日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

原発廃炉問題を考える

2015年03月25日 09時58分20秒 | 日々雑感
 原子力発電所の5機の廃炉がようやく決まった。関電の美浜1号機、2号機、原電の敦賀1号機、中国電力の島根1号機そして九州電力の玄海1号機である。原発の運転期間を「原則40年」とする基準に従った廃炉であるが、特別な審査に通れば延長運転も可能であった。しかし、比較的低出力であり、運転を延長するための安全対策等の費用が発電で得られる収入を上回ると判断されたから廃炉となったとのことである。東京電力の福島第1原発の4機の廃炉は大震災の結果であるが、今回は原発の運転期間を「原則40年」とする新基準を決めてからの初適用である。
 しかし廃炉と決まったからと言って、すんなり廃炉できるわけでない。問題はゴミと地元対策であるらしい。まずゴミ、すなわち廃炉で生ずる廃棄物の処理や使用済み燃料の扱いである。何しろ初めての経験であり、ゴミ処理方法が確定されておらずゴミ捨て場所も決まっていない。当面、原発の敷地内で保管しなければならないだろう。原発事業者は、原発は国策であるからそのうち国が何とかしてくれるであろうと思っているに違いない。国は、福島原発事故後の汚染ゴミの中間貯蔵施設ですら、4年経っても決められずにもたもたしている状態であるから、押して知るべしである。
 次の問題は、原発立地自治体への対策であるそうだ。現在、立地自治体には電源三法交付金が配られており、廃炉が決まればこの交付金は無くなる。元々、原発は経済的な自立が困難な場所に作られたものであるので、この交付金への依存度はかなり高い。交付金が無くなれば、自治体としての維持が出来なくなる。そのため国としても何らかの支援が必要となるわけだ。しかし、建設当時からいずれ廃炉となることは分かっていたはずだ。廃炉が決まって、交付金がなくなると騒ぐのは、これまでの努力が自治体に無かったと言わざるを得ない。交付金が無くなって維持できない自治体は廃炉と運命を共にするしかない。
 そもそも交付金は麻薬みたいなものである。薬が効いている間は、ハイな気分になり、将来に対する不安はどこかに吹き飛ぶ。薬が切れれば、以前の状態に戻るどころか、副作用のため一層悪くなる。原発自体もそれに似たところがある。ゴミと言う副作用をすっかり忘れて、いや分かっているが今を享受せんがため推進するとしか思えない。
 国は原発依存度を「可能な限り低減させる」としながら、廃炉は電力事業者の経営判断にゆだねている。当事者能力を尊重していると言えば、聞こえはよいが、単に決められないからであろう。核燃料サイクルも既に破綻しているのに、原発稼動により使用済み核燃料はどんどん増えていく。各原発事業者はやはり国が何とかしてくれるであろうと高をくくっているに違いない。政府は、ゴミ処理問題等を含めて将来のエネルギー計画を明確にすべきだ。(犬賀 大好-114)

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