画家の半生を描いた映画らしく、画面の美しさは可なりのものと感じました。
ただ特に前半のパリ時代、当然ながらフランス語の会話(日本語字幕)で劇が進んでいきますが、
主役のオダギリジョーの話すフランス語はイマイチ流暢とはいえず、そのため棒セリフに感じられ
ノレませんでした(^^;
(相当にフランス語のレッスンしたんだろうな~ということは良く判りますけど....。)
各エピソード間の有機的なまとまりも今ひとつ。
ただ観ていて詰まらなかったかと問われれば、そういうことではないですね。
本作の画面的美しさもあって興趣が途切れず、退屈は感じなかったです。
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