「アロハ・オエ」を有名にしたヘンリー・バーガー氏について、地元紙からもう一つユニークな逸話をご紹介しますね。なぜドイツからヘンリー・バーガーがハワイにやって来たか…という裏話です。
時は1870年、カメハメハ5世の治世のこと。オーストリア海軍の小型駆逐艦ドナウ号が5、6カ月、修繕のためホノルル港に停泊していました。ドナウ号の軍楽隊はその間毎日、無料コンサートを開催したとか。
やがて船は去って行きましたが、ドナウ号の軍楽隊の演奏を懐かしんだのが、ホノルルの市民たちです。カメハメハ5世は新たにバンドメンバーと指揮者を雇い入れ、ドナウ号のコンサートを再現しようとしましたが、その演奏はドナウ号の軍楽隊にはるかに及びませんでした。
そこで1872年、「ハワイに軍楽隊を作るため指導者を送ってほしい」とカメハメハ5世がドイツにリクエスト。その結果、ヘンリー・バーガーがホノルルにやってきたというわけです。バーガーはまだ28歳の若者でした。
バーガーの指導のもとバンドは見る見るうちに上達し、1883年には「アロハ・オエ」の演奏でコンテストにも優勝したことは、前回書いた通りです。
…ちなみにバーガーは「世界でもトップレベルの音楽をハワイに提供する」という理念とともにハワイにやって来たそう。コンサートでも必ず1曲はクラシックの名曲を紹介したバーガーの音楽の影響は、とても大きかったようです。後年、バーガーは嬉しそうによく言ったそうですよ。
「ハワイアンはポイ作りなどの作業などしながら、よくクラシック音楽やオペラの一節を口笛で吹いていたものだよ」
う~ん、バーガーもすごい人ですが、その音楽を理解しそれほど愛したハワイの人たちも、すごい!
バーガーはそのままハワイに根づき、1929年、ホノルルで死去。享年85歳でした。バーガーがハワイの土を踏んでから、今年でちょうど150年だそうです。
(※注 バーガーはロイヤルハワイアンバンドの指揮者&指導者。そのロイヤルハワイアンバンドは1830年代、カメハメハ3世によって創設されたのですが、コラムではカメハメハ5世が新たにバンドを作ろうとしたかのように書かれていました。恐らくカメハメハ5世は新たなバンド創設というより、新メンバーを雇ったがうまくいかなかったのだろう…という風に私は解釈しています)
ヘンリー・バーガー氏はきっと、心からハワイを愛していたのでしょうね。28歳から85歳で亡くなるまで、誠心誠意、音楽とハワイのために身を捧げたんだと思います。なんて幸せな人生でしょう。
それから、ハワイアンのかたたちは、ものすごく記憶力がよくて、宣教師たちが読み聞かせるもの全て、完璧に暗記してしまって、まるで本を読んでいるかのようだった、という話をなにかで読んだことがあります。ポイを作りながら、クラシックを口ずさむ。なるほどです〜
ヘンリー・バーガーは、ハワイがとても気に入ったのでしょうね。ハワイ王国に帰化したそうです。
そのお墓がダウンタウンのカワイアハオ教会にあるそうなので、今度探してみます。
さてハワイアン。口承の文化を持つ民族ですから、記憶力、そして耳がものすごくいいのですよね。
クラシックの素晴らしさを理解したのも、そんなすぐれた「耳」のお陰かも。さすが…と感じました!