で、ロードショーでは、どうでしょう? 第636回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『インターステラー』
監督クリストファー・ノーラン、脚本ジョナサン・ノーランが、理論物理学者キップ・ソーン博士のスペース・トラベルに関するワームホール理論を下敷きに描き出すハードSFドラマ。
かつてない危機に直面し、第二の地球を探すという最後の希望に賭ける人類の運命と使命と引き換えに時間と空間を隔てた長い離別に見舞われる父と子供たちの絆を壮大なスケールで描き上げる。
物語。
近未来。
地球の環境は悪化し、それによる食糧難で、人類滅亡の時は刻刻と迫っていた。
多くの人々は農業に従事し、日々の糧を得るので精一杯の暮らしをしていた。
妻を失くした元NASAのテストパイロットだったクーパーも農家となり、祖父ドナルドと男手で、10才の娘マーフィーと15歳の息子トムを育てていた。
座して滅亡を待たぬと人類は、土星付近に発見されたワームホールによる恒星間航法を使い、別銀河に移住可能な第二の地球を探す調査隊を送りこんできた。
12回の片道切符の調査で、可能性の高い3つの惑星が絞り込まれた。
天才物理学者ブランド教授の指揮の元、調査隊の救出と第二の地球確定というミッションの準備が進められる。
残りの資源は人類を載せる宇宙ステーション開発にしか使えそうもなく、これが最後の船となるだろう。
人類の希望を背負ったこのミッションに選ばれたのは、ブランド教授の娘アメリアとロミリー、ドイルの4名の科学者。
懸念は、もはや熟練のパイロットがいないことだった。
そんな中、行方がしれなかったクーパーとブランド教授は再会する。
ブランド教授はクーパーにクル-に加わるよう懇願する。
クーパーは悩む、この命懸けかつ時間のかかるミッションに参加すれば、子供たちとの時間は失われるどころか二度と会えないかもしれない。
ブランド教授の「だが、このままでは孫の世代で人類は滅亡する」という言葉がクーパーに覚悟を決めさせる。
クーパーは、「行かないで」と泣きじゃくる娘に「必ず帰ってくる」と約束し、家を後にした。
ついに、人類の希望を託された船が別銀河へ向けて、旅立つ。
脚本は、ジョナサン・ノーランとクリストファー・ノーラン。
出演。
クーパーには、マシュー・マコノヒー。
娘のマーフィーに、マッケンジー・フォイ。
息子のトムに、ティモシー・シャラメ。
父のドナルドに、ジョン・リスゴー。
大人になったマーフィーに、ジェシカ・チャステイン。
大人になったトムに、ケイシー・アフレック。
ブランドン博士には、アン・ハサウェイ。
ブランドン教授には、マイケル・ケイン。
ロボットのTARSの操作と声は、ビル・アーウィン。
ドイル博士に、ウェス・ベントレー。
ロミリー博士に、デヴィッド・ギャシー。
ほかに、トファー・グレイス、エレン・バースティン、デヴィッド・オイェロウォ、マット・デイモン、ウィリアム・デヴァンなど。
スタッフ。
製作は、エマ・トーマスとクリストファー・ノーランとリンダ・オブスト。
製作総指揮は、ジョーダン・ゴールドバーグとジェイク・マイヤーズとキップ・ソーンとトーマス・タル。
ホーキング博士と共同研究などをする現代最高の物理学者であるキップ・ソーン博士は小説版の『コンタクト』でカール・セーガン博士からワームホールについて相談され、論文書くなどフィクションの可能性を発見。
今作でも論文を書き上げた模様。
撮影は、いまや世界のジャンル映画を牽引する旗手の一人ホイテ・ヴァン・ホイテマ。
『her』と同じSFながら、真逆のような壮大な映像世界に挑んでいる。
プロダクションデザインは、盟友ネイサン・クロウリー。
現在の延長線上にあるデザインでりりティを支えている。
衣装デザインは、メアリー・ゾフレス。
宇宙服などは実際のものからデザインして作っている。
編集は、リー・スミス。
『バットマン・ビギンズ』からクリストファー・ノーランの映画文法を支える平行編集の名手。
今作でも映画相対性理論とも言えるような時間をコントロールする編集を成し遂げている。
音楽は、当代髄一の映画音楽家の一人ハンス・ジマーが、神々しくドラマを盛り上げる。
空間と時間の感覚の変化の波に飲み込まれる体感するドラマ。
これぞフィクションだからこそ味わえる没頭の体験。
ノーラン兄弟のSF愛が次元を超えて、問うてくる。
SF的知識によっては、ある程度、展開が読めつつも、その語りの上手さに舌を巻く。
矛盾、ご都合、ガンガン巻き込んで、風呂敷を広げて畳んでいく圧倒感は、まさにフィクションでしか味わえない楽しみ。
観てる間は腑に落ちないところも、映像、音楽、物語のうねりに身を任せて感じて楽しみ、見終わってから、考える、調べる、人の考えを聞く、そして、映画を反芻し、理解を深める楽しむ。
脳に触られるような知的快感に蕩ける。
映画って、ブラックホールのような、誰も見たことのない暗闇に飛び込むようなものだった、と改めて思い出せてくれる。
映画という名のワームホールへ飛び込み、別銀河への探検に挑むような傑作。
おまけ。
『インターステラー(INTERSTELLAR)』は、『恒星間』って意味です。
インター=その間、ステラー=恒星ですね。
『恒星間航行(INTERSTELLAR DRIVE)』の意味も含んでいると思われます。
今作では、いわゆるワープ航法の発展系のワームホール航法がメインです。
詩的に邦題をつけるなら、『星の間』、今の邦題の傾向だと『星のあいだ』、『星をこえて』とかかな。
『星と星のあいだ』ってのもあるか。
移動の意味も込めると『星から星へ』や、テグジュペリっぽく『星間飛行』や、古典SFっぽくすると『恒星間探索』とか『星と星とを渡る舟』とか『インターステラ』、アニメのタイトルっぽくすると『ほしをこえ』とかですかね。
そういや、『INTERSTELLAR555』ってありましたね。
上映時間は169分。
内容的には、映画2本分なので、85分の映画にほんだと思えば、見やすいかと。
そう言う意味では、『アルマゲドン』と同じですね。
(『アルマゲドン』も隕石が地球を襲うパニック映画と地球に迫る隕石を止める宇宙SFという二つの映画をひとつにした企画。ぽニック映画の方は『ディープ・インパクト』として映画化されました)
『ワールド・ウォーZ』も同じでしたね。
奥さんと娘のドラマの部分がもうちょっと強調されてる感じです。
空気がないところにカメラがあるときは効果音は無音(音楽はなります)。
ですが、音響いい映画館だと無音ながら振動だけが伝わってくるような音響の錯覚を起こさせているようです。
ある1シーンだけ音がしますが、あれはカメラが成層圏にあるのと通信でつながっているからするのだと思われます。
TARSは実際に演じたビル・アーウィンがすぐ近くで動かしており、その姿を後でCG加工で消している。
グリーンスクリーンもほとんど使わず、宇宙船のセットの周りにはスクリーンを貼って、必要な映像を流し、なるべく合成はされていない。
無重力表現はこの映画用に開発したワイヤー装置で吊るなどの方法で再現している。
そして、いくつかはセットを逆につくり、俳優は仰向けで吊って撮影している。
なんとなく円谷英二方式の流れも感じてしまう。
本作の撮影は秘密裡に遂行され、題名を伏せて『Flora's Letter(フローラの手紙)』というコードネームで呼ばれた。
そのフローラは映画に出演している。
砂嵐を避けて移動するキャラバンのトラックの荷台からクーパー一家を見る少女がフローラ・ノーラン。
ちょっとした裏話。
弟ジョナサン・ノーランがスティーブン・スピルバーグ自身の監督作として、キップ・ソーンの理論を題材にした宇宙を舞台にしたオリジナルSF映画の脚本を依頼されたとき、ジョナサンはすぐに兄クリストファーに知らせ、二人きりで祝杯を上げたそう。
コーンかオクラかという話が出るのが、とても気になったので、調べたら、アフリカ原産で暑さに強く、アメリカ南部では盛んに栽培されているそう。
しかも、かなり栄養価が高く、粉にして乾燥したものが2年近く保存可能。
長期保存ができる青野菜として研究中。
そして、ペクチンが取れるので、添加食品としての用途はすでにかなり一般的な模様。
疑問を感じるのは「CGを極力使ってない」という文言。
TARSはすぐそばでキャストが操作しているので、それを消したり、宇宙の映像はCGで作成してセットでスクリーンに投影、無重力に見せるために俳優を吊っているワイヤーも消している。
巨大津波や最後の宇宙ステーション内などはCGだと思われる。
つまり、グリーンバッグを極力使っていないの間違いだろう。
クリストファー・ノーランもインタビューで「CGは嫌いじゃない」と明言している。
たぶん、撮影中に、嘘を増やすのが嫌なのではないかと思われる。
よく出来たSFとは、その矛盾や穴を観た側が埋めたり、膨らましたりする魅力に満ちているものなのです。
この作品も穴は0ではないです。
というか、この手のSFで穴がないということはほぼないのです。
それをうまく避ける手は、説明しすぎないこと。
行動を描くこと。
謎の存在を作ること。
ほかにもいろいろありますが、何より大事なのは、そこを含めて、フィクションやSFでしか味わえない感覚を作り出すことが出来ているかどうかなのです。
つまり、センス・オブ・ワンダーであり、少し不思議。
ネタバレ。
最初のミラーの惑星に、なんでドローンとか下ろして下調べしないのだろう。
でも、まぁ、すでに行った人間から連絡が来ているしな。
そもそも生存に適しているという情報を受け取って行ってるからね。
それに、新しいデータを受け取る間に数年経ってしまう。
その間に人類継続に間に合わなくなる。
ミラーの星はブラックホールの近くにある時点で、もっと時間がかかるはずだったのをクーパーの技能で短縮してる。
ブラックホール周辺は重力が強くなり、時間の進み方が遅くなる。
それがブラックホール近くのミラーの惑星で1時間で7年というルールになる。
ワームホールを抜けたのがそもそも12回の挑戦の内、成功例は3回しかない。
3つにかけなくてはならないぎりぎりの状態。
しかも、エンデュランスはどこに移住するか決定するために向かった最後の頼みの船。
一番可能性の高いところがミラーの0惑星だったから、降りたのであって、どこの惑星でも危険は変わらない。
連絡がつかない世界(死後も含む)で相手を想う力についての物語でもある。
量子物理学の世界は100年前の理論をようやっと少し実証できたくらいの時間感覚で、物理学者や数学者とは一人の一生では解けない問題があるのを認識しているもの。
孫の時代に人類は滅びるというのを実感として持てているからこそ、人類という種に賭けるか、今生きている人間を助けるのか、この二つに分かれてしまったがゆえのマン博士の悲劇が起こった。
それは実感の差、信じるものの差、どちらも同じ継続させるという動機から別れたほぼ同じ方向へ進んだ道。
宇宙コロニーで、次の調査の準備は慎重に進められていて、ブランド博士は見捨てられている。
だからこそ、クーパーは止められないように黙って行くのだ。
必要なのは時間だから。
23年も経ってて、もしかしたら失敗したと思ったら、もう一機ぐらい頑張って、送り出しそうな気もするんだけどね。
送らない時点で、マーフもブランド教授の嘘に気づいて欲しい気もしないではない。
現在でハヤブサで小惑星に到着できているぐらいだし、無人の物資補給線とか通信機だけを送るような計画を立てて欲しかった気も。
ブランド教授がプランBの目的は果たされたから、もう送らないと決定していたんだろうね。
だから、娘を送ったのかもしれない。
宇宙ステーションの開発に物資を使う計画にしていたのかも。
なにしろ、歴史上でもアポロ計画も潰えているし、月に人類は半世紀送れていないしね。
NASAが極秘組織になっているのは、そのためかも。
現在でも物量的には難しいと言われてるしね。
隼でさえ何年もかかって開発しているわけだし。
てことは、23年の間にワームホールに変化があったのかもしれない。
実は、ジョナサン・ノーランはそう考えていたようで、インタビューで「ワームホールはもう消滅している」と答えている。
ブラックホールを落ちて、クーパーの行ったところって、5次元じゃなくて4次元だよね?
5次元人がモデルを作ったのだから、容易なのは、4次元だよね。
つまり、3次元人にとっての2次元みたいなもので。
けど、TARSは5次元に行ったってことなのかな?
だから、一緒にはいないじゃないの?
次元が違うと会話通じないんだっけか?
まぁ、リアリティ75%くらいのバランスなんだよね。
その上で、ドラマを楽しもう。
大風呂敷を畳むのを楽しもう。
想像力を楽しもう。
なにしろ、ブラックホールの中はまだ誰も知らない部分で、SFで自由に想像できる題材なんだから。
『インターステラー』の全体像の図解。
https://www.behance.net/gallery/21179181/Interstellar-Timeline
ちなみに、プランAを実現させる(コロニーを作る)ためには、重力の謎の解明(ブラックホールの情報を送る)が必要だったのはなぜかというと、弱い擬似重力下では動植物(人間も)が十分に成長出来ません。ゆえに重力を発生させられないと宇宙で大人数が世代を渡る長期滞在は不可能。
映画内の地球と同じ問題が発生します。
重力を操作できないと巨大コロニーは無理というのが今の理論だからです。
ミラーの発見した惑星では人間も重くなるんじゃないの?
時間が曲がるほどの重力下で人間は長く生活できるの?
それともブラックホールの影響であの星の周りの重力だけが重いのか?
だから、ロミリーはそこまで年をとってないんだよね?
じゃ、プランBは可能なのか?
精子と卵子を持って行っても、子供はできない。
親がいる。
ブランド博士だけじゃ・・・。
代理母はいるって言ってたしなぁ。
てことは、実は、ここにキリスト教神話が入ってきてる。
ブランド博士だけでいい。
一人から始めて、最低一人女性を生んで育てられればいい。
現人類が神の子供で、未来人が神。
ブランド博士がイブ。
てことは、ブランド博士はコールドスリープで寝ると決めたってことは、エドモンドたちのチームにも女性がいて、まずそちらに託して、自分は次の担当になったってことなんだろうね。
神話のリアル化はSFの定番ですしね。
というか、そもそも精子と卵子だけでも地球以外のもう一箇所に保存するという計画だったのか?
種の保存はできるからと。
いやぁ、科学者っぽい発送だけれども、どうかなぁ。
ラザロ計画に、ワームホールを抜けたのも12隊は、まんま12使徒ですし、第二の地球は約束地カナンに例えられるが、これは出エジプト記でモーゼたちが目指した場所だ。
ほかにも、宇宙ステーションより海底ステーションの方が生き残る可能性高いんじゃ? とか・・・。
この宗教との重ね方こそ西洋SFの特徴でもある。
そもそも神話を信じられるような形に科学的にしたものこそ西洋SFの主流なのだ。
なので、おいらも10年前なら「なんだよ、そのネタ!!」って言ってた可能性は多いにある。
ほかにも矛盾点がいくつかあるしね。
ただ詳しく語らないことや映画文法の技で屁理屈でこじつけられなくもない。
なにより、ハードSFの上にトンデモ理論な80年代の物語における定番ネタを持ち込んでるから。
つまり、カクテルバーのCM「愛だろ、愛」かよって! つっこみかねない。
でも、そこ、実写大作ファミリー・ムービーを目指したって意図込みで楽しむ部分かと。
下手すりゃ、神にしてたしね。
神のしわざにしていてたのは『イベント・ホライゾン』。
トンデモな“愛”最強理論は、その上にキをつけて、気合いと訳すと納得しやすいと思います。ええ、島本和彦脳ですが、なにか?
日本式エンターテインメントには、萌えと燃えとサービス過剰がある。
萌えと燃えにもドライとウェットがある。
基本はファンの要求に応える(ウェット)か、応えない(ドライ)か。
言い換えるとウェットは「お客様は神様」、ドライは「世界が神様」。
近いのは、ウェットは文系、ドライは理系か。
詳しく言い出すと長くなるので、代表的な作品を。
萌えのウェットはいわゆる萌えアニメ系、ドライは宮崎駿系。
燃えのウェットはジャンプバトルものなど、ドライは富野由悠季や細田守系。
サービス過剰のウェットは『エヴァンゲリオン』系、ドライは大友克洋、押井守、高畑勲系。
で、クリストファー・ノーランはドライな萌え、ドライな燃え、ウェットなサービス過剰な作家なんだろう。
ドライな萌えは色気のあるスターを起用しつつ性的には使わない。
『インターステラー』では脱げるマシュー・マコノヒーとアン・ハサウェイなのに性的なものは排除。
『ダークナイト』でも『インセプション』でも性的な部分は排除される。
ドライな燃えは理論的な燃え。
ゲーム的な独自ルールを持ち込みつつ価値観も勝利には置かず、継続することが目的になる。
『インターステラー』は旅の継続が示唆される。
『ダークナイト・ライジング』でさえ、戦いはロビンに引き継がれていく。
ウェットなサービス過剰は、万人的なテーマとジャンル的な取り込み。
万人的なテーマは、大人から子供まで分かるテーマのこと、親子愛や夫婦愛、平和、謎の解決などが描かれる。
ジャンル的な取り込みはオマージュやジャンルのファンの要求に応えること、映画、SF、アメコミなどそれぞれの作品の過去作品とこだわりを徹底的に投入する。
それこそ自分自身がファンであるからだろう。
特に映画においてはフィルム撮影、実物撮影、情報制限、スターの起用、過去作へのオマージュと徹底的。
そして、残念なことに、そのウェットなサービス過剰ぶりは拒否反応も引き出すのよね。
クリストファー・ノーランは、映画における時間表現に取り組んでいる。
『インセプション』は心の中で内向きに時間を描き、その反対に『インターステラー』では外向きに時間を描いている。
対になった“イン 二部作”といったところですかね。
エンデュランス号の形を見て、何か思い出さないだろうか?
円形に並んだ12個の目盛が回転している。
時計である。
日時計にも見える。
時計が時間の世界を旅する話なのだ。
それが壊れる。
ドッキング失敗で爆発し、船が破損してから、ブラックホールまで、数ヶ月経ってるはずだが、数時間にしか思えないあたりがクリス・ノーランの力技。
これは、ミラーの惑星あたりから意図的に編集されて、映画の時間感覚と実際の感覚をわざと違うように編集している。
体感で数分になるように編集して、実いは40分以上経たせることで、後半おちがう時間の流れをすでに体感させるようにしている。
しかも、ずっとじゃなくて、マン博士との対決などは長く感じるようにしているなど、映画的に総体的な時間の流れを感じられるように編集がされている。
クリストファー・ノーランが映画の相対性理論にとり組んでいるのがわかる。
3時間にすることさえ、あっと言う間だった、と言わせるために選んだんじゃないか、とさえ思えるのだ。
この時間感覚を狂わす編集は『ゼロ・グラビティ』でも少し使われている。
それは、減圧シーンと後半の酸素が薄くなってからのシーン。
全体がリアルタイムで進んでいるかのように感じさせる展開のため、何もできない10分ほどの減圧シーンを時間を縮めて、時間感覚を狂わせている。
そのため、ジョージ・クルーニーを早く助けてと思った方もいるようです
すでに10分以上経っているので、もう間に合わないと判断している。
酸素が薄くなってからは息苦しさを感じさせるように時間が引き伸ばされている。
これは『インターステラー』でも同じことをやってましたね。
一つ一つは、映画ではよく使われる技法ではありますが、それを意図的に応用して使っている。
この映画では映画の物理学を存分に用いている。
それは、映画において、時間と空間はいくらでも操作できる、というもの。
作り手は5次元にいて、観客を4次元に連れて行ける。
(クーパーがたどりついたのは5次元人が作った4次元のはず。だから、うまくマーフに伝えられない)
アンチ3Dのクリスファー・ノーランは、映画は時間を操作することで4Dに連れて行けるという宣言にも取れる。
そして、映画に出てくる4次元の世界も映画の編集室のように見える。
高度なデジタル編集って、あんな感じなんです。
つまり、この映画は、ノーラン兄弟(妻のエマも含む)のSF映画愛の物語ともとれる。
50年前のSF映画の最高傑作へ挑むこと、子供の頃に熱狂したSF大作を復権させること。50年前でも出来るやり方をなるべく使って撮ってるあたりにも。
ジョージ・ルーカスが『スターウォーズ』への言葉を思い出した。
「(『SW』への熱意について)最初は一目惚れだったかもしれない。それでも20年も続いたのならば、本当の愛と言えるだろう」。
元々はスティーブン・スピルバーグから引き継いだ企画だという点にもドラマを感じる。これをやりたくてもできなかった、いくつものSF映画へ愛をこめて。
5次元人とはスタンリー・キューブリックとスティーブン・スピルバーグとアンドレイ・タルコフスキーとフィリップ・カウフマンだったんだよ、きっと。
にしても、タイムズスクエアのIMAXのフィルム上映を知ってる身としては、今の東京にIMAXデジタルしかないのは残念でしかない。
(IMAX70mmは世界で11本焼かれた)
あの視野を覆い尽くす、吸い込まれるような巨大スクリーンで味わいたかった。
アメリカとかではIMAXのフィルム上映してるんだよなぁ。
日本でも丸の内ピカデリーで35mmフィルで上映はしている。
SFに慣れしたんできた者にとっては、古くからある話でもある。
アーサー・C・クラークやロバート・ハインラインでした死んだ世界というか。
『マトリックス』のほうがサイバーSFなので新しいくらいで。
でも、だからこそ、その最新バージョンと、組み合わせの甘さに唸るわけ。
巨人たちの肩の上に乗って世界を見ているのを感じる。
しかも、最新活アナログな映像技術で可視化した凄さに圧倒されてもいる。
だからこそ、何十年も見たかったものを見せてもらって、とにかく嬉しいのです。
オマージュやベースとしては、もちろん『2001年 宇宙の旅』と『未知との遭遇』と『ライトスタッフ』、『惑星ソラリス』、『エイリアン』なんだけど、ほかにも『コンタクト』(マシュー・マコノヒーも出演)、『サイレント・ランニング』、『ブラックホール』(クリストファー・ノーランが好きなSF映画に挙げている)も。
3体の海兵隊で使用されていたという人工知能搭載ロボットTARS、CASE、KIPPは『サイレント・ランニング』のヒューイ、デューイ、ルーイの3体のロボットをその歩き方などからも思い出させる。
他には、『2010』、『宇宙戦争』(オリジナルとスピルバーグ版両方)、『地球の静止する日』の影響もあるかと。
『ゼロ・グラビティ』は去年だし、そこまで影響は受けてないようだ。
見た人はそう思うみたいだけど。
あと、『オーロラの彼方に』も連想したという方もいたり。
『ドニー・ダーコ』を見ておくと良いなんて意見も。
一応、構造は『ワールド・ウォーZ』にそっくり。
『フィールド・オブ・ドリームス』、『ツリー・オブ・ライフ』、『銀河ヒッチハイク・ガイド』を思い出したり。
おいらはなんでか『灼熱の魂』を思い出した。
アメリカだと、『バトルスター・ギャラクティカ』なんかのヒットが影響してるのかね。
『パンドラム』とかでも人類の移住計画やってたし、『WALL・E』にもある描写よね。
そして、前半のゴーストネタからは『サイン』をおいらは連想した。
M・ナイト・シャマランの『アフターアース』がああなってしまったのがホント残念。
日本だと、『トップをねらえ!』の感触に近い。
『トップをねらえ! 2』もあるしね。
人類のために最後の船で宇宙には、まんま『宇宙戦艦ヤマト』ですし。
それと『2001夜物語』、『プラネテス』、『度胸星』を読み返したくなった。
星野之宣の短編系も。
ほかにも『成恵の世界』や宇宙系の長編『ドラえもん』や藤子・F・不二雄先生のSF短編集とか、『ほしのこえ』など。
そういや、『ムーンライト・マイル』ってどうなったんだっけ?
あと、『ジョジョ6部』の終わりにもつながるのよね。
小説だとカール・セーガン、グレッグ・イーガン、あと、テッド・チャンとかの感じ。
ミニマムな『宇宙戦艦ヤマト』をスピルバーグが企画したら、ノーランが関わって、ルールと時間の理論が全面に押し出された感じ。
膨大な時間の経過は『A.I.』で少し描かれていて、キューブリック→スピルバーグ→ノーランのリレーは感じます。
ただ、元のスピルバーグ版『インターステラー』では地球シーンは前半のみで別銀河で中国と競争し、惑星の環境を乗り越え、クーパーとアメリアのあいだに生まれる愛の力で、移住先を見つけ地球へ帰還すると200年ほど過ぎており人類はすでに移住して誰もいない『猿の惑星』っぽいオチだったそう。
この映画のスピルバーグらしさはクリストファー・ノーランが持ち込んだものだったのだ。
ただし、ノーラン印は、人間の欲望(欲求)に忠実であれ、と行動する人々。
自分のことだけ(自分の信じることだけ)を押し付ける人間を描くのが特徴。
それが悪にも善にもなり得るのが深いところ。
今回は、娘マーフィーは柔軟だが、息子トムは土地にこだわり過ぎる。
ブランド教授とマン博士は種としての人類を守るため嘘をつき、アメリア、クーパーは愛しい人を守るために現存の人類を救おうとする。
そこで「正しい動機が重要」というセリフになる。
つまり、「銃は人を殺さない、人が人を殺す」のようなもの。
愛でさえ、その動機によって人を守るし、人を殺すのだ。
いままでのノーラン作品ではこの欲求の対立を描いてきた。
わかりやすいのは『ダーlクナイト』における「やりたいんだもん」のジョーカーと「やらせねぇよ」のバットマン。
ここにその両面を持つトゥ・フェイスが絡んでくる。
『インセイプション』でも「やりたい」ことがある人たちが標的に「やりたい」という欲求を植え付ける話だと言える。
『インターステラー』は二つの「やりたい」があり、そのどちらにも良い部分と悪い部分がある。
だが、その家庭で、嘘が関わってくる。
ブランド教授やマンの目的を果たすための嘘は最悪の行動につながっていく。
アメリアの嘘(エドモンドと恋人であったこと)は沈黙と判断の独断を招くが暴かれる。
クーパーの娘への嘘(娘への約束とアメリアを送り出す)は強い意志となり実現される。
いい動機はいい過程を導き出し、目的に忠雄りつかせるという教訓が隠れている。
マン博士のマンという名には人間を感じざるを得ない。
頑固で保守派のトムはマーフィーや奥さんと凍吃への仕打ちばかりが目に入るが、火事が出たときに助けに来てくれる仲間もいるし、彼が父が旅立ち、祖父が死んだあともあの家を守り続けてきた。
だからこそ、父は娘に情報を伝えることができたのだ。
一概に彼が悪とは言えない。
トムが子供と妻を離さなかったのは父が送るSTAYと同じでもある。
だが、それでも父は旅立ち、マーフィーは旅立ち、トムは残った。
マーフィーの法則の“起きうる可能性のあることは起きる”のだ。
そして、それは、“信じるものは救われる”と同義になる。
悪い意味で使われる言葉を逆転させたセンスに脱帽だ。
そして、それが正直度90%というセリフにもつながってくる。
嘘が悪いのではない、それもまた行動であり、嘘を付かせた同期こそが重要であり、その嘘もまた本当に変えることができる。
それは、嘘ではなく約束となる。
キリスト教の聖書は旧い約束と新しい約束を書いている。
それに、SF=サイエンス・フィクションとは、科学による虚構=嘘の意味だ。
面白いSFは嘘の素晴らしい使い方によるものだから。
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追記。
最後、クーパーが小型宇宙船で旅に出るのは、もう一度ブラックホールに入り、未来人に会って、ブランドン博士へ報せるという作戦で、しかも、どちらかというならもう一度、ブラックホールに入ることこそ狙いなんじゃないか、と。
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再追記。
グランドシネマサンシャインでIMAXレーザー(フルスクリーン)で鑑賞。
圧倒的なスクリーンの大きさとIMAX70の鮮明さでまったく違う映画体験になりました。
35mmとのスクリーン比との入れ替わりも感覚を変える。
そして、気づいたのは、『サイン』との意外な共通点。
コーン畑、お知らせするけどなかなか気づかれない、妻を失っている、愛に気づかない、親子の物語、最後は部屋で解決する、呼吸が重要になる、などなど。
メッセージは愛ではあるが、貫かれるのは、約束を守ろうとする責任感で、嘘について厳しい。
なので、嘘をつくキャラクター二人(マン博士、ブランドン教授)が敵となる。
マーフも最後、父のおかげだと話すが誰にも信じてもらえなかったことが語られる。
娘との約束を守った父クーパーは、ブランドン博士と計画の約束を守ろうとした。
離れている衛星間でも重力という見えない力が働いているように、人間も距離を超えて、約束(愛)が見えない力として働いている。
今日、これ見たよ。よくこんな長い文章書けるな。SF愛おそるべし。
私は正直、「本棚の裏の幽霊はパパだった」っていう話だけでなんでこんなに壮大にせなあかんねんって釈然としない気持ちでした。きっと森絵都ならもっと愛すべき短編を書くはず。
あとね、マン博士が、俗物すぎてやれやれまたか、でした。アメリカ人、他の銀河系まで行っても殴り合いしないと気がすまないのなんとかしろよ!
まあ、面白くはあったが、クリストファー・ノーランはなんかバランスがよすぎて苦手です。
今度、SF映画ネタで飲もう。
ノーランは、いわば、バランスのいいシャマランですから、まぁ。賛否分かれますよね。
ああ、SF映画撮りたい・・・。