日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

杭打ちデータの改竄を考える

2015年11月04日 08時37分15秒 | 日々雑感
 横浜市都筑区の大型マンションが傾いたことから杭の施工データが偽装されていたのが発覚し、杭打ちを担当した旭化成建材は袋叩き状態である。データの偽装が杭打ち作業の不完全さを意味するのか、単なるデータのみの偽装かとなると、作業員の証言しかなく、客観的な証明は極めて困難と思われる。その証言を信用する限り大きな事故に繋がらないであろう。

 3040件の工事で、実際に建物の傾きが発生したのは今のところ1件のみである。まして、倒壊の話は一件も無い。物の設計には必ず安全率が加味される。建設分野では安全率は3程度らしいが、そうであれば100本近い杭の内数本が不完全でも全体に問題が生ずることが無い筈だ。都筑区のマンションでの傾き発生は、大きな設計ミスか施工ミスであろう。

 40~50年前の学生時代に、“建設現場における現場監督の腕の見せ所は、建設資材を如何に節約し、飲み代に当てることだ”との冗談めいた話を聞いたことがある。これは随分昔の話であるが、最近中国の建設において、コンクリートで充填するべき箇所に木片などのガラクタが詰まっていたなどの話を聞くと、建設現場は国が違っても、時代が違っても同じ特質を持つと感ずる。
 
 すなわち、大勢の労働者をとりまとめる現場監督は、部下に黙々と働いてもらうためには、己の能力を誇示すると共に、たまには酒を飲ませなくてはならず何かと出費が嵩む。また、長年の経験から、“どこを、どうすれば、どうなるか“を感覚的に身に付けているため、細かな設計書は余計なお世話と無視し、自分の感で作業を進める。そうしても余程のことが生じない限り、安全性等の点で問題とならず、かつ外観上も分からない。このような背景の下、多少設計書を無視したところで、実際何ら問題が生じないのだ。

 今回の事件に関し、某テレビ局の朝のワイドショウで1級建築士の人が、“杭打ち作業とデータの取得は別作業である“とコメントしていた。しかし、別のコメンテータはこの発言に特に注目しなかった。ここでの指摘は、杭打ち作業する人にとって、データを採ることは余計な仕事であるということだ。作業現場においては杭打ちが確実になされたかどうかは、科学的な計測ではなく、己の耳や目であるとの自信があるのだ。机上で仕事する人はこの職人気質をなかなか理解できないのに違いない。職人にとってデータ採りは、己の腕を信用しない上部機関に対するご機嫌取りでしかなく、己の腕を信ずる者にとって余計な仕事なのだ。
 
 しかし、客観的なデータを残すことは重要である。問題が生じた場合の原因の追究のためにも、また職人が少なくなる時代に未熟者の教育の為にも必要となるからだ。

 連日、偽装データの発見が報道されるが、職人の特質を信じ、ほとんど単なるデータの偽装と思いたい。偽装データの建物の住民の不安を低減するためには、建物の傾きをリアルタイムに検出出来る測定器等の設置であろう。これは建設責任者の最低限の義務であろう。

 今回の事件での教訓は、現場作業者にとって、本来の仕事の妨げにならないようなデータの採取法をあるいは杭打ち作業とデータ採取者の分離等の仕組みを講ずることであろう。(犬賀 大好-178)

コメントを投稿