『ハウルの動く城』を再考察してみました。
実は、先日のTV放送で、見直して考えたことがあったのでね。
ソフィーの住む町に爆撃が始まって、動く城に逃げてから、ソフィーはなぜ突然カルシファーを外に連れ出したのか?
そして、城を壊したくせに、今度は彼に城を動かさせ、ハウルの元へと行かせたのか?
これを、一つの目的に向かっての行動だとしてみよう。
それは、ハウルを魔物になるのを止めること=カルシファーの契約を解除すること。
ソフィーはどうして、そう行動したのか?
実は、最初から彼女のある行動は一貫している。
ソフィーは老婆になってから、頻繁に嘘を方便として使っている。
ハウルの城を目指す時、荒地に妹がいると言ったり、
マルクルに魔女だと言ったり、
ハウルの母を名乗ったり、
義母の嘘に口裏を合わせたり、と。
つまり、ソフィーは嘘をつき続けている。
しかも、荒地の魔女は、ソフィーに他人に呪いのことを話せないようにした。
ソフィーが嘘をつくのは、その荒地の魔女の魔法のせいもあるが、そもそも戦時下のせいでもあるのだろう。
戦争というのは、主義の戦いであり、その主義と反することや、反戦的なことを言えば、権力側に目を付けられるのは当たり前。
ソフィーは、生活の知恵で嘘をつく。
嘘をつくソフィーの言葉は行動と裏腹である。
ソフィーの目的は、もちろん、呪いから逃げる、呪いを解くこと。
戦争という呪いを、自分にかかった呪いを、そして、ハウルの呪いを。
彼女の行動は、ハウルの呪いを解こうとする前から、一定の方向を向いている。
ハウルの呪いについては、サリマンに、ハウルが魔王になると聞いてから、心に残っていたのであろう。
そもそも、カルシファーはソフィーが城に来た時から、契約を解いてくれ、と頼んでいる。
嘘でない本当を言うタイミングがある。
ソフィーも呪いがかかる前は、ハウルに本当のことを言っている。
人にはそういうタイミングがある。
つまり、本当のこと言うとき、人は呪いを解くための準備をしている。
カルシファーにもまた呪いがかかっている。
彼も呪いが解きたいが、呪いの解き方は口に出せない。
つまり、ソフィーと同じ立場である。
嘘と沈黙は同義だ。
だから、その方法は口に出せないし、その方法に近づく時、より強い拒否を示す。
実は、ハウルも契約を解きたがっているが、口に出してない。
本音を言うことはできない。
(その気持ちがソフィーに夢を見させたのではないだろうか)
ソフィーは、ハウルが軍艦と戦う姿を見て、はやくカルシファーの契約を解かねばと考えはじめた。
そして、カルシファーも、自分と同じ状態、契約の謎に近いことは逆に強い拒否として現れることに気づく。
カルシファーが最も拒否を示す事をすることが契約解除の方法ではないか?と。
火が嫌がる一番のこと、つまり消されることをしているが、死んでしまうかもしれないので出来ない。
しかし、だからこそという思いはあるのだろう。
ソフィーは、以前、カルシファーを消そうとしたことがあった。
呪いを解くことで、ハウルが死ぬ、とも言われているので、踏み込めない。
だが、どうやら、それが呪いを解く方法だったようだ。
しかし、荒地の魔女がそれを助けてくれる。
荒地の魔女がカルシファーをつかんで燃えてくれたのだ。
そうすれば、燃えている人がいれば、カルシファーはソフィーに行動を促す事が出来る。
ソフィーが水をかけたのも、カルシファーを消す事で、契約が解けるはずという方へも思考がなんとなくでも向いていたからではないだろうか?
反射的に、とっさにかもしれないし、それを促したのかもしれない。
荒地の魔女もそれを狙っていた節がある。
理由は、彼女は熱いと言いながらもカルシファーを離さない。
ボケているとはいえ、熱いなら反射的に離すだろう。
ボケているから離さないと言うには火の熱は強いものだ。
(ないとは言えないが・・・)
だが、それにしては、あの虫のときの行動が気になる。
彼女は、ボケているように見せかけている可能性もある。
もちろん、ボケと正常が半分半分なのかもしれない。
でも、カルシファーの火って、魔法の火。
荒地の魔女は、火傷しないって、知ってる可能性もある。
ソフィーの母親の持ってきた巾着袋に気づいた荒地の魔女がボケている時と正常な時の半々(しかも、ヒンがついているので、演技している可能性大)ではあるだろう。
火を消す、イコール、カルシファーは消える。
それは賭けでもあった。
失敗すれば、ハウルは死ぬ。
とはいえ、それでも、ハウルが戦場で魔王になるなら殺す方が・・・という覚悟もあったかもしれぬ。
行動したものの、ハウルの契約が解けたのか、死んだのかと結果が不明で、ソフィーは泣きじゃくる。
しかし、契約の第一段階(契約解除は二行程あった。カルシファーから心臓を取り返す。そして、それをハウルに戻す)が切れたことで、ハウルは契約を解除する第二行程をソフィーに夢を見せた力と同じように、見せたのではないか。
それが、あの扉の中での出来事であり、ソフィーをハウルが知ってるというのは、初めてハウルの城に老婆の姿で行った時を示しているのだろう。
ハウルもまた契約のため、それについてのことを話せなかったのではないか。
もしかしたら、カルシファーとハウルの契約を解けるのは、ハウルが愛した人の手で、カルシファーを消す事だったのかもしれないなぁ。
言葉には、魔力があり、だから、ソフィーは、あえて嘘をつくことで、言葉の魔法を使っていたのではないか。
だから、言葉と行動が矛盾するのだ。
言葉の力を知るがゆえに、相手を観ることと行動で示すのだ。
つまり、目と体を使う。
その象徴が喋れないカカシのカブやヒンなのではないか。
言葉には魔法があり、ソフィーもまた魔法使いなのだ。
なぜなら、原作では、ソフィーは魔法使いであるのだが、あえて行動での描写に留め、言葉には魔法があると、宮崎駿監督は見せたのではないか。
つまり、すべての言葉には魔法がある。
サリマンの言葉にも魔法が有り、戦争をはじめることも、終わらせることも出来る。
もちろん、言葉の魔法は、行動を促すからだ。
ソフィーが城を壊し、再び城を動かしたのは、カルシファーの言う様に、彼らにはもう時間が余り残されていなかったから。
ハウルは人間に戻れなくなり、魔王になってしまうのが迫っていた。
ハウルを救うのは自分しか出来ないと決意しての、心を隠した行動だったのだ。
それは、カルシファーの魔力を消し、ハウルとの契約を解かせるため。
意外と理不尽といわれたこの行動が実はソフィーの思考としては、非常に理の通ったものに思えてくる。
嘘、偽りに覆い隠された、真実によって。
この映画における台詞は、虚実混交している。
どちらかといえば、正直に言ってる台詞の方が少ない。
最初のハウルに心臓取られるわよ、も噂に過ぎないし、ソフィーは風邪ひいたと家を後にし、妹がいるといって荒地を目指し、母は新しい恋人のために嘘をつく。
サリマンはウソをついて、荒地の魔女を城に呼ぶ。
戦時下はみな、己の身のために、嘘をつく、偽る、欺く。
言葉の魔法を皆が使っている。(もちろん、魔法使いたちは外見も)
そう、言葉には魔法がある。それは悪い魔法にも良い魔法にもなる。
だから、この魔法を使うには、相手をきちんと観るべきだってのが、この映画には、含まれていると思うのだ。
ちなみに、映画はサイレントから始まり、言葉の魔法を使えない(使いにくい)芸術表現。
今も、台詞は少なく、映像で見せろ、というのが定理になっている。
言葉の魔法で意識に働きかけるのではなく、目に真実を見せるために。
そして、それが映画の魔法なのだ。
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