菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

それを忘れちゃい……。 『林檎とポラロイド』

2022年03月20日 00時00分03秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2023回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 


『林檎とポラロイド』

 

 

 

謎の記憶喪失病にかかった男が新人生を歩み始めるSFコメディ・ドラマ。

女優ケイト・ブランシェットが鑑賞後に惚れ込み、エグゼクティブプロデューサーになったことで、大きな注目を集めた。

 

主演は、『アルプス』のアリス・セルヴェタリス。

 

監督は、クリストス・ニク。
ヨルゴス・ランティモスやリチャード・リンクレイター作品で助監督を務めてきて、これが長編デビューとなるギリシャの新鋭。

 

 

物語。

突発性の記憶喪失病という奇病が蔓延する世界。
ある日、この奇病を患い、記憶を失い、身元不明で迎えも来ない男は、回復プログラム「新しい自分」に参加する。
彼はあてがわれたアパートで、毎日送られてくるカセットテープに吹き込まれた妙なミッションをこなしていく。それは、とにかく毎日新しいことに挑戦することだった。
そんな中、男は同じく回復プログラムをしている女と出会う。

脚本:クリストス・ニク、スタヴロス・ラプティス

 

 

出演。

アリス・セルヴェタリス (アリス/14842番)
ソフィア・ゲオルゴヴァシリ (アンナ)
アナ・カレジドゥ (女性プログラムマネージャー)
アルジョリス・バキルティス (男性プログラムマネージャー)

コスタス・シュコミノス (医師)
コスタス・ラスコス (老患者)

 

 

スタッフ。

製作:イラクリス・マヴロイディス、アンゲロス・ヴェネティス、アリス・ダヨス、マリウシュ・ヴロダルスキ、クリストス・ニク
製作総指揮:ニコス・スムピリリス、ケイト・ブランシェット (クレジットなし)、アンドリュー・アプトン (クレジットなし)、ココ・フランチーニ (クレジットなし)

撮影:バルトシュ・シュヴィニャルスキ
編集:ヨルゴス・ザフェイリス
音楽:ザ・ボーイ

 

 

『林檎とポラロイド』を鑑賞。
80年代ギリシャ、記憶喪失病になった男が新人生を始めるSFコメディ・ドラマ。
自分の身元を失った男が記憶回復プログラムのミッションを日々こなしていく。その世界をとらえ直す作業の可笑しみと悲しみ。
見ればわかるのですが、『メメント』の影響大で、コメディドラマ版『メメント』と言いたくなるほど。ああいうサスペンスはないんですけどね。でも、大きなミステリーが潜ませてある。『ブレードランナー』もちょいと入れてあります。ルックもトーンも全然違うので、この映画ならではの味わいになっています。
監督は、クリストス・ニク。ヨルゴス・ランティモスやリチャード・リンクレイター作品で助監督を務めてきて、これが長編デビューとなるギリシャの新鋭。彼らの匂いもしつつ、まるで違うユーモアのセンスで、次回作が非常に楽しみ。
動きとたたずまいでニヤリとさせるものと、状況と言葉による独自のユーモアが素晴らしく、ヒント・オブ・ペインあるコメディになっている。
なかでも、バットマンのコスプレ男が記憶喪失病になって、救急車に乗せられるシーンの可笑しみは、『ザ・バットマン』にも通じる可笑しみ。
それを定着させたのは、主演のアリス・セルヴェタリスのストーンフェイスと仕草のほの愉快さ。ジャック・タチにも通じます。オマージュを捧げているのは、子供自転車でわかる。(ウェス・アンダーソンも新作で捧げていた)
ある部分では『ドライブ・マイ・カー』にも通じていたりする。そういう意味では、現代的な映画になってもいる。同時代の映画って、こういう部分によって、評価がふわっとしてしまうこともあるよね。
加えて、記憶がテーマでもあるので、映画であろうという作家の意思を強く感じます。やっぱり、デビュー作ならではの熱がある。
撮影も美術も映画のこだわりにぴったり寄り添う。画面サイズはポラロイドっぽいスタンダードなんだけど、切り方が絶妙で、映画的な広がりがあり、『イーダ』を思い出した。
今作は、映画の記憶に溢れている。こういうデビュー作は信用できる。
記憶喪失病の世界は、まるで現代の世界を映しているようでさえある。経済が壊れたギリシャの姿と経済成長が止まったかのような日本の姿は重なって見える。
しっかりと映画的なモチーフ演出も用いるなど、高い映画技法が忍ばせてある。
忘れたくないことは忘れて、忘れたいことを忘れられない、そして、それでも、それがあなたなの。
「これはリンゴではない」と人のこの続いていく人生を回す輪作。




 

 

 

おまけ。

原題は、『MILA』(『Μήλα』)。
『ミラ』。

「MILA(Μήλα)」はギリシャ語で「リンゴ」の意味。


英語題は、『APPLES』。
『林檎たち』。
キリスト教的なシンボルであり、劇中で食べられる果実。

 

製作国:ギリシャ / ポーランド / スロベニア
上映時間:90分
映倫:G

 

配給:ビターズ・エンド  
 

 

受賞歴。

2021年のCrossing Europe Filmfestivalにて、観客賞(Best Fiction Film)を受賞。
2021年のナショナル・ボード・オブ・レビューにて、外国語映画トップ5に選出。

他に15の賞を獲得。

 

 

映画『林檎とポラロイド』絶賛公開中!🍎 (@RingoEiga) / Twitter

Mila (2021) Greek movie poster

 

映画『林檎とポラロイド』フライヤー2種各5枚 計10枚 クリストス・ニク監督 - メルカリ

 

 

ややネタバレ。

邦版のチラシは、二種あるが、どちらも林檎のモチーフがない。
オリジナルデザインは、哲学的かつ映画のイメージを端的に表しているんだけど、女性に訴求しない感じはある。哲学的だしね。
そこで、インテリアの方を推したようだ。
だが、あえて、ルネ・マルグリットの絵『人の子』のように、空中に林檎を浮かべても面白かったんじゃないかな。

《人の子》1964年

 

ちなみに、こちらは、同じくルネ・マルグリットの『これはリンゴではない』。

 

ノーマン・ロックウェルが『人の子』を引用した『ミスター・アップル』という絵もある。
作品解説】ルネ・マグリット「人の子」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

 

クリストス・ニクという名前にも聖性とユーモラスを感じるね。

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

彼は、記憶は失くしていない。男は悲しみに囚われた人生に区切りをつけるべく、今の自分を捨てて、記憶喪失病を装ってみたのだろう。
だから、医者に「回復した人はいない」と、わざわざ言わせていることからわかる。
だから、八百屋できかれた住所を135番地と前の住所を答えるし、犬のマルから逃げる(飼い主に見つかりたくないから)し、歌詞も全部覚えている。
そして、探しもせずに、妻の墓参りもする。

車の事故がミッションだったのだろうか?
もしかすると、妻も車の事故で死んだのかもしれない。
アンナとのドライブで、追体験して、妻を忘れようとしないと決めたのかも。

宣伝コピーは、「悲しい記憶だけ失うことはできませんか?」。
これは、途中で明かされる展開を示唆して、物語の見方を教えるコピーになっている。そのせいで、勘がいい人だと彼の事情を予測してしまう。
少なくともおいらは、見る前から妻か子どもを失くしているから、記憶を失くしてよかったのかなぁと思いながら見てしまって、少し今作の見え方が変わってしまったのが残念。
おいら案、「全部忘れて、新しい私がはじまった」、「忘れても、私で生きていけますか?」とかどうかな。

わずかに、回復プログラムで、妻を亡くした悲しい記憶を取り戻していった可能性もなくはない。
男は、妻を亡くした悲しい記憶を失って、新しい人生を歩んでいたのに、記憶がじょじょに戻ってきて、また悲しみに囚われはじめて、それから逃げようとした。

だが、記憶を回復したいがために人との関係を道具にする姿(ミッションでのセックス)に自分が間違っていたと気づきはじめる。
この記憶喪失病は、モラルや危機感も忘れてしまうのではないか。


知恵を授ける実としての、キリスト教的シンボルとしての林檎であり、忘れられない悲しい記憶の象徴でもある。
そして、彼の好物で、人の体は必要な栄養素を欲して、食べたがるというのがある。疲れていると塩分が濃い物を求めるように。
男は、妻の記憶をなくしたいと願っていたが、同時に失くしたくないとも願っていたから、林檎を食べ続けたともとれる。

 

喪失の悲しみに向き合う姿は、『ドライブ・マイ・カー』などとつながる現代の映画の主流テーマの一つ。

最後に、同じニク姓の方に映画は捧げられている。
これは、『ウエスト・サイド・ストーリー』とも通じたり。
宇宙飛行士のコスプレは、『ガガーリン』とも通じたりと、近年の映画の要素を散見出来る。

『ザ・バットマン』と同時期公開の可笑しみ。
キャットウーマンも出て、『アヴェ・マリア』まで流れる。

車の事故は、『サイン』を思い出した。
あれも、神(信仰)の物語であった。

回復センターのミッションは、神=運命の現実化なのだろう。

車輪のモチーフは、やはり運命を示しているのだろう。
映画の冒頭は、ナナメに駐車された車で始まる。
その次はバスで記憶を失う。
自転車も車輪の乗り物で、ホラー映画のタイトル『チェーンソー・マサカー』(『悪魔のいけにえ』の原題『テキサス・チェーンソー・マサカー』のもじりだが、同系統の映画なのだろう)チェーンソーもエンジンで回転する車輪的な刃物。
移動販売のホットドッグを食べる。
カセットテープは、回転する歯車だ。
事故った車(=運命)から降りて、男は歩いて、家に戻る。

 

それもあって、原題の『MILA』の響きから、ギリシャ神話に登場するモイラ(Μοῖρα, Moira)を思い出した。

これは、「運命の三女神」のことで「モイライ三女神」とも。クロートー、ラケシス、アトロポスの三柱で、姉妹。モイラは単数形で、複数形はモイライ(Μοῖραι, Moirai)。
この女神のことを「ミラ」と呼ぶこともまれにある。(ギリシャ語の発音では「Μοῖρα」は「モラ」の方が近いようです)

モイラ(moira、μοῖρα)はギリシャ語で元々「割り当て」という意味であった。人間にとっては、「寿命」が割り当てられたものとして、もっとも大きな関心があった為、寿命、死、そして生命などとも関連付けられた。また出産の女神であるエイレイテュイアとも関連付けられ、やがて運命の女神とされた。

最初は単数で一柱の女神であったが、後に複数で考えられ、三女神で一組となり、複数形でモイライ(Moirai)と呼ばれる。人間個々人の運命は、モイラたちが割り当て、紡ぎ、断ち切る「糸の長さ」やその変容で考えられた。まず「運命の糸」をみずからの糸巻き棒から紡ぐのがクロートー(Κλωθώ, Klotho、「紡ぐ者」の意)で、その長さを計るのがラケシス(Λάχεσις, Lakhesis、「長さを計る者」の意)で、こうして最後にこの割り当てられた糸を、三番目のアトロポス(Ἄτροπος, Atropos、「不可避のもの」の意)が切った。これで人間の寿命が決まる。

モイライはゼウスの権威に従っており、ゼウスは彼女達に、物事の自然の秩序が尊重されるべく計らうよう命じたとされている。
しかし、トロイア戦争の物語では、ゼウスがモイライの決定に逆らえないことが示唆されている。
神々と運命との関係はしばしば矛盾に陥っており、ゼウスは運命を支配しているようで、運命の決定に従っているようだとも描写されている。(wikiより)

 

久々に戻った家の中には、籠に入っていた林檎が腐っている。だが、一つだけ、なぜか腐っていない林檎がある。
男は、その林檎の強さ(なんかやばい林檎にも思えなくもないが、あの部屋は寒いのかな)を取り込み、記憶を強くする作用を受け入れる。
腐っていた林檎の中にもまだ食べられる部分はあり、腐っていた部分を切り、腐っていない部分を食べることで、新しい自分を生きていくことを見せる。

 

 

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クリストス・ニクは、アリス・セルヴェタリスに参考映画として、『エターナル・サンシャイン』と『トゥルーマン・ショー』を渡したそう。

 

 

ケイト・ブランシェットが才能に惚れ込んだクリストス・ニク監督との対談映像/映画『林檎とポラロイド』ケイト・ブランシェット×監督対談
https://www.youtube.com/watch?v=4jQp9Zp38P4

 

 

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