金曜日の地元紙のコラムに、とっても興味深い逸話が紹介されていたのでシェアしますね。ハワイ王国時代のドイツ人音楽家ヘンリー・バーガーと、「アロハ・オエ」にまつわるお話です。
ヘンリー・バーガーといえば、ロイヤルハワイアンバンドで40年以上も指揮者を務めた著名な音楽家。私はハワイ王国の国歌(現ハワイ州歌)の「ハワイ・ポノイ」に曲をつけた人として記憶していました。同曲の作詞をしたのは、ご存知カラカウア王ですね。
ヘンリー・バーガーに関してはそれぐらいしか知らなかったのですが、コラムによれば、彼こそがリリウオカラニ作の「アロハ・オエ」を世に知らしめた人なのだそうです。
それはロイヤルハワイアンバンドが、1883年にサンフランシスコのコンテストに参加した時のこと。コンテストには全米のバンドが出場していたそうですが、そこでロイヤルハワイアンバンドが(ハワイ外で)初披露したのが「アロハ・オエ」でした。
演奏は聴衆から絶賛され、何度もアンコールがかかり、コンテストでも見事、優勝。ロイヤルハワイアンバンドはそのまま全米ツアーもしたので、あの名曲が広く知られるようになったということです。
ちなみにリリウオカラニがこの曲を書いたのは王女時代の1878年。コンテスト時にもまだ王女でした。ヘンリー・バーガーはきっと「この曲はハワイの王女によって書かれたものでして…」などとリリウオカラニに言及したでしょうし、きっとその編曲も美しかったに違いありませんね。
…1929年に死去するまでに、75曲を作曲したというヘンリー・バーガーですが、記事の中で一番の功績と紹介されていたのが、ハワイの古いメロディを書き留め、それを曲として仕上げることで記録していったということでした。彼がルアウや街角で耳にしたハワイ語の歌の美しい旋律を日常的に書き留めていたお陰で、ハワイの古いメロディが失われなかったと高く評価されているそうです。
そんな功績もあってのことでしょう。リリウオカラニはヘンリー・バーガーを「ハワイアン音楽の父」と称していたということです。