で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2200回。
「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」
『逆転のトライアングル』
豪華クルージングのセレブ客とクルーがトラブルに巻き込まれるブラック・コメディ。
第75回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールを受賞。
しかも、『ザ・スクエア』に続き、2作連続でのパルムドール受賞は、歴代3人目。
主演は、チャールビ・ディーン、ハリス・ディキンソン。
共演は、ウディ・ハレルソン、ドリー・デ・レオン、ズラッコ・ブリッチ。
ヤヤ役で注目を集めたチャールビ・ディーンは、本作が各地で公開されて間もない2022年8月に突然の病によって32歳の若さで急逝し、これが映画初主演にして遺作となった。
監督・脚本は、『フレンチアルプスで起きたこと』、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のリューベン・オストルンド。
物語。
現代スウェーデン。
インフルエンサーとしても活躍する女性モデルのヤヤと、その彼氏の売れていない男性モデルのカールは豪華客船のクルーズ旅に招待される。
その前のディナーデートで、ちょっとひと悶着。
クルージングの客は、ロシアの新興財閥や武器商人をはじめいずれ劣らぬ大富豪ばかり。
超絶セレブたちの豪華クルーズは、どんな無理難題も笑顔で従うクルーたちによって支えられていた。
だが、アルコール依存症の船長の怠慢が事態を危なくさせる。
出演。
チャールビ・ディーン (ヤヤ)
ハリス・ディキンソン (カール)
ウディ・ハレルソン (船長)
ズラッコ・ブリッチ (ディミトリ)
ヴィッキ・ベルリン (ポーラ)
ドリー・デ・レオン (アビゲイル)
ヘンリク・ドルシン (ヤルモ)
ジャン=クリストフ・フォリー (ネルソン)
イリス・ベルベン (テレサ)
ズニー・メレス (ベラ)
アマンダ・ウォーカー (クレメンティン)
オリヴァー・フォード・デイヴィ (ウィンストン)
アルヴィン・カナニアン (ダリウス)
キャロリーナ・ギンニン (ルドミラ)
ラルフ・シーチア (ウリ)
スタッフ。
製作:エリク・ヘンメンドルフ、フィリップ・ボベール
撮影:フレドリック・ウェンツェル
プロダクションデザイン:ヨセフィン・オースバリ
衣装デザイン:ソフィー・クルネゴート
編集:リューベン・オストルンド、ミケル・シー・カールソン
『逆転のトライアングル』を鑑賞。
現代スウェーデン、モデルカップルが豪華船旅でトラブルに巻き込まれるブラックコメディ。
表面的には、富と権力のピラミッドがひっくり返る話。というのをベースに、現代的にも思想的にも、その先に踏み込んでいる。
三章立てで段階を踏み、思考を広げているが、これに気づかないとベタな内容に見えると思う。まぁ、そのベタさでコメディとしての機能を強めているというひねくれたしかけもあるしからしかたないところもあるが。けど、その先の機能も果たしているので、思考を柔らかくして見てみると唸らされる。(この部分は『フェイブルマンズ』のクライマックスでも共通するところだったりします)
それは、タイトルにも隠されている。邦題は逆に視点を固定してしまって見えづらくしていると思う。似たタイトルもあるし。実は、原題は『TRIANGLE OF SADNESS』(『悲しみのトライアングル』)で、これが何を意味するかは劇中で説明される。眉間を指す美容用語。このファーストシーンにこの映画全体の仕掛けが説明されているのだが、言葉はやらないので、ここが読み取れると見え方が全然変わります。
もちろん、ヒエラルキーのピラミッドの要素も入れてありますよ。
監督・脚本は、『フレンチアルプスで起きたこと』、『ザ・スクエア 思いやりの聖域』のリューベン・オストルンド。カンヌ国際映画祭でパルムドール受賞。しかも、『ザ・スクエア』に続き、2作連続でのパルムドール受賞は歴代3人目。
チャールビ・ディーン、ハリス・ディキンソンのカップルがメインで、二人が経験するいくつつもの既成概念とヒエラルキーのピラミッドと社会の構造を見せていくが、この二人が対比になっているので、そこを意識すると見やすい。男は揺れ、女は揺れない、という感じ。この独特の人間性の描き方が素晴らしい(フランスの大人のラブコメっぽい人物像ともいえなくもないが、ブラックコメディの中に入れたのは新しい)。芝居が面白いのは、ウディ・ハレルソンとズラッコ・ブリッチの対決。そして、ドリー・デ・レオのの存在感の出し方に揺さぶられます。
実は、チャールビ・ディーンは、病で急逝し、今作が遺作となってしまった。しばし、黙祷。
かなり凝った脚本で、古典的な内容を視点を示すことで、裏の見え方が変わるようにしている。
説明すると、ファーストシーンは、男性モデルをゲイ的なリポーターが揶揄するようにいじるところで、これは今まで女性モデルを男性リポーターがやってきたことの裏返しになっている。ここで、庶民向けのブランドなら笑顔、高級ブランドなら真顔という遊びが行われる。これは人生の反転が行われていることが分かる。人生がシリアスな庶民層は笑顔で惹きつけ、人生が笑顔の富裕層は真顔で惹きつける。これが、この映画の見方だと教えている。この後のシーンでそれを強化してくる。
前2作のオストルンド作品でやってきた雪だるま式や上り坂式と展開を毎回変えてくるのだが、今回は、さらに違う語りの方式でやっている。毎回違う語り口に取り組んでいるので、次回作はどうなるか、かなり楽しみ。
その見方を示しているので、ラストの見え方も道筋が出来るので、グッときます。
これ、『パラサイト 半地下の家族』にも近いです。こういう映画の語りが20年代は増えていくのかも。
その点で、あなたの本質が暴かれもする。
音楽の使い方もけっこう面白く、実はオストルンド監督が娯楽思考なんじゃないかな。だから、音楽の歌詞を字幕に出すべきだったと思う。
あなたに悲喜を刻む▼作。
おまけ。
原題は、『TRIANGLE OF SADNESS』。
『悲しみの三角』。
劇中でも言われる、眉間の逆▽のゾーンのこと。
2022年の作品。
製作国:スウェーデン / ドイツ / フランス / イギリス
上映時間:147分
映倫:G
配給:ギャガ
ややネタバレ。
原題は『悲しみのトライアングル』で劇中にも出てくる、眉間の部分の▽ゾーンのことを指す美容用語。
スウェーデンでここにしわがあるのは内面の問題が多く、貧しいと思われる、という偏見があり、現代では美容整形(ボトックスなど)で皴を消す人が多いとううニュースを見て、外見のしわを消しても中身は変わらないだろう! なぜ中身や根本の解決(問題解決や貧困や格差の改善、偏見をなくす、教育)をしないのかと。そこから発想した物語なので、このタイトルにしたそうですよ。
あの中盤はリトマス試験紙でもある。
ざまぁと笑う人、可哀想だと思う人、こういうのはいらないと思う人……。
あれこそ映画館で見る時の面白さ。
日本だと観客が、あんま笑い声上げないから、見えづらいというのはあるだろうけど。
それでも、あそこをどう見るかの感想で、その人の本質がちょっと出てくるはず。
ネタバレ。
ファーストシークエンスの最後にカールはオーディションで悲しみのトライングルをチェックされる。
シリアスな顔をすると、彼には眉間に強めの皴が出来る。そこをプロにほぐされる。だが、それでも眉間に皴を入れずに真顔になることが出来ず、カールはオーディションで落とされる。
実は、三章目で、今作は、ジャンルも、うっすらとひっくり返るようになっている。
コメディが笑えなくなるように、転換していく。
特に、死の要素が影響する。
最後にかかる曲は、『Marea (We’ve Lost Dancing)』。
元の世界に戻るよ、というコロナ禍中に書かれたハッピーな曲。
もちろん、戻ってない今見れば、戻らないよという風にも聞こえるし、それでも希望はあるともとれる。
https://www.youtube.com/watch?v=Py_CfDJI0Ro
なぜなら、彼女の物資(富)も有限だから。
戻るという希望を見る。
そこには、ヤヤなりの親切がある。
だって、彼女は一人で行かずに、彼女と喜びを分かち合おうとするために、待つ。
そう見ると、その曲をバックに走るカールは、取り戻すために走ってるので、ハッピーだと取れる。(皮肉でなければ)
だが、さらに皮肉なのは、恋人を汚しても、厳しい環境にあっても、助けたり待ったりする善の本質と親切心がヤヤにはある(ヤヤは船の上でもクルーに挨拶するし、笑顔を向けるし、孫働きぶりにも文句も特に言わない。その対比として、カールは、嫉妬でクレームをつけ、クルーをクビにしてしまう)
ヤヤは食事代をどっちが支払うかのもめごとも、帰ってきて、笑顔では暗試合を師、仲直りにもっていく。
彼女は、結婚したい相手をセレブだと言うが、船の上でセレブに対して興味を抱かない。あくまでカールとの時間を過ごす。
アビゲイルにカールが体ですり寄っても、カールをどこか許している。
一見、頭がようぃあ用意見せているが、彼女は感情的になり過ぎず、先を考えており、かなり理性的な人間であることが示されている。
逆にカールは、感情的で行動し、損得に流される。
ヤヤの彼女を雇う、という言葉も、危ない船の仕事ではなく、いい労働環境を用意して、お礼をしたいという風にも取れる。
岩を持って、殺そうとするアビゲイルに対して、ヤヤを信じている。
そこに、アビゲイルは、人間の本質、自分の本質を知り、内面の変化をおこしたのではないか。
おいらは、岩を置き、元の世界へ戻る選択をしたと考える。
助かったことで、ニュースになり、正当に成功する可能性もある。
ヤヤというインフルエンサーの助けも得られるし。
金持ちのロシア人の助けも得られる可能性だってある。
ただ、あの岩は、カールを失うことを恐れるなら、それでもヤヤを殺す可能性はある。
この第三章の島の遭難編で新しいのは、掃除のおばさんアビゲイルは権力と富を振りかざすけど、彼女のその行為を当たり前として、みなも受け入れて、特に反乱もせず、怒りもせず、受け入れている、という構図が新しいのに、リアル。
もちろん、クルーリーダーやカールは、多少忖度やインチキはするけど、自分が出来る労働は最初の失敗以後は一応がんばっている。
アビゲイルの命令で、脳梗塞のマダムも見捨てない。逆に、事情を知らない、物売りはマダムを無下に扱う。
最初は、アビゲイルは女性たちも救命船に入れて、安全を確保する。
人間の醜さだけでない、本質を炙り出している。
『悲しみのトライアングル』はの意味が、ラストのエレベーター前のくだりで強く示される。
アビゲイルの涙により、悲しみのトライアングルが逆転する。
好みのセリフ。
「愛してるなら、戦いなよ」
「インテン・ボルゲン(雲の中)!」
あの船長はコスタ・スケッティーノがモデルのようです。