森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

カアフマヌ女王の岩@ハワイ島

2012年10月17日 | ハワイアナ


先日、マウイ島にあるカアフマヌ女王の銅像について書きました。今日は舞台をハワイ島に移し、200年前のちょっと可愛らしいカアフマヌ秘話?をご紹介しましょうね。

3月にハワイ島を訪れた際、ケアラケクア湾近くのプウホヌア・オ・ホオナウナウ国立歴史公園を見学してきました。このプウホヌア…は古代ハワイの聖地。カメハメハ大王の曽祖父の遺体がかつて安置されていた聖なるヘイアウや王族の住居があったほか、罪人、戦争捕虜などの避難所としても機能していました。いったんこの避難所に逃れた人に対しては、何人であろうと、手出しができなかったそうです。

もっとも。その立地によりプウホヌア…には海路というか、海を泳いでたどり着くパターンが多かったようですが、周辺の海には鮫が多く。罪人たちは二重の意味で、命からがら、この地を目指したそうですよ。

プウホヌアには歴史的見所が多く、パンフレットを見ながら、1番から16番までの見所を回れるようになっています(この地のネタだけで、20回くらい書けそうなほど、興味深い土地なんです!)。

ともあれ、パンフレットを見ながらのセルフツアーで私の興味を引いたのがコレ。カアフマヌ・ストーンと呼ばれる岩です(冒頭の写真)。なんでも18世紀の昔、カメハメハ大王と大喧嘩をしたカアフマヌ女王。このプウホヌア・オ・ホオナウナウまで泳ぎ着くと、この岩の下の隙間に身を隠しました。ところが犬に吠えられ、あっけなくカメハメハに見つかってしまったとか。その後カアフマヌは無事、カメハメハと仲直りしたそうですよ。

…思うにカメハメハは罰するためではなく、カアフマヌが恋しくて追いかけてきたのでしょうネ。カアフマヌはカメハメハの怒りが怖かったのかもしれませんが、プウホヌアに逃げ込む必要もなかったのでは。カメハメハは美しいカアフマヌに夢中だったのでしょうから。

その歴史秘話?の舞台が、以下の隙間です。岩の下に、ちょうど人が1人隠れられそうな隙間がポッカリ空いているのがわかりますか? 冒頭の写真では、ちょうど岩の裏側になりますね。200年以上も前、ここにカアフマヌが横たわっていたのかァ…。



そんな不思議な感慨を抱きながら、岩を後にしました。


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ハワイのマグロ哀歌

2012年10月13日 | 自然


先日の続きで、「ハワイ・フィッシュ&シーフード・フェスティバル」での出来事を簡単に紹介させていただきますね。

あるブースで、写真のようなマグロの図を展示していました。「アヒ(キハダマグロ)の漁獲最少サイズは変えられるべきか?」をテーマにした展示でした。主宰は西太平洋漁業マネージメント委員会で、1人の男性が熱心に人々の参加者の質問に答えていました。

私はこの展示を見てショックを受けました…。展示で勉強したことによると、現在ハワイでは3ポンド(1.4キロ足らず)のマグロから、捕獲OKなのだそうです。1.4キロというと、生後わずか8ヶ月、体長40センチ。まだ赤ちゃんですよ! もちろん、そのサイズでは性的に未熟。そう、生まれて、子孫も残さず、死んでいくだけ…(左端の絵)。そんな赤ちゃんアヒを、私ももしかしたら、喜んで食べていたのかもしれません。

それが生後19ヶ月になると体長70センチ、6.8キロに。このサイズの0.5%だけが繁殖できるそうです。ただし一度このサイズになるとほかの魚から襲われることも少ないため、以降、死亡率はグ~ンと低くなるそう。

生後26ヶ月では体長87センチ、13.5キロ。6%が性的に成熟。そして生後30ヶ月では体長102センチ、22.2キロ、25%が繁殖可能。これ以降、アヒは急激に大きくなり、生後32ヶ月で体長112センチ、27キロ、50%が繁殖可能なそうです。

キハダマグロはこの後、平均して135キロまで大きくなり、大きいものでは180キロにも及ぶそうですよ。しかも近年の調査の結果、ハワイで生まれたキハダマグロの大半は生涯、ハワイの海を離れないこともわかっています。

展示で訴えていたのは、簡略に説明すると、「ではなぜ、赤ちゃんマグロを獲ってしまうの? ハワイでしばらく成長した後、ほかの海に逃れてしまうわけではない。ここで生涯生きるのだから、大きくなってもらって、じゃんじゃん子供を残して、その後で魚屋さんに並んでもらってもいいんじゃないの? そのほうが消費者にとっても、益が大きいんじゃないの? キハダマグロがハワイの海から消えたら困るでしょ?」ということでした。

…これ、けっこう衝撃の内容でした。ものすご~く的を突いていたからです。私も日本人としてマグロは大好き。マグロ屋という和食店が繁盛するほど、ハワイでは一般にマグロの需要は高いですよね(同店がオープンした時、地元紙のフードライターが「それにしてもなぜマグロをフィーチャーするの? なぜサーモンとかじゃないの?」と書いているのを見て、私は嗤いました。アナタ、日本の食文化を全く理解してないのね、と)。

なので、たまにマグロを乱獲するな!とか、マグロの資源が危うい、なんて新聞で騒がれることがあると、私は憤ったものです。「何でもかんでも資源保護とかって…。マグロ漁を禁止したりしたら、日本人は怒るワヨ。これだけは譲れない」と…。

ですが今回このハワイの数字を見る限り、マグロの乱獲は本当だった模様…。生まれたての赤ちゃんマグロまで食べていたのじゃ、ハワイのマグロに将来はない! 巡り巡って、自分の首(腹?)を絞めることになりかねません。マグロの乱獲、反対~。捕まえてOKの最少サイズ、見直さなければなりませんね。

それにしても、日本ではどうなんでしょう。日本の規定はずいぶん違うのでしょうか? …どなたかもしご存知だったら、ぜひ教えてくださいね。
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岩手から漂流してきたボート@ピア38

2012年10月10日 | 日記


この日曜日、家族で「ハワイ・フィッシング&シーフード・フェスティバル」に行ってきました。ホノルル港の第38埠頭はダウンタウンのはずれにあり、ふだんは水産市場やニコス・ピア38、アンクルズ・フィッシュマーケット&グリルがある静かな漁港ですが、日曜の人出は凄かったです! 魚や釣り、海洋関係のブースがたくさん出て、食べ物の屋台も多彩。

我が家もシェイブアイスを食べながら、展示をいろいろ見て回りました。シーフードの試食コーナー、ハワイで採れる魚の展示、魚拓のセクションもあって、楽しかったですよ! 大好きな貝殻を並べたコーナーも、美しかった~。





内部を開放している漁船もいくつかあった中で、私の注意を引いたのが、ひっそりと置かれていた下のボートでした。横には第三豊漁丸と書かれています。これ、先週マウイ沖で見つかった、日本から漂流してきたボートなんです。全長5メートル足らず。そう、昨年の津波でさらわれたボートで、ホノルル日本国総領事館によると、岩手県の漁港に所属するボートとの確認が取れたとか。



もちろん、このボートに乗っていた人が亡くなったわけではないのですが。何だかひと目見るなり、胸がいっぱいになりました。津波が港に押し寄せる、あの映像が思い出されたせいでしょうか。フとボートに手をかけるとその気持ちはいっそう強くなり、なんだかボートをなぜなぜしたくなりました。よく頑張ったね!

持ち主に連絡した結果、ボートは放棄されたとのことですが、この後ボートはどうなるのでしょうか? 楽しいことに混じって、海の資源のこと、津波のこと、いろいろ考えさせられた意義深い1日でした。

あ、以下は私が見とれた美しい貝たちの写真です。貝って…まさに海の神秘のかたまりですよね~。













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カアフマヌって王様だったっけ?

2012年10月06日 | ハワイアナ


ハッと気がつけば…。ひえ~! 前回ブログをアップしてから10日もたってる! ごめんなさーい。そんなこと、ブロガーとして許されることじゃありません! なのに…。

というのも私、恥ずかしながら一つのことに没頭すると、ほかの全てが疎かになり。仕事に邁進して、電気代を払わず電気を止められたこともある女です。これからはヘビーなネタを追求しようと思わず、できる範囲で書いていきます! どうぞ許してくださいませ。

今日はさっそく、マウイ発の軽いネタを紹介しましょうね。

先月訪れたマウイ島カフルイには、クイーン・カアフマヌ・ショッピングセンターという施設があります。オアフ島でいうとアラモアナセンター級の立派なショッピングセンターで、1階中心部には、センターの名の由来となったマウイ島出身のカアフマヌ女王の銅像も立っています。

カアフマヌ女王といえば、カメハメハ大王の妻の1人。大王のお気に入りとして知られていますね。美しく体格がよく、しかも賢い、いわゆる女傑だったとされる女性です。マウイ島の王族の一員だったカアフマヌは、13歳でカメハメハの元に嫁いだとか。マウイの誇りなのでしょうね。

ですが。ショッピングセンターのその銅像の説明書きを見た私は、正直、ドン引きしました。そこにはカアフマヌの偉業が、いろいろ記されていました。カメハメハ大王の死後、息子のリホリホ(母親はカアフマヌではありません)が若くして跡を継ぎカメハメハ2世になった時に、カアフマヌが後見人になったとか。古代から続く(男女は一緒に食事してはいけない、などの)さまざまなタブーを廃し、ハワイの近代化を図ったとか…。

カアフマヌがカメハメハ2世の後見人(ハワイ語でクヒナ・ヌイ。英語では宰相、日本語では摂政という感じの肩書きですね)として辣腕をふるったのは本当でしょう。そして、説明書きの「カメハメハ2世と同等の立場」で、というのも、まあ本当かもしれません。

でも! その次の、「ハワイ史上、始めての女性君主として」云々とのカアフマヌの説明書きは、どうも解せません。Monarchという言葉でカアフマヌを表現していましたが、これは国王とか君主という、ごく限られた意味合いの言葉ですからねえ。

カアフマヌは、宰相、摂政ではあったかけれど、君主ではなかったはずです。歴史書ではそんなこといっていませんし、今、仕事でハワイ州観光局の資料を読みこなしているところですが、その歴代の「支配階級にあった首長、君主」のリストを見ても、カアフマヌの名は含まれていません。やはり…。

マウイのハワイアンにとっては、カアフマヌはさぞかし自慢の存在なのだと思います。で、銅像でも「ハワイ初の女性君主だった」としてしまったんですね。う~ん。どうも私には納得がいかないのですが…。

ま、外国人である私がつべこべ意見を述べる問題でもない、ですけれど。皆さんはどう思われますか?


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