日々雑感

最近よく寝るが、寝ると言っても熟睡しているわけではない。最近の趣味はその間頭に浮かぶことを文章にまとめることである。

人事権をすべて握る首相は独裁者となり得る

2018年03月28日 09時28分05秒 | 日々雑感
 森友学園や加計学園問題では、官僚の忖度が話題になっている。官僚が政治家の意向を忖度するのは当然であるが、特に内閣人事局が設立されて以来酷くなったという声が特に霞が関から湧き上がっているそうだ。

 内閣人事局が出来て依頼、官僚は政治家の言いなりになってしまったそうだ。官僚は国民全体の奉仕者であって、特定の勢力への奉仕者ではない、としばしば官僚は強弁するが、官僚も人の子であり、出世したいに決まっている。官僚になったからにはそのトップである事務次官に誰でもなりたいだろう。その人事権を握る政治家に気に入られるためには、一を聞いて十を知る才覚くが無くてはならない。

 官僚にとって絶対権力を有する内閣人事局が出来たのはそう古いことではない。内閣人事局は安倍政権下で2014年に設置された。「国家公務員の人事管理に関する戦略的中枢機能を担う組織」と位置付けられ、幹部公務員600人(全省の課長以上)の人事や天下り先の決定権を握る。安倍首相がその権利を有効に利用した初めての首相なのだ。

 それまでは内閣は各省庁から推薦される人事を追認する立場にあった。日本の政治は馬鹿な政治家に任せておくより、長年の経験のある官僚に任せておいた方が信頼できるとの信仰があったからだ。

 しかし、この官僚制度も長期に亘ると弊害が目立つようになった。その典型が1998年に発覚した大蔵省を舞台とした汚職事件であろう。この事件は別名ノーパンシャブシャブ事件として有名になった。

 元々は証券会社による総会屋への利益供与事件であったが、その背景には、銀行幹部の大蔵官僚に対する接待があり、大蔵官僚は接待の見返りとして、第一勧業銀行など大手銀行への検査に手心を加えていたのである。

 官僚は国家公務員試験により選ばれ、余程の不祥事を起こさない限り、首になることもなく生涯安泰の職業である。政治家のように選挙によって交代させられることも無い。しかし、同じ仕事を長年続けることは、経験を積み重ね、より高い見識が得られる利点があるが、業界との癒着に繋がる原因となる欠点がある。

 内閣人事局が設置されるまでは、省益あって国益無しと揶揄されてはいたが、政治家の言いなりになることは無かった。何しろ人事はその省のトップである事務次官が決めていたので、事務次官の意向に従えばよく、政治家の言いなりになる必要は無かったのである。

 安倍首相は、内閣人事局の設置により官僚トップたちの首根っこを抑えつけることに成功した。従って、官僚は安倍首相にばかりでなく、その夫人にまで忖度し、ご機嫌を取ることとなってしまった。首相は実質的に三権の長であるばかりでなく、官僚の長となり、独裁者の地位を築いてしまったのだ。

 三権の長とはそれぞれ三権(立法権、行政権、司法権)を司る機関の長を指し、憲法でその独立性が定められている。立法府においては衆院、参院の議長、行政府においては内閣総理大臣、そして司法府においては最高裁判所長官である。

 内閣総理大臣すなわち首相は元々行政府の長である。立法府の長である衆議院議長と参議院議長は大した権限は持たず、実質的に権限を有するのは与党の3役であり、そのうち幹事長あたりが筆頭であろうが、彼らの人事権を有するのは首相である。また、最高裁判所の長官の人事権も首相にある。そこで人事権から見れば首相は実質的な三権の長となる訳である。

 内閣人事局の設立で、官僚の人事権まで掌握した首相は自分の思い通りに国を動かすことが出来るようになった。首相の意向を理解しない官僚は無能の烙印を押される。官僚に政治家の意向を忖度したかと質問すること自体が愚問である。

 まだ、意に従わないのに野党とマスコミが残されている。野党は如何ともし難いが、安倍政権になって、いよいよ放送への介入も強まっているようだ。これを反映しているのであろうが、天下のNHKも政権には随分気を使っているようだ。森友学園問題で、麻生財務相は佐川前国税庁長官が犯人と決まっている訳でもないのに”佐川”と度々呼び捨てにして、悪評を買った。しかし、佐川と呼び捨てる麻生財務相が映る画面の字幕では、”佐川氏”とわざわざ氏を付け加えていた。政権に対する典型的なおべんちゃらである。2018.03.28(犬賀 大好-428)

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