みかんの部屋

自分の趣味(映画・漫画など)に関しての雑記ブログです。

『カエルの楽園』読みました。

2018-11-08 16:00:00 | 
2016年:新潮社刊。著者:百田尚樹。
二年前の病院のベッドの上で(^^;
暇つぶしに週刊誌の書評を見て以来、注目をしていた本です。
内容は現代日本の危機的状況を、カエルの世界になぞらえて訴えているものです。
<平和ボケしたニッポン>とはよく耳にするフレーズで、自分なども自戒している
つもりなのですが、こうして改めて、そしてつぶさに日本の現状を伝えられると
まだまだ自分の認識は甘い、と痛感させられるのでした。


『カエルの楽園』(文庫本)と続編『カエルの楽園が地獄と化す日』(図書館から)

日本の社会、そして多くの日本人はなぜこんなにも自国の状況に鈍感なのか。
この絶望的なまでの危機感の欠如は一体どういうことなんだろう。
まして国民の目を真実からそらせようとする多くのマスコミ群。
もっとも自分もエラそうなことは言えません。
とくに若いころは社会に対する意識・関心など絶無でしたから。
それが30歳を越えるころから、ゆっくりゆっくりと
『日本を囲む周辺国の状況ってナンカ変?』と感じるようになりました。
少しはモノが見えてきたのでしょうか。
これからも、ユックリ自分のペースで物事を考えていこうと思っています。

『カエルの楽園』は文庫本で求めましたが
続編というか『カエルの楽園が地獄と化す日』は図書館でお借りしました。
こちらは百田尚樹氏と中国出身で日中問題に関する評論家、石平(セキ・ヘイ)氏との対談集ですが、
こちらを併読することで、『カエルの楽園』をより深く、具体的に理解できる感じがします。
なかでも中国という国家や民族の残虐さに触れるページがあります。
すでに知識としては把握していても、改めて詳しく述べられると実に背筋が寒くなる思いです。
それにしても今のままの状況が進むと日本の未来には、かなり恐ろしいものがあります。

故・高城重躬氏 vs 故・五味康祐氏

2018-09-06 17:30:00 | 
最近、高城重躬氏、五味康祐氏の著書を懐かしく読みました。
お二人とも今はとっくに故人となられていますが、50年ほど昔には
いずれもオーディオ愛好家にとっては著名な方たちでした。

とくに高城氏は、再生装置に新機軸というか大胆なアイデアを次々に打ちだして、
衆目を集めていたものでした。
その代表とも言えるのが巨大なコンクリート製低音用ホーンでしょうね。
これを住居の屋根上に設置して、誰も聴いたことのないようなホンモノの重低音再生を
実現してみせたとき、ベテラン含めて驚かないマニアはいなかったと記憶します。


両氏の著作本。『オーディオ100バカ』』『いい音 いい音楽』

そんな高城システムに魅せられた一人が当時の流行作家、五味康祐氏でした。
氏は剣豪小説において絶大な人気を誇る第一人者でしたが、レコード音楽や
オーディオに関しても、単なる趣味以上の熱意をもって取り組んできた人でした。
五味氏が実際に高城家のシステムに接した時、その再生音の素晴らしさに
この人はオーディオの神様だと思った、といっています。
以来、オーディオ上の問題に接するたびに高城氏に相談・助言を求めるようになる。

はじめのうちは良かったが。だが五味氏は高城氏の助言にだんだん納得できなくなってくる。
高城氏=神様の意見はどうあれ、自分の耳には違うんだという思い。
結果的に両者は袂を分かつことになるが、考えてみればそれは当然ともいえますね。

オーディオというものは人間の数だけ、その求める方向性があると言えます。
いくら”あれは美味い料理だ”と人から勧められても、
自分の舌に合わなければ、やっぱりそれはダメな料理なのです。
オーディオは結局、自分がそれを「好きか」「嫌いか」しかない。
他人から何か言われたとしても、あくまでそれは他人の意見。だいいち自分は”他人”じゃない。
あくまで他人の意見は参考ていどに聞き、最終決断はやはり自分でするしかないのです。
自分を含めて、分っているようでイザというときに犯しがちな誤りかもしれません(^^;
大物狙いの時は大きな金額の支払いを伴うので特に迷いますね。
そんなことをあれこれ思いながら、当時を懐かしみつつ両氏の文章を愉しみました。

 高城重躬氏....『音の遍歴』『オーディオ100バカ』
 五味康祐氏....『西方の音』『いい音 いい音楽』

たまには、こんなカタチでの読書も楽しかったです。



「研ぎ師太吉」 読みました。

2015-04-08 16:00:00 | 
2011年:新潮文庫刊。 著者:山本一力氏。 図書館から借入。
最近 図書館で人気のある本として「時代小説」「文庫本」が挙げられるようだ。
それで自分もそのような本を借りて読んでみることにした。



そこで感じたことは、娯楽小説といえども、いや娯楽小説だからこそか?
時代の空気を敏感に反映している点で、”自分の知る”小説の形態とはかなり異なる。

この小説、ひとことで言えば殺人事件を扱っている。にもかかわらず、あまり事件
そのものには言及しない。終盤になって手早く片付けてしまうような印象さえ受ける。

ではこの小説における眼目は何かと言えば
「グルメ的記述」「時代考察的というか、細々とした当時の事情に関する知識」。
そのような本来なら枝葉ともいえる部分の記述に注力されているように見える。

そういうところが自分の中の「小説のイメージ」とはかなり異なる。
これがイマドキの小説なのかと感心するやら反発するやら。
ある意味、一時間のTV時代劇を観た感覚に近いとも言える。

しかし今回、山本一力氏の作品を一本読んだだけのこと。
今あまり色々と言及するのは控えた方が良いだろう。

当然、他にも作風の異なる作家さんは幾らでも居るわけで、
これから少しづつ小説の開拓をしてゆければと思う。

「私の父、私の母」 読んでいます。

2015-01-17 17:13:46 | 
文藝春秋社、1994年刊。図書館からお借りしました。

ここ何日か、「私の父、私の母」という本を読んでいます。第二巻まで有ります。

各界の有名な方(やはり文筆業が多い)が、今は亡きご両親の思い出を綴った本です。
(もちろん、まだご存命のケースもありますが)

自分の年齢的なモノもあると思うけれど......なんか心に沁みるものがあります。
若い人が読んでも、一応は得るものがある本だとは思いますが....

自分のことになりますが、父を比較的早めに亡くしました。
母はまだ存命ですが、すでに91歳。そろそろ覚悟をして置くべき状況です。
でも何となく未だにピンとこないのですが.....(^^;


瀬戸内寂聴さんの「母の絵」のページ。