日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

国際オリンピック委員会(IOC)の役目は世界平和実現ではないのか

2021年05月26日 09時47分52秒 | 日々雑感
 今月21日、国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会のコーツ委員長が記者会見し、その席で緊急事態宣言下でもなぜやるのかの質問に、理由は”アスリートのために開催する”と断言した。

 オリンピックは世界平和の為の祭典の筈であるが、アスリートファーストであると断定したのには驚いた。4年に1度のオリンピックは、ほとんどの選手にとって一生に1度しかないチャンスであり、彼らが夢を果たすことができるように敢えて開催するのだと。確かにそこで金メダルを獲得できれば、たちまち有名人になり、テレビに引っ張りだこになり、行く末は国会議員になる可能性も生まれるため、選手にとって夢の舞台であることは間違いない。

 クーベルタン男爵のアマチュアリズムはプロ選手の参加を認めた段階で影を潜め、ここに来て世界平和の祭典の大義も無くなり、一部選手の出世の為の手段と化してしまったのだ。

 しかし、アスリートファーストであるならば酷暑の中での命を削る競技を避けるべきと突っ込みたくなるが、裏にはIOCの事業ファーストの顔が垣間見える。テレビ局は選手が酷暑の中死に物狂いで頑張る姿を放映し、視聴者が感激し視聴率の上がるのを期待しているのだ。何しろIOCの収入の大半はテレビ局からの放映権料なのだ。

 5月始め、米ワシントン・ポスト紙が東京は損切りし、IOCに他で略奪するよう告げるべき、という五輪中止と開催地変更を勧めるコラムを掲載し、バッハ会長を”ぼったくり男爵〟と揶揄した。

 また、バッハ会長が国際ホッケー連盟(FIH)のオンライン総会に寄せた連盟関係者向けのビデオメッセージが24日波紋を呼んだ。東京大会を実現するために、我々はいくつかの犠牲を払わなければならず、そうすれば選手は夢を間違いなくかなえることができる、と話したそうだ。

 アスリートファーストを裏付けた訳だが、五輪は1984年ロサンゼルス大会から商業主義に転換し、米放送局NBCやスポンサーから拠出される巨額の資金によってIOCは潤うようになったことが裏にある。

 その巨大組織のトップに君臨するのがバッハ会長で、IOCの規定により年間約3000万円の報酬を得ているが、その他2016年リオ五輪の閉幕時に社長をバッハ会長が勤めるインターネット放送会社を開局し、しっかり裏収入も得るシステムをつくり上げているそうだ。

 インターネットを通じて五輪の理念を若い世代に伝える目的で設立されたと説明しているが、その理念はクーベルタン男爵のアマチュアリズムの理念とは程遠いものであろう。

 東京五輪が無事開催されるか未だ分からないが、海外からの観客を排除した時点で既に世界平和の為との目的の大半を失った。IOCの商業主義が目立ち、この他ドーピング問題等山積みであり、オリンピックのあり方を見直す時期に来ている。

 コロナ騒ぎや開催可否問題で、IOCや組織委員会等の情報発信が注目を集めているが、日本オリンピック委員会(JOC)の存在がすっかり忘れ去られている。JOCの理念にもアスリートファーストの文言はなく、あるのは世界平和だ。沈黙は金ではなく、一言あって然るべきだ。2021.05.26(犬賀 大好ー705)


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