森出じゅんのハワイ生活

ハワイ在住のライターが、日々のあれこれをつづります。

リリウオカラニ女王とカワイアハオ教会

2019年01月05日 | 歴史


なんだか昨日は、もったいぶった終わり方をしてしまいましたネ。歴史あるカワイアハオ教会で、ある発見をして驚いた…なんて。

とはいえそれはごく些細なことで、発見という言い方は大袈裟だったかもしれません。それはリリウオカラニ女王にまつわることなのですが。教会最後部のロイヤルボックスに、新たにリリウオカラニ女王の肖像写真が飾られていたのを見て、ハッとしてしまったのでした(冒頭の写真)。

…ええ、普通の感覚では、何の不思議もないのかもしれません。カワイアハオ教会にはかつて多数の王族が通い、昨日お話しした「海からせり上がった教会」というニックネームのほか、「アリイ(王族)の教会」というニックネームもあったくらいです。

もちろんリリウオカラニも、かつて教会に通った王族の一人。しかも聖歌隊のオルガン奏者やディレクターも務めていたほどで、もしかしたら王族の中で一番深く、カワイアハオ教会に関わっていた方かもしれません。

それなのに。昨年までは、クヒオ王子やカアフマヌ王妃、パウアヒ王女など他の王族の肖像画が飾られていたロイヤルボックスに、リリウオカラニの肖像画はなかったのです。



その理由は、ズバリ、リリウオカラニと教会の間に、ちょっとした確執が生じたから(と私は解釈しています)。そのためリリウオカラニはある時からカワイアハオ教会を抜け、ほかの教会に通い始めています。

…というのも、1893年のこと。ハワイ王国が白人勢力による革命で倒れ、女王の座から退くことになったリリウオカラニ。さらに2年後にはクーデター計画に関係しているとの誤解を受けて逮捕され、イオラニ宮殿に幽閉されるという不幸な出来事がありました。

カワイアハオ教会は、当時ハワイで大きな影響力を持つ団体だったのですが、リリウオカラニを見殺しにしたといいましょうか。事件と全く関わりを持とうとせず、知らぬ存ぜぬで通したことを、リリウオカラニは自叙伝のなかで厳しく批判しています。あれだけ私は教会をヘルプしたのに! 私には何の手助けもしてくれなかった、と…。

そんなことから、幽閉が解かれた後、リリウオカラニが同教会に戻ることはありませんでした。釈放された直後から、同じくダウンタウンにある聖アンドリュース教会に通い始めたのです。

こういった経緯から、リリウオカラニの肖像写真がロイヤルボックスには飾られていないのだろう…。私はずっとずっと、そう解釈してきました。なのでロイヤルボックスに新たに飾られた新たな肖像写真に気づいた時、少々驚いたというわけです。

とはいえ、そんな悲しい出来事があってから、すでに120年以上ですものね。教会ももう、過去の軋轢を超えて、女王の肖像写真を飾ることにしたのかもしれません。あくまでも想像ですが…。

な~んてことを、コンサート中もあれこれ考えてしまった私。これって、あまりにも深読みにすぎるでしょうか? それとも? 

…皆さんはどう思いますか?
コメント (2)
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